本記事は、情報システム事故に関するシリーズの9回目です。
 元は日経コンピュータ2003年3月24日号に掲載されたものです。

 3月3日、りそな銀行と埼玉りそな銀行は、我が国の情報システム史において前例がない偉業への挑戦を始めた。偉業とは、複雑極まるシステム再編プロジェクトを完遂することである。

 新たに誕生した二つの銀行の勘定系システムでは、本記事を執筆している3月11日までに大きなトラブルは起こっていない。りそなグループのシステム再編プロジェクトの先は長いものの、まずは順調な滑り出しと言える。

 非常に細かいことを言えば、3月3日以降、一部の店舗でATM(現金自動預け払い機)が使えなかったり、操作ミスによる2重引き落としが発生した。りそなグループとしては口が割けても言えないと思うので、本誌があえて代弁すれば、いずれも時にはやむを得ず起こる細かいトラブルであり、「実害はない」に等しい。

 それどころか、この程度のトラブルですめば、お見事と言ってよい。なぜか。第1に、りそなグループのシステム再編計画は非常に複雑である。大和銀行とあさひ銀行が合併して、りそな銀行になる一方、埼玉県の営業拠点は埼玉りそな銀行として分離した。このため、大和銀とあさひ銀の勘定系システムを接続するとともに、あさひ銀のシステムを2分割する作業を余儀なくされた。システム統合ではなく、再編と書いている所以である。

 第2に、開発期間が短かった。りそなグループがシステム再編の基本方針をまとめたのは2002年3月。今回の切り替えまで1年たらずしかなかった。悪条件がそろっているなかで、ほぼノートラブルで切り替えたのは立派である。

 成功要因として、本誌が2002年8月26日号の特集記事で詳しく報道しているように、プロジェクトマネジメントをしっかり実施したことが挙げられる。また、経営トップがシステムに土地勘を持っていたことも大きい。りそな銀行の勝田泰久頭取(りそなホールディングス社長を兼務)は、大手銀行のトップのなかで最もシステムに詳しい。

 あさひ銀行との経営統合が決まるとすぐに、勝田頭取はシステム統合の基本方針やプロジェクトの体制を決めて、指示を出した。このため、どこかの銀行のように、現場が右往左往することはなく、一気にシステム再編へ突き進めた。

 なぜ勝田頭取は、システムを分かっているのか。それは、大和銀が日本IBMに情報システムの開発・運用業務をアウトソーシングしたことがきっかけである。当時、勝田氏は大和銀の専務を務めており、責任者として、日本IBMとの契約交渉にあたった。

 筆者は、アウトソーシングは一種の必要悪と見ており、積極的には評価しない立場である。ただ、大がかりなアウトソーシングをすると、システムに関する意思決定に経営者を巻き込めることは事実であろう。これはアウトソーシングの効果と言える。

 りそなグループのシステム再編は始まったばかりであり、「まだ予断は許さない。これからも緊張感を持ちながら進めていく」(勝田頭取)。今後は、りそなグループの奈良銀行と近畿大阪銀行の勘定系をりそな銀行の勘定系(旧・大和銀のもの)に切り替える。さらに、旧あさひ銀のシステムを旧・大和銀のそれに一本化していく。

 一連のシステム再編が成功したとしても、りそなグループにとっては第一歩をしるしたに過ぎない。新システムを使って、りそなグループの各行が業績を改善してこそ、システム再編が価値を生んだと言える。とはいえ今は、第一の難関を超えたことを称揚する時だろう。

(谷島 宣之=「経営とIT」サイト編集長)


お知らせ
 本誌3月24日号の本欄で、「『りそな』のシステム再編は偉業」と題した記事を掲載しました。当該記事は3月11日に執筆したものです。その後、3月24日の朝から12時50分まで、旧あさひ銀行と埼玉りそな銀行のATMが停止しました。ただし勘定系本体は稼働しており、筆者はシステム再編そのものは成功裏に進んでいるとみています。