生活雑貨メーカー「いろは物産」の新米CIOである小林は,今朝もいつも通り出勤するとパソコンの電源を入れ,メールの確認をしていた。そこに情報システム部課長の山下がやって来た。

山下:部長,おはようございます。朝から少々面倒なことが起こっておりまして…。

小林:今度は何だ?

山下:お客様のところに妙なメールが届いているようなのです。お客様から転送していただいているので,情報システム部にお越しいただけないでしょうか?

 情報システム部に着くと,山下は小林にパソコンの画面を見せた。

図1●お客様から転送されて来たメール
図1●お客様から転送されて来たメール
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小林:なんだこれ? ウチのオンライン・ショッピング・サイトのセキュリティ向上? 本人確認? こんなメールを送っていたのか?

山下:いえいえ。わが社からはこんなメールは送っていません。これだけじゃないんです。このメールの送信元のアドレスと,紹介しているサイトのURLをご覧になってください。

小林:「iroha-???.com」? ウチのドメインのようだな…。

山下:一見ウチのドメインのように見えますが, co.jpドメインでなくcomドメインになっています。実はぜんぜん違うドメインなんです。

小林:…ってことはこれは?

山下:いわゆるフィッシング・メールです。

技術解説

 フィッシング (phishing) とは,金融機関やクレジットカード会社などの偽サイトを用意し,ユーザーをそこに誘導して,入力された口座番号やキャッシュカードの暗証番号などの個人情報を盗み出す行為である。金融機関やクレジット・カード会社を差出人としたように見せかけたメールを不特定多数のインターネットユーザに送付し,そのメールに記した偽サイト(フィッシング・サイト)に誘導して,フォームに個人情報を入力するように促す手口が多い。

 一般的には金融機関やカード会社などのサイトが騙られるケースが多いが,今回のようにオンライン・ショッピング・サイトを騙ることもある。

小林:このフィッシング・メールに書かれたドメインは存在するのか?

山下:ドメイン自体は確かに存在するようなので,あとはサイトの存在を確認すればよいのですが,不審なサイトなので,アクセスして万が一のことがあってもいいようなパソコンを今用意しているところです。

 このような事態で重要なのは,「事実確認」である。今回のケースでいえば,自社を騙ったサイトが本当に存在するのか,またそれはたまたま似ているだけなのか,それとも意図的に利用者を騙そうとしているのかを速やかに確認する必要がある。

 しかし,山下が述べているように,このような送信者が不明のメールに書かれたURLに不用意にアクセスするのは極めて危険である。最近では,ウィルスやボットなどのいわゆる「マルウェア」は,メールに直接添付するのではなく,メールに書かれたURLにアクセスさせることで,ブラウザの脆弱性を使って感染させるケースが増えているからだ。

 したがって「不審なサイト」にアクセスするには,何らかのマルウェアに感染してもすぐに初期化再インストールできる PC を用い,さらに,そのパソコンは社内ネットワークとは切り離しておくべきである。

山下:パソコンの準備ができたようです。アクセスしてみます。

 山下がメールに記載されたURLをコピー・アンド・ペーストしてアクセスしてみると,「いろは物産」のサイトとそっくりなページが現れた。

小林:なんだこれは? ウチのサイトとそっくり同じじゃないか?

山下:しかも,ページの下を見てください。「いろは物産」って書いてあります。明らかにウチを騙ったサイトですね。

 今回は完全に同じ社名を使っていたため,騙っていることがすぐに確認できたが,たまたま偶然似たような紛らわしい社名を使っている場合もある。CIO は,Web サイトのデザインや内容などから,本当に自社を騙ったサイトであるのか,似ているだけのサイトなのかを慎重に判断しなくてはならない。

小林:何が目的なんだ?

山下:再登録を促しているところから見ると,ユーザの個人情報,特にクレジット・カードの番号,名義,有効期限などを収集することが目的のようです。

小林:なるほど...

山下:しかもご丁寧に正規のSSL証明書まで使っているもんだから,ブラウザでアクセスするだけなら警告も出ないし…。

小林:SSL証明書?

山下:正規のサイトであることを示すための電子証明書ですが,このサイトの証明書によると,このサイトの持ち主はIroha Productsという会社になってます。

小林:ウチの会社名の英語表記はIroha bussanだろ?

山下:つまり,わざわざこんな紛らわしい名前で証明書まで取ってたんですよ。かなり悪質ですね…。

小林:何てこった…。

技術解説

 一般的に,フィッシング被害に遭わないためのユーザ向けの注意事項として,当該サイトでSSLが使われている,すなわちURLがhttps://で始まることを確認し,さらにブラウザが警告を発しないことを確認すべしとされている。確かに正規の証明書発行機関が発行した「正しい」証明書が使われていれば,ブラウザは警告を発しない。しかし現実には「紛らわしい社名」で正規の証明書発行機関から証明書の発行を受けているフィッシング・サイトも存在する。


押田 政人(おしだ まさひと)
セキュリティを専門とする IT ライター。翻訳にも携わる。最近手がけることが多いテーマは、セキュリティ対策に必要な企業内組織体制。長年セキュリティ組織のメンバーとして活躍してきた。そこで培った豊富な知見と人脈が強み。