第三営業部、改め第三事業部のメンバーは、第一事業部でお手上げとなった大失敗プロジェクトの後始末を任せられ、不眠不休の毎日です。御用聞きにもならない営業活動、二転三転する開発体制、失敗の原因が明らかになるにつれて、そのあまりのいい加減さに憤る坊津君や猫柳君です。ところで、最近めっきり影が薄い桜井君ですが、なにやら動きがあったようです。


「というわけなんですが、出し直してよろしいでしょうか。こちらの見積もりが過去に出しているモノでして…」
 既に基本設計に入っているのに見積もりの再提出となったラビット製薬の件を、鮫島営業部長が鯨井第一事業部長席に報告にきました。

「よろしいも、なにも、値切られてるわけじゃなし。こちらとしては受注の総額が下がらなければ、それでいいじゃないか」
 書類をちらりと見ると、読みもせずに返事をする鯨井事業部長です。
「まあそれはそうなんですが」「なんだね?」
「いや、その…」 鮫島部長が恐る恐る言葉を継ぎました。「そもそも派遣型の仕事から脱却するために、エンドユーザー直取引、つまりプライムビジネスを進めようという方針があるわけですよね」
「何が言いたい?」
「だから今回は、人月単価を出さないという条件で、厳しい金額で契約をいただいた…それなのに…」
 鮫島部長がそこまで言いかけたところで、深々とハイバックチェアに腰掛けていた鯨井事業部長が腰を浮かせて机を叩きました。

「そんな分かりきったことを貴様に言われる筋合いはないっ! だいたい営業経験もろくにない派遣SE上がりの分際で、元IBWの私に説教する気かっ?」
「ひえっ!」
「お前なんか、年くって単価が上がりすぎたから、SEじゃ売れなくなって営業してるだけだろうが! 俺に口答えするなんて10年早いんだよ!」
「しかし…私も営業部長として…」
「なにが営業部長だ。部下もいないのに威張ってるんじゃない! とにかく貴様は言われた通りにやればいいんだ。今まで通りに、客と私に言われたことだけやっておけ。まったくお追従を言うか、ゴルフの段取りしか能がないくせに!」
 怒鳴るだけ怒鳴ると、どっかりと椅子に座り直して、くるりと背を向けました。そして「そうだ、来週から5月じゃないか。その亀井部長とやらをゴルフにでも誘い出せば、どうなんだ」と背中越しに言う鯨井事業部長でした。
 ラビット製薬の亀井部長が、健康上の理由で前職を退任したこと、それが原因でゴルフをしないことなどを、もはや鯨井事業部長に説明する気にもならない鮫島部長でした。

「そうか、バグがまだ124件もあるのか」
 それから9カ月たった今、ラビット製薬“新システム開発室”で、中田第三事業部長自らが月1回のヒアリングです。1月末日の今日は定時退社日の火曜日とやらで、まだ18時を回ったところにもかかわらず、もうラビット製薬の社員は1人も残っていません。

「いいなぁ、定時間日」と猫柳君。
「うちのメンバーは徹夜の連続なのに、これってどうなんですか」小さな声で怒る坊津君です。
 部屋には第三事業部の中田事業部長、坊津君、猫柳君、それに愛須第一開発課長とSE数名しかいません。坊津君の怒りの声に答える声もありませんでした。

「それより…問題はまだ新しいバグが発生しているってことじゃないんですか?」と質問する猫柳君に、プロジェクトマネジャーとして愛須課長が丁寧に答えます。「それはテストが進行している証拠なのよ、猫柳君。規定より発生率が低いと、逆にテストが不十分ということになるの」
「そもそもアプリというのはバグがあることを前提として作っているんだ。こういう打ち合わせに出ていれば、そういうことも分かってくるだろう」と中田事業部長が説明を引き取りました。
 これまでも中田事業部長は、若手営業を必ず受注後の打ち合わせに投入し、仕様の追加がどうやって起こるのかを学ばせていました。しかし今回のように、テスト工程の打ち合わせまでガッチリと営業を投入する前例はありません。だから、もうすぐ中堅どころの猫柳君にも初めてのことが多いようです。

「先月から収束率と発生率が逆転していて、総件数自体は確実に減少してきています。これが一段落したら、もう一度テスト密度を上げますか」「いや、今の段階となっては3月初頭に総合テストまで持ち込むことの方が大事だ。そこを念頭においてくれ」「しかし、この人数では3月下旬が精一杯です」「うーん…」
 まだまだ寒い1月末日ですが、臨時サーバーが数台稼働している部屋は室温が高めで、白熱した議論がそれをさらにヒートアップさせ暑苦しくさえあります。

「おいネコ、愛須課長なんとかならねえかな」とひそひそ声の坊津君が猫柳君になにやら話しています。
「なんですか、坊津さん」「あのブラウスだよ。胸元開けすぎ」「そんなこと聞こえたらセクハラってぶん殴られちゃいますよ」「うーん、気になってしょうがねーんだ」
 以前、二人きりの部屋で愛須課長に手作りのサンドイッチをご馳走になったことを、坊津君は猫柳君には言っていませんでした。

「どうしたの、坊津君?」「あ、いえ、そのあの」
「カットオーバーが気になるの?」
 そう愛須課長に聞かれて、かなりあわてる坊津君と猫柳君でしたが、すぐに気を取り直した猫柳君が質問をします。
「中田事業部長、やはり年度内売り上げは死守ってことですか」
「そうだ、我々は最後まで諦めるわけにはいかない。3月31日その日までな」 そう言って空をにらむ中田事業部長でした。
「しかし、ここだけの話、初代プロマネの岩志さんはどうして出入り禁止に…」「さらに2代目の海老沢さんはなぜ…」 次々と疑問をぶつける猫柳君と坊津君に愛須課長が答えます。

「そうね、あたしで3代目のプロマネになるわね。もうちょっと引き継ぎがあれば、少しは楽なんだけど。まあ、いまさら仕方のない話だから、もういいのよ」
 もう何日も自宅に帰ってないはずの愛須課長でしたが、身だしなみは整っています。そして、その姿を見るにつけ、坊津君と猫柳君は余計に前任者たちのいい加減さに怒りを感じます。
 それと同時に『俺たち営業でできることはなんでもしなければ』と心に誓う若手の2人でした。「なんでうちの会社は引き継ぎがないんだろう…」と口にすると「どこでも同じだよ」と言われるに違いありません。実際にあちらこちらで繰り返されている会話を、いまさらなぞる気はありせんでした。

(イラスト:尾形まどか)

「お願いですから、引き続きサポートを頼めませんでしょうか…あれ、切れちゃった」
 こちらは、独りぼっちのオフィスで電話を握り締める桜井君ですが、電話の向こうの相手から一向に色よい返事をしてくれないまま切られたようです。

「まいったなあ、みんな外出で僕一人留守番だよ。みんな『予算必達だ』って走り回ってるのに、寂しいよなあ」
 そうつぶやいて背もたれにもたれかかっていたところに現れたのが、大きな荷物を抱えた新人の万田君でした。
「桜井せんぱいー、どないしはったんですか? 元気ないですやん!」
「おお、マンちゃん。研修は終わったの?」
「もう、10月にやっと配属になったと思たら、また研修やて。ホンマ、僕みたいな実戦向きなオトコになにをさせるんやいな、このクサレ会社は」
 早口の関西弁でまくし立てると、エッジの効いた銀縁メガネのテンプル部分を持ち上げました。

「研修はマジメに受けなきゃだめだよ、それはそれで意味があるんだから」
「僕はこの会社史上初の営業志望入社でっせ! 技術なんか後からついてくるもんでんがな。はよ、実戦勝負さしてくれへんかいなあ」
「そういうなら僕の案件で勝負してくれよ。まあ無理だろうけど」
 この口から生まれたような、そして既にそう呼ばれ始めている関西野郎に軽くむかついた桜井君です。
「ああっ! この万田哲也をバカにしはるんでっか? 失礼やなあ…ほな、うまいこといったら晩飯1回でどないです?」
 このお調子者の新人に現場を見せてやるいいチャンスと考えた桜井君は、この勝負を受けました。

「ああ、いいよ。でも失敗したらその関西弁、治せよ」
「治せて、方言は病気とちゃいまっせ! こりゃまた失礼ですなー」
「うざいよ、おまえ。さっさと営業カバンに持ち替えろ」「え、今からでっか?」

今号のポイント:引き継ぎができない会社の処方箋とは

 坊津君ではありませんが、「うちは引き継ぎがないのが社風なんだよ」という言葉、あなたの会社で当たり前のように語られていませんか。「うちは」というより「うちの業界は」と言ったほうが正しいと思います。では、どうしてIT業界では引き継ぎがないのでしょうか。人の出入りが激しい業界だからというのも理由でしょうが、仕事の仕方にも原因があると思います。他人の作ったプログラムは読めない、読みにくいという決定的な話もさることながら、「その人しか分からない」ということが多すぎるのです。だから、私は引き継ぎをしなくてよい方法を実践しています。これは簡単で、1つのお客様に複数担当で当たるようにすればいいのです。どうしても無理であれば管理職である私が共同して当たる。もちろん時間をとられますが、お客様に安心感を与えるという意味もあります。さて、皆さんの会社はどうなっていますか?

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。