企業情報システム開発の生産性向上や品質向上のための切り札の一つとして,製造業の「工場」をモデルにソフトウエアを開発する「ソフトウエア・ファクトリー」に注目が集まっている。この特集では,ソフトウエア・ファクトリー構築に取り組むITベンダーやユーザー企業の現場を紹介する。
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<目次>
<1>製造業をモデルにしたソフト開発環境<2>アプリの種類ごとに“工場”を整備
<3>製品系列の考え方で開発を効率化
<4>計画を基に作業指示を画面に表示
<5>方法論---注目集める「Software Factories」
ソフトウエア・ファクトリーの源流
ソフトウエア・ファクトリーという概念は,すでに1960年代からあった。特に進んでいたのは,日本の大手コンピュータ・メーカーのソフト開発現場である。
実際,日立製作所や東芝といったコンピュータ・メーカーは,1960年代から独自に「ソフトウエア工場」を設立していた。例えば,日立製作所では,メインフレームのOSやミドルウエア,データベースといった自社のソフト製品などを,東芝では発電所の制御ソフトや上水道の管理/制御ソフトなどを対象にソフトウエア工場を構築した。
当時のソフトウエア工場では,開発手法や開発ツールを統一したうえで,開発拠点を集約。プログラムを自動生成するなどして生産性を向上させていた。1980年代になると,その取り組みは海外からも注目を集め,米国から視察団が日本のコンピュータ・メーカーのソフトウエア工場を訪れたほどである。
ただし,当時は開発言語やOS,ミドルウエア,ハードウエアといったソフト開発に必要なすべてのリソースを1社のコンピュータ・メーカーが提供するプロプライエタリな環境だった。このため,ソフトウエア工場を構築しやすい背景があった。
しかし,オープン化が進んだ1990年代以降,ソフトウエア工場は「死語」になっていった。オープン化が進むとともに,開発言語やOS,ミドルウエア,ハードウエア,開発手法が多様化。その結果,メインフレーム時代のように,開発手法などを統一することが難しくなったためだ。
最近,ユーザー企業やシステム・インテグレータが再び「ソフトウエア・ファクトリー」に注目しているのは,オープン技術が使いこなされてきた結果,フレームワークやソフト部品を使う開発手法がある程度固まってきたことが大きい。
電通国際情報サービスで「金融工場」の整備に携わる比嘉康雄氏(事業推進本部開発技術センターSeasar2技術推進グループ統括マネージャー)も,「だれが開発してもぶれないアプリケーションの開発手法がある程度見えてきたために,再びソフトウエア・ファクトリーが注目されてきたのではないか」と分析する。