筆者が新米SEだったころの話である。出張先のロンドンで,当時担当していた支店のシステムにトラブルが発生した。どうやら原因は,筆者たちが手を出せるアプリケーション部分ではなく,サードパーティ製のミドルウエア部分にあるらしい。さっそく開発元の担当者を呼んだ。
大手ベンダーにしては珍しい対応の早さ(失礼!)で,英国人の担当者がわずか十数分で現場に駆けつけた。そのさっそうとした風貌は,今でも鮮明に覚えている。スポーツ選手かと見間違うばかりの立派な体格,知的でおしゃれな金縁眼鏡,上質な紺のスーツ,女性なら放っておかないであろう甘いマスク。だがそれ以上に筆者が目を奪われたのは,右手に握られた黒いアタッシュケースだった。
彼は現場に到着するやアタッシュケースを広げ,様々な機器を取り出してはコンピュータに接続し,“片手に端末,片手に電話”という格好でテキパキと修復作業を進めた。新米SEだった筆者にとって,その姿はまさにジェームズ・ボンド。黒いアタッシュケースはスパイ御用達の「七つ道具」のように光り輝いて見えたものだ。
だが今から思えば,出張サポートはたいていこんなものであり,当たり前の光景である。彼の持ち物にしても,「七つ道具」などという大そうなものではない。そもそも,電気製品の故障と違って,コンピュータ・システムのトラブルは原因が多岐にわたるため,万能の道具や対応策をあらかじめ用意することなど不可能だ。
だが,物理的な七つ道具は存在しなくても,トラブルシューターの心の中には確かに七つ道具が存在する。SEの仕事を長年にわたって続ける中で,筆者はそう考えるようになった。その七つ道具とは,知識,経験,情報収集力,忍耐力,勇気,集中力,そして愛情である。
最初の3つは言うまでもないだろう。豊富な知識と経験,正確な情報収集なくして,トラブルの迅速な解決は望めない。
忍耐力とは,プレッシャに耐える強靭な精神力のことだ。顧客からの苦情や時間との戦いなど,トラブルシューターは常にプレッシャを感じながら,システム障害の修復に当たらなければならない。
勇気とは,100%の成功が保証されなくても勝負できる強い気持ちのこと。トラブルシューターの世界では,仮に10%か20%の確率で失敗する可能性があっても,修復策を実行しなければならないケースがほとんどである。石橋を叩いている間にトラブルが拡大し,手が付けられなくなるような事態は,何としても避けなければならない。
集中力とは,文字通り一切の雑音を排し,目の前のトラブルに全神経を集中できる力のこと。トラブルシューターが,快適で静かな環境で仕事を遂行できるケースはまずない。トラブルに直接関係ないクレームや上司の小言など,現場の担当者を惑わす雑音は多い。その中でいかに集中力を保てるかが勝負である。
さて最後の愛情だが,これには色々な意味が含まれる。
1つはシステムに対する愛情だ。おもしろいもので,たかが機械と侮っていると,決して良い解決策は出てこない。逆に,愛着を持ってシステムに接していれば,不思議に良いアイデアが浮かぶ。
もう1つ忘れてならないのが,人に対する愛情,すなわちシステムを利用するユーザーへの愛情だ。システム障害の修復が成功して恩恵を受けるのは機械ではなく,機械を取り巻く人間である。彼らの喜ぶ顔が見たいと思えば,自然に修復作業にも力がこもる。SE,とりわけトラブルシューターは,人に対する愛情があって初めて良い仕事ができるのだ。
五十音が「あ・い」から始まるように,トラブルシューターの仕事も「愛」がなければ始まらない。愛情は決して欠くことのできない七つ道具の1つなのである。
| 1961年生まれ。大阪外国語大学英語科卒業後,富士銀行に入行。99年まで在職。在職中は国際金融業務を支援するシステムの開発・保守に従事。現在はフリーの翻訳家・ライター。2004年4月に「SEの処世術」(洋泉社)を上梓。そのほかの著書に「勝ち組SE・負け組SE」(同),「SEは今夜も眠れない」(同)。近著は「それでも素晴らしいSEの世界」(日経BP社) |
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