本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なりますが、この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

情報システムの操作方法を記述した「マニュアル」は必要不可欠のものだが,現実には手抜きのマニュアルが少なくない。システムの利用者の視点に立って,マニュアルを作り直すことで,システムの利用度合いはぐんと高まる。見直しのカギは,利用者が業務の流れとシステムとの関係を理解できる記述にすること。各操作画面ごとに利用者が疑問に思う点を整理しておくことも必要だ。

岩井 孝夫

 企業情報システムを構築するプロジェクトの成果物は何か。一つはもちろん,企業情報システムそのものである。もう一つ,忘れてはならないものがある。そのシステムの利用方法を記述したマニュアルだ。

 完成したシステムが現場の利用者にしっかり使ってもらってこそ,そのプロジェクトは成功したと言える。そのカギを握るのがマニュアルである。

 ところが,企業の情報化の現場に行くと,驚くほどいい加減なマニュアルしか用意されていないことが多い。システム構築プロジェクトのメンバーは稼働直前まで開発作業に追いまくられ,マニュアルにはなかなか手が回らない。数十億円を投資したシステムに,数人の担当者が2週間くらいで作ったマニュアルという組み合わせは,あまりにもアンバランスである。

 最近はERPパッケージ(統合業務パッケージ)を使ったプロジェクトが増え,さらにマニュアルがいい加減になっていることが多い。ERPパッケージには,操作画面ごとにヘルプ画面が一応用意されている。それを使えば一通りの処理ができるという考えから,マニュアルをほとんど作らなかったりする。これは,現場の利用者を無視した暴挙であろう。

 ERPパッケージの導入により,現場が不満を抱くという話はよく聞く。その原因は,業務プロセスの見直しに伴うあつれきということより,操作画面がわかりにくいという単純な,だが利用者にとっては深刻な理由だったりする。高価なERPパッケージを買っておきながら,まったくもったいない話である。

システム部門の評価を高める近道

 おそまつなマニュアルが出回る理由として,マニュアル作りにお金と時間をかけていないことに加え,情報システム部門あるいはベンダーの開発担当者がマニュアルを書いていることが挙げられるのではないだろうか。情報システム部門やベンダーはどうしても,システムの作り手の視点に立ってしまい,実際にシステムを使う利用者の目で,マニュアルをなかなか書けない。作り手の視点からではなく,システムを使う利用者がどこでひっかかるのか,何がわからないのか,といったように,使う人の気持ちになって考え,マニュアルを整備する必要がある。

 筆者は情報システム部門が企業の中でもっと評価されるための,一番の近道として,マニュアルの見直しがあると考えている。企業は,経営に役立つ情報システムを求めている。それは,現場の利用者がしっかり使えるシステムということでもある。ともすれば,情報技術(IT)に気を取られがちなシステム部門が,経営に役立つシステムという基本に戻る第一歩が,マニュアルの見直しと言える。

 情報システム部門が,利用者が喜ぶようなマニュアルを提供できれば,システム部門の評価はぐんと高まる。これは間違いないことである。逆に利用者の立場を理解したマニュアルを作れないようなシステム部門が,「利用部門に改革を提案するシステム部門を目指す」とか,「経営企画に近いシステム部門が目標」などと言うのは僭越ではないだろうか。

二つの内容を盛り込むことがカギ

 企業情報システムのマニュアルは,大きく二つの内容を備えている必要がある。まず,実際の業務の流れと,システムの関係,特に操作画面との関係をわかりやすく記述することである。これは意外に見落とされがちな点だ。もう一つは,個々の操作画面で利用者が戸惑わないようにするガイド/ヘルプを充実させることである。

 企業情報システムは,ワープロや表計算ソフトとは違って,企業の業務の流れに組み込まれて使われる。したがって,ガイド/ヘルプを記述した操作マニュアルだけでは不十分である。

 各業務がどのような処理の流れになっており,各処理にはどのような意味があるのか。だれがいつ処理をするのか。そして,各処理には,どのような操作画面が必要なのか。こうしたことをわかりやすくまとめておかないと,仕事の中でシステムを使いこなせない。

 システム設計の効率追究が理由で,実際の仕事の流れと,システムの操作画面の順番があっていない場合もある。その場合,仕事の流れの中で,操作画面の説明をしておかないと,利用者は混乱してしまう。

 もちろん,操作画面ごとのガイド/ヘルプ情報も重要である。利用者はシステム部員が思うようには,システムを操作しないことが多い。この操作画面で入れてよい数値はこれ,入れてはいけないものはこれ,といったことまで,記述しておけば,利用者にとって親切なマニュアルになる。

 最近の情報システムは,単なる計数を扱うだけではなく,カスタマ・リレーションシップ・マネジメント(CRM)システムのように顧客情報という非定型な情報を扱うものまである。顧客情報をどのような形で入力していくか,この点に注意して入力せよ,といったガイド/ヘルプが求められるだろう。

設計書から業務の流れを書き起こす

 マニュアルを作り直すプロセスを図1に示す。まず,「だれがどういう目的で,どんな場面で,どのように使う」マニュアルなのかをはっきりさせる必要がある。それによって,先に述べたマニュアルの持つべき二つの内容のどちらを重視すべきかが明確になる。

図1●情報システムのマニュアルを作り直すプロセス
図1●情報システムのマニュアルを作り直すプロセス

 マニュアルの再整備にあたっては,業務の流れに力点を置くのか,操作を重視するのか,のいずれかにポイントを絞ったほうがよいだろう。理想は両方の内容を兼ね備えたものを作ることだが,それには相当な人材とコストが必要になる。それよりまずは,どちらかだけでも充実させ,現場の利用者の評価を得ていくことが先決だ。

 どちらに力点を置くにせよ,見直しにあたって,現場の利用者の声を聞くことが欠かせない。開発側では思いもよらない指摘がきっとあるはずだ。次に,そのシステムの仕様書や設計書までさかのぼる必要がある。仕様書や設計書を見て,実際の業務の流れを書き起こしていく。また,操作画面ごとのガイド/ヘルプは,システムの入出力設計書に記述された入力項目や条件などを基に作っていく。

 作り直したマニュアルはできれば,電子化することが望ましい。デジタル・データにしておき,CD-ROMで配布するか,イントラネットから閲覧できるようにする。電子化しておくと,なんといっても,変更内容を反映するのが楽である。

 マニュアルを再整備し,成果を上げている実例として,東京電力の「配電総合管理システム」をここでは紹介する。同システムのマニュアルは2200ページに及ぶ膨大なもので,東電はこれらを電子化し,関係会社にCD-ROMで配布するとともに,社内ではイントラネットから利用している。以下,東京電力配電部業務システムグループの谷潤太主任の話を参考に,電子マニュアルについて紹介する。