尾関雅則氏は我が国の情報化を牽引したリーダーの一人である。国鉄時代には本格的なプロジェクトチームを作り、大型コンピューターを使って、みどりの窓口の座席予約オンラインシステムを開発、1973年1月に完成させた。日立製作所の常務に転じてから、パソコンなどオフィス製品事業の責任者となり、87年には国鉄の民営化によって作られた鉄道総合技術研究所の初代理事長に就任した。2007年現在も、IT関連の勉強会などに顔を出し、発言や質問をされている。

 その尾関氏は10年前、73歳の時に「オゼのホームページ」を開設、情報化やプロジェクトに関するエッセイを執筆した。今回、本サイト上に、オゼのホームページを復刻する。10年前の論考であっても経営とITに関わる本質的な意見が綴られている。


システム学が必要になった

 あいまい性と個性というシステム固有の特徴は、システムというものの本質に根差す、ものかもしれません。もし、そうであるなら、システムというものは百年も前から造られてきた機械や設備等のハードとは本質が異なる故に、そのような特性があるのだと言うことになります。

 この“あいまい性と個性”という二つの特性が、システムの本質に根差す根源的なものだとすると、一体その根元とはなんでしょうか。機器とシステムを対比させて考えてみましょう。

ハードの根元は物理学

 いま、世の中で動いている、ハードを中心とする機器を、成立させているものの“おおもとの原理”は、物理学ではないでしょうか。物理学は十九世紀に入ってから、急速に発達したのですが、そのためには、 デカルト哲学の影響が大きと言われています。

 デカルトの哲学は、簡単に言えばある公理(仮説)を認めた上で、 それが成立する世界のうちに限定して、論理を組みたてたものだといわれています。

システムの根元は?

 これに反して、システムの方の根元は、物理学だけとしては、ぴんと来ません。物理学も一部にはあるでしょうが、その外に色々な要素があると考えられます。かりにそれらを“システム学”と名づけると、それはどんなものになるのでしょうか。

 システム学は、まだ一つの学問とは認められていませんが、システム工学やシステム科学とは大部違ったものとなるでしょう。将来システム学が発達して一つの学問体系となるならば、それは“ベーコンの哲学”に深く根差すことになるでしょう。

 ベーコンの立場は“森羅万象すべてを説明できないものは真理にあらず” 言うことであると言われています。この哲学には、ジェネラル という言葉がぴたりときます。“General Systems Theory”という本がありますが、これを、一般システム工学としたのは、大変な誤訳であって、このGeneralは 元帥のジェネラルが正解です。

ジェネラルとは?

 Generalを地でいった人々には、ダビンチやゲーテ、そして寅彦や鴎外 などの名前がふさわしいと思います。寅彦の随筆の中に“割れ目の研究”というのがあります。“稲妻の形”と“壁のひび割れの形”、“干上がった沼にできる割れ目”などが皆同じ形をしている話や、割れ目を人工的に造る実験の話が載っています。

 このようなことを一般的に説明する原理を求める立場が、Genrralということではないでしょうか。こういう考え方はシステム学入門に役立つと考えられます。

(オリジナルは1998年11月4日公開)