本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なりますが、この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

仕事ができる人とできない人,信頼される人と信頼されない人。どんな会社にも2種類の人たちが存在する。期待通り,もしくは期待以上の成果を上げてくれる人材は少数派である。同じ社員なのに,なぜ大きな能力差が生まれるのか。疑問に思う経営者やマネジメントも多いことだろう。この疑問にこたえ,人材育成という重要な経営課題を解決する処方箋が,「ビジネス・スキル」への着目である。

池田 輝久

 新入社員として入ってきたときは,間違いなく全員がやる気満々であったはずだ。その時点で,「できる人」,「できない人」という区別はなかった。「いや,入社のときすでに力量の差があったが,それを見抜けなかったのだ」と言う方もいるかもしれない。だが,そうだとしても傑出していたのはほんの数人で,大多数は同じスタートラインに立っていたと考えていいだろう。

 しかし,その後はどうだろうか。それから数年の間に急速に,できる人とできない人,言葉を換えれば,やる気満々の積極社員とやる気があまり感じられない受け身社員に仕分けされていく。経営者は「人材育成」と連呼しているにもかかわらず,教育・研修に多大な投資をしているにもかかわらずである。一体,彼らに何が起こったのか。

 彼らが入社してきた段階では,ほぼ全員が夢,希望と期待に心を躍らせていたことは間違いない。新入社員研修や配属された現場という環境の下で,自分が新たに所属する社会のルールを学ぶ。大きな会社であればあるほど,そこで教えられるルールの縛りは厳しいものであろう。

 しかも,上司や先輩社員は何でもよく知っている驚くべき超能力者に見え,入社早々の社員はまだまだ一人前には程遠いものだと実感させられるはずだ。彼らは与えられた仕事がこなせるようになるために,一生懸命に製品やソリューションの勉強に励むことになる。

 A君は,所属先の上司から教わる。「自分の考えや意見を言いなさい」,「間違いがあってもいいから積極的にお客様に行きなさい」,「うちの会社はすごいんだぞ」と。

 Bさんは,異なる部門に配属された。指示も違う。「指示されたことをきちんとしろ」,「間違いがないように注意するように」,「うちの会社には問題ばかりだ」と。

 容易に想像できるように,A君とBさんの今後のビジネス人生は相当に違ったものになってくるだろう。A君は前向きで積極的なビジネスを展開し,時々は失敗をするだろう。Bさんは失敗しないように堅実なビジネスを心掛けるだろう。

 このスタンスの違いは,彼らのビジネス・スキル(仕事をうまく遂行するためのスキル)の習得に大きな影響を及ぼすことになる。なぜなら,ビジネス・スキルは,実際の体験,すなわち“やってみる”ことでしか向上しないからだ。当然,成功も失敗もあるが,それらのどちらもビジネス・スキルの向上の糧となる。

ビジネス・スキルとは何か

 会社に入って何年もたったビジネスパーソンを見てみると,彼らの能力の違いに驚かされる。一人ひとりの素質にたいして大きな差があるとは思えない。しかし,彼らの仕事に取り組む姿勢,ことにあたったときの成果の違いにはびっくりしてしまう。その大きな差異は,新入社員のときから日々のビジネスを通じて得たビジネス・スキルからきている。

 彼らは,ビジネスをするために必要な製品・技術情報は同じように得てきたはずだ。社内の仕組み/手続き,契約条件も同一だろう。むろん,それらに対する理解度には大きな差がある。しかし仕事の出来不出来は,理解する能力よりも,熱意や経験に左右される,相手に自分の言いたいことを伝える能力の違いからくる。

 ビジネスパーソンの仕事は自分一人だけで完結することはできない。そこには必ずお客様や社内外の交渉すべき相手が存在している。すなわちビジネスパーソンの仕事は,自分が伝えたい内容や価値を相手に伝えることによって成り立つ。その伝える力こそがビジネス・スキルなのだ。

 我々ビジネスパーソンは何かを知っているかどうかを競っているのではない。その価値を相手により魅力的に伝えることでビジネス目標を達成できたかどうかを競っている。つまり,相手に伝えて目標を達成する能力,ビジネス・スキルこそが我々が最も力を入れて習得すべきものである。

 に筆者が定義している40のビジネス・スキルを挙げた。これらは,ネイチャー・スキル,ベーシック・スキル,アドバンスト・スキル,プロフェッショナル・スキルから成り立っている。今までのビジネス研修で対象とされてきたのはアドバンスト/プロフェッショナル・スキルの一部である。筆者は,ネイチャー /ベーシック・スキルにもっと注目すべきと思っている。それらの中身に目を向けていただければ分かるように,そこにはアドバンスト/プロフェッショナル・スキルの基本要素が含まれている。

図●ビジネス・スキルを構成する40のスキル
図●ビジネス・スキルを構成する40のスキル

 例えば,積極性,誠実さ,勤勉さ,自信,熱意。こうしたネイチャー・スキルなしには問題解決や交渉を成功裡に行うことはできない。知識,自己管理,達成力などのベーシック・スキルなしにはレベルの高い分析やプランニングなどあり得ない。想像力のない人が,戦略的に考えたり,シナリオを作るといったことは絶対に起こりようがない。

 段階を追ってビジネス・スキルを身に付けたいものだ。先ずはネイチャー・スキル,それからベーシック・スキル,そしてその上にアドバンスト/プロフェッショナル・スキルを積み重ねていこう。

山手線一周を歩く

 ネイチャー・スキルで特に重要なのは,忍耐強さだ。「今時の若者は」という表現は好きではないが,昨今の若者はこのスキルを磨く機会が乏しいように思える。筆者のビジネス・スキル・セミナーに出席している若手に格好のチャンスを与えようと,今年の1月4日,山手線の回りを徒歩で一周することに挑戦した。

 もっとも発端は,それほど意識的なことではなかった。「山手線一周は何キロあるだろう」。昨年の夏,熊野古道の紀州田辺の滝尻王子から熊野本宮までの約38キロを2日間で踏破した筆者は,達成感に酔いしれながら,ともに歩いた友人K君にこう聞いた。

 「さあ何キロでしょう。でも熊野に比べたら楽ですよ」。「そりゃそうだよ,なんせ我々は熊野を歩いたんだから山手線くらい楽勝だろう」。そのときの筆者にとって不可能な道はないように思えた。だから,ビールのジョッキをドンと置き,力強くこう宣言した。「K君,次は山手線一周を歩くぞ」。

 数日後,K君が言ってきた。「山手線一周は40キロくらいだから,半日もあれば歩けますよ」。勢いで,「じゃあ,いつやろうか」と切り返した。K君は待ってましたとばかりに,「正月だったら車も人も少ないから歩きやすいですよ」と笑顔で言った。

 「よし,1月4日にしよう。K君,年末年始に蕎麦とか餅を食いすぎて,つらい目にあわないように」。「やるぞ」と意気込む自分と,「大丈夫かな」と感じる自分が同居していることに気づいていた。果たして自分が先頭に立って歩けるだろうかと不安に襲われた。

 それから数週間後,どうしても歩かなければならない事態が起こった。研修の生徒さん3人が参加したいと言い出したのである。研修のときに,「参加したい者はいつでもウェルカムだ」と話していたからだ。もちろんOKし,「ついて来られるかな」と冗談を飛ばした。

 例年になく静かに年を越し,正月も酔って騒ぐことなく,妻や子供たちが「今年のお父さんは元気がないね」などと陰で言うのを聞き流しながら,筆者はエネルギーを十分に温存しようと努めた。

 4日の朝,天気予報は快晴であった。静かに家を出た筆者は,熊野のときと同じ格好で五十肩をやや気にしつつ,集合場所の渋谷ハチ公前へ行った。一番乗りだった。続いてK君の登場,パンを片手に二日酔いの残る顔は眠そうだった。「何だK君,その格好は暑すぎるんじゃないか」。K君の厚着ぶりに突っ込みを入れた。「大丈夫っす」。K君は余裕の笑みを浮かべた。

 生徒の3人が到着して,いよいよ出発だ。その前にハチ公の前で記念撮影をした。みんなは「今日は歩くぞ」とか「完走するぞ」と明るく楽しげに話しながら歩き始めた。

 まず恵比寿,目黒,五反田へと,山手線沿いの静かな道を歩く。多少の坂はあったが,この程度なら楽だなと,恐らく皆がそう思っていただろう。品川を越えたころ,みんなの話題は昼食のすし屋だった。浜松町からコースをはずれて築地に行き,安くておいしいすし屋に行くことになっていた。

 生徒さんたちはすし屋を目標に頑張って歩いていた。一方K君は早くも服を脱ぎ始め,額の汗をぬぐっていた。表情も二日酔いから体育会系のものに変わっていた。「これはなかなかやっかいかもしれない」。地図を見ながら不安に思った。まだ4分の1ほど進んだにすぎない。時計は11時を回っていた。

 すし屋に入ると皆の疲れはあっというまに吹き飛んだ。トロや穴子などをたらふく食べ,もう歩けないと冗談を言い合いながら,店を出たのが1時半過ぎ。予定より四十分ほど遅れていた。

 築地から離れて東京,神田,秋葉原と,オフィス街やデパートの並ぶ通りを快調に進み,上野,日暮里,漱石の通った団子屋の前を通って,西日暮里,田端,駒込へと歩いた。気が付くと,生徒さんのうち2人が遅れていた。彼らに合わせて歩くことも考えた。しかし,彼らのペースで行くとゴールは無理だろう。「巣鴨まで頑張ろう」と励ました。

 しかし,巣鴨で休める適切な場所が見つからず,結局先を急いだ。遅れた2人は痛々しく足を引きずり,もう限界を超えている感じだった。大塚で喫茶店に入り,2人は断念することになった。彼らには,「よく頑張った」と言った。悔しそうだったが,もう足が言うことを聞かないのだから仕方がなかった。残された生徒さんが彼らの分も歩くぞと気合を入れていた。

 筆者もなんとしても歩ききろうと思ったものの,足が棒のようになっていた。足のマメがつぶれ,指が痛んだ。それでも席を立ち,「よし行くか」と力を込めた。K君だけがチョコレートパフェを平らげて涼しい顔をしていた。

 後から思うと大塚から池袋,目白,が一番きつかった。日が沈みかけ,空の底が赤く染まっていった。足はもう限界に近づいていた,これ以上ペースを落としたらいつ渋谷に到着できるか分からない。意地でも先頭を歩いた。後ろで生徒さんが,「よし」とか「もう少しだ」と叫んでは自分を鼓舞していた。

 高田馬場から新大久保,新宿は夜のネオンの下を歩いた。アスファルトの硬さが膝と腰をきしませた。信号が赤の間はストレッチをせずにはいられなかった。そして代々木から原宿へ,ついにK君が先頭に立った。筆者は彼に遅れまいと必死の形相で,坂道は手を振って登った。

 いよいよ渋谷のビル群が見え始めた。「やった,もうすぐだ」。思わずそう叫んだ。他の2人も同調した。皆の速度が少しだけ上がる。渋谷のいつもの人ごみの中に入っていき,汗を散らし,痛みきしむ体を前に押し出すように歩き続ける。そしてハチ公の前に戻ってきた。ついに山手線一周を歩き切った。K君と生徒さんと握手を交わし,ハチ公の前で再び写真を撮った。そして家で静かに祝杯を上げるために,電車に乗って帰った。

 皆と別れてから,急に足や腰がほとんど固まってしまった。はうような気分で家のドアを開けた。妻は半分あきれ,半分は心配顔をしていた。なおも強がって「平気平気」と軽口を飛ばしていたが,布団に倒れて目を閉じたとたんに眠りこんだ。

 その後数日間は体中が痛く,重かったが,それも今になってみれば心地よいものだったといえる。1月7日,意気揚々と若い社員よりも先に出社し,仕事に取り組んだ。とにかく,自分がこれをやると決めたことをまた一つ成し遂げることに成功した。それがきっと,これからの自分を支えてくれると思っている。

 後日,K君と話したところ,あろうことかK君はあの日の夜にそのまま飲み会に出席したという。ところが酒を飲みながら靴下を見ると血がにじみ出ている。あわてて靴下を脱いだところ,両足の中指の爪がはがれていた。驚いた途端,急に体中が痛み出したそうだ。