筆者が銀行員だった時代,それもシステム部門への配属前に営業店で融資を担当していた頃の話である。筆者は先輩から,銀行員にとって一番大切なのは「目利き」だと言われたことがある。

 取引先の財務諸表や中期計画をながめているだけでは,融資の可否は判断できない。現時点の数字がいくら良くても将来の見通しが暗い企業はあるし,逆に現在の業績はからっきし駄目でも急成長が見込める企業もある。その見極めには一種の勘に近い才能が必要で,要するに数字だけに頼らず,本物を見抜く目が肝心というわけだ。

 当時,新米銀行員だった筆者は,“ダイヤの原石”を発掘することが銀行員の使命であり醍醐味でもあると思っていたし,実際そういう目利きが筆者の周囲には大勢いた。しかし,いつしか銀行は,天井知らずの上昇を続ける担保価値頼みで機械的に金を貸すようになり,有望な企業を発掘して育てるという本来の使命はそっちのけになった。その後のてん末はご存知の通りだ。

 バブル崩壊は銀行凋落の間接的要因に過ぎない。真の原因が何かと問われれば,「銀行員が本物を見分ける目を失ったこと」だと筆者は答えるだろう。

 日本ではもともと「見かけは貧弱・貧相なのに,実は腕利き(あるいは知恵者)」という人物のキャラクタが好まれる。例えば時代劇では,昼間から酒浸りの貧乏侍,あるいは「ひるあんどん(昼行灯)」のように仕事のできない駄目侍が,実はもの凄い剣豪だったりする。

 「能ある鷹は爪を隠す」ということわざのとおり,見かけは貧弱だけど実は…という,この「実は」の部分が日本人は大好きなのである。良く言えば謙虚,悪く言えば消極的。日本人はアピール下手とよく言われるが,それはそれでいいではないか。

 ただ,最近はこの手の人材が減ったような気がする。能力を隠すどころかひけらかす,爪を出しっぱなしの人材が多いように思う。理由はいくつか考えられるが,筆者が懸念するのは,こうなった理由の1つに,隠された部下の能力を見抜く「目」を持った上司が減ったことがあるのではないか,という点だ。

 見かけが貧弱な侍が実は剣豪だった,という設定が成り立つのは,主人公が活躍する舞台があって,視聴者が侍の真の力を知っているからである。最初から最後まで貧乏侍のままではお話にならない。つまり,隠された爪は,それを見抜く者がいて初めて意味を持つのだ。

 その点,最近の管理職は,人そのものの評価よりも,その人が残した数字を重視する「成果主義」に頼り過ぎてはいないだろうか。確かに成果主義には,年齢を問わず能力のある者を評価するというポジティブな面がある。しかし「数字は嘘をつかない」というのは,一面では真理だが,一面ではまやかしである。

 モノ作りを仕事とするITエンジニアを,数字だけで評価することはできない。短時間で多くのプログラムを作る人材より,時間が多少かかっても丁寧な仕事をして品質の安定したプログラムを作る人材の方が優秀ではないだろうか。数字だけでは企業の本当の姿が分からないように,人間の力量も数字だけでは測れない。数字に頼って本物を見分ける力のない上司が増えていくと,アピール上手な人材だけが評価され,シャイでアピール下手な人材がそれだけの理由で埋もれてしまう。

 これでは,当人だけではなく業界全体にとっても大きな損失だ。「能ある鷹は爪を隠す」ということわざの響きをもう一度かみしめて,管理者たちは本物を見抜く目を養ってほしい。もっとも,いくら目利きの上司がいても,エンジニア本人に隠す爪がなければ話は始まらない。爪がない,あっても爪が錆び付いているエンジニアは,まず自分の爪を研ぐことから始めよう。

岩脇 一喜(いわわき かずき)
1961年生まれ。大阪外国語大学英語科卒業後,富士銀行に入行。99年まで在職。在職中は国際金融業務を支援するシステムの開発・保守に従事。現在はフリーの翻訳家・ライター。2004年4月に「SEの処世術」(洋泉社)を上梓。そのほかの著書に「勝ち組SE・負け組SE」(同),「SEは今夜も眠れない」(同)。近著は「それでも素晴らしいSEの世界」(日経BP社)