うつ病の被害を最小限で食い止めるには,初期症状を見過ごさず,早期の治療を施すことが必要だ。では,どうすればうつ病の兆候を見つけることができるのか。そのポイントを解説する。

 「ITエンジニアはいつも納期に追われて仕事をしている。普段の労働時間も長いようだし,孤独感を感じることも多い。色々な利害関係があり,ストレッサーが多い職種だと感じる」。

 ITエンジニアのメンタルヘルスに詳しいピースマインドの渡辺真里子氏(臨床心理士)は,こう指摘する。

 社会経済生産性本部の調査によると,7割以上の企業で心の病による1カ月以上の休職者が存在しており,この割合は年ごとに増えている。職種別に見ると,4人に1人が技術者で占められており,最も割合が高い。

 今回の取材からは,システム開発の現場にあるストレッサーがたくさん浮かび上がってきた(表1)。まずは,心の病でITエンジニアが開発現場を離脱していった事例を見てみよう。開発現場の悩みを浮き彫りにし,論点を整理する。

表1●ITエンジニアのストレッサー
表1●ITエンジニアのストレッサー

現場からの報告(1)
最初は心の病だと思わない

 地方にある小売店のシステム開発案件。期間3年,200人を投入した大規模プロジェクトである。要件定義は小売店のある地元で,開発はプログラマを大量に配置した東京で実施する。

 PMを務めた花咲哲氏(仮名)は「大規模だし場所も離れており,コミュニケーションが不足した」と語る。結合テストで多くの機能漏れや要件の誤認のあることが判明。画面を見た顧客が,要件の漏れと誤認を指摘してくる。修正に追われる日々が始まった。

 最初はモチベーションを高く持って仕事をしていたメンバーもやる気を失い,ストレスが高まってきた。リーダークラスのメンバーは,顧客からダメ出しを食らう日々が続いた。

 ある時,画面の機能を削減する必要に迫られた。その機能を担当するリーダーが,その内容や理由を説明できず,黙り込んでしまった。

 同僚の不調を「課題が多いので整理しきれないのかな」くらいに花咲氏は思った。しかし,そうではなかった。しばらくすると,そのリーダーは自分からは話もできなくなってしまったのである。「進捗などを問いかけても,分かりませんとしか答えてくれない。あるいは聞いたことと違う答えが返ってくるようになった」(花咲氏)。

 この段階で,心の病の可能性を疑う。そのリーダーが心療内科にかかったところ,うつ病の診断が下る。そして現場を離れた。

 心の病は,必ずしも最初からそれであるとの分かりやすい兆候を発するわけではない。「身体症状が最初に出やすい」(東邦大学 医学部 教授 医学博士 坪井康次氏)ため,本人でさえ体の病気と誤認するケースが多いという。

 周りからは「単にやる気がないだけなのか,病気の初期症状なのか区別が付きにくい」(花咲氏)というのが現場の感覚である。「前日までは普通に仕事をしていたのに,突然,会社に来なくなる」(金融系情報システム子会社のPM)といった声も聞かれる。

現場からの報告(2)
よかれと思ったことが追いつめる

 あのとき違う対応をすれば結果は変わっていたかもしれない。情報システム部門でPMを務める森防人氏(仮名)は,部下のうつ病発症をそう語る。

 その部下は責任感が強く,仕事を頼むと「やります。大丈夫です」と前向きな姿勢を崩さない人だった。ただ,他のメンバーの話を聞くのが苦手で,人を説得するのもうまくなかった。

 その部下の言動が,あるときから変わった。最初の変化は「最低限の報告しかしないようになったこと」(森氏)。そうした状態が数カ月続くと,今度は重要なミーティングに遅刻するようになった。

 「なぜ出て来ないんだ!」と森氏は叱責する。本人は黙る。翌日からますますミーティングに出て来なくなった。「皆に迷惑をかけている。謝るべきだ!」と森氏は迫る。

 納期が近づいて来た頃,その部下は出社しなくなった。何度か家まで行ってみたが,逃げ回るばかり。結局そのまま会社を去ることになった。

 「普通なら正しい指摘が,この場合には間違った指摘になっていたかもしれない」と森氏は振り返る。「本人もミーティングに出なければならないことを分かっていたはずだ。だが,うつ状態の人を叱責したことで,ミーティングに対するプレッシャーが高まり,ますます出席できなくなったようだ」。

現場からの報告(3)
予備軍がたくさんいる

 IT系のベンチャー企業に勤める水口宏行氏(仮名)は,驚くような体験をした。取引をしていたあるベンダーの研究開発部門が,心の病の連鎖により事実上,業務がストップするという事態に見舞われたのである。

 その部門には30人くらいのメンバーがいたのだが,2~3年も多忙な時期が続いていた。あるとき,メンバーの1人が医師の診断を受け,長期休養に入った。その負担をフォローした別のメンバーもうつ病を発症する。すると「自分も…」「自分も…」と続いた。

 しまいには管理職までがうつ病に。人の補充もままならぬまま,抱えていた仕事は延期となった。

 優秀な人たちの現場がこんなに病んでいるものなのか…。水口氏は首をかしげる。あるPMは次のように言う。

 「うつ病の患者が出る現場は,顧客が怒っていたり,納期が厳しかったりする。後継者は,ストレスのたまりやすい状態を引き継ぐことになる」。

 うつ病を発症するメンバーが1人いる現場には,たくさんのうつ病予備軍がいるかもしれない。何かのきっかけで予備軍は症状を発症する。