東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター 特任研究員 吉川 良三氏
東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター
特任研究員
吉川 良三氏

 私は、1993年から約10年間、韓国・三星電子(サムスン電子)のものづくり、特にIT活用に携わってきた。2003年に日本に戻って驚いたのは、日本は韓国、台湾、場合によっては中国にも技術的に抜かれ、「日本のものづくりはだめになった」という風潮だった。だが、日本の技術は世界に冠たるものがあり、負けているとは思わない。ただ、日本のものづくりがそのまま世界に通用することは、あり得ないのではないかと思っている。


日韓で異なるものづくりの経営戦略

 私は、「ものづくり産業地政学」という仮説で、ものづくりの経営戦略と開発プロセスはその国の文化や環境、政治によって違うのではないか、と考えている。また、イノベーションを追求することが、果たして競争優位の源泉になるのかという研究もしている。

 実は三星電子では、イノベーションがほとんど起こっていない。正確に言うと、技能を改善・改良して組み合わせ、新製品や新サービスをつくる「インクリメンタル・イノベーション」分野には取り組んでいる。だが、新しい科学理論をベースにした技術や、異分野の知識を融合させて、新しい製品や新サービスをつくる「ラジカルなイノベーション」分野は日本以外でほとんど手掛けていない。にもかかわらず、三星電子は2000年以降、1兆円以上の利益を出している。それは技術の問題ではなく、経営戦略の問題ということなのだ。

国際化戦略からグローバル化戦略に

 韓国では、97年に国家的な金融危機、IMF危機が起こったが、三星電子はこのあたりを境に大きく変わり、急成長していった。93年に三星の李健煕会長が危機感を持って新経営を打ち出し、それまでの日本追従路線の方向を転換した。日本に追随して、海外に工場や拠点を展開したり、海外企業に投資したりする「国際化戦略」から、市場性のあるところに工場や拠点、R&Dを移し、その国が望む商品をつくって売っていくグローバル化戦略に切り換えた。その結果、今、インドで家電製品の90%、ブラジルでも93%は三星とLGというほどに、BRICs市場で韓国企業がシェアを握っている。

 ITもグローバル化に対応するように変革している。97年までは、日本と同様にITを組織でツールとして使っていたが、「ツールからシステム」へと進化させ、組織とプロセスを変えていった。私もかかわったが、三星電子グループのグローバルなものづくりにおける情報システムを構築したのだ。

 例えば開発製造のプロセスを大きく変え、経営管理、顧客管理、供給管理など全社のe-Processと、部品業者、供給者・協力企業、関係者などのPartner e-Processとの同期を取る。具体的にはCADやCAM、部品管理、SCMなどすべてのシステムを、PDM(製品データ管理)経由で全世界のサプライヤ、協力会社、OEM先メーカーなど外部とつなぎ、ポータルから「見える化」していった。

 この情報システムは2010年の完成を目指しており、現在約70%を構築したところだ。それによって、グローバル展開した工場での部品調達率が格段に上がり、数千億円にのぼる材料費削減ができたと聞いている。こうした経営戦略で、2000年には約4兆円の売り上げに対して1兆円超の利益を出し、うち約4000億円はITによる効果だと思う。

ものづくりを設計情報の流れでとらえる

 今、東京大学のものづくり経営研究センターでは、21世紀のものづくり「統合型ものづくりシステム」の研究に着手している。その特徴は、ものづくりを、ものの流れを中心に考えるのではなく、「設計情報の流れ」でとらえている点である。しかも、そこでもITの活用は、「ツールからシステム」へという視点になる。

 1つの仮説だが、「フォワード型」と言える日本型ものづくりプロセスでは、マーケティング・商品企画・構想設計とR&Dにコストと時間を費やし、構造設計でサプライヤと部品・金型をすり合わせてから生産準備に入る。そのため、生産までに数年を要するが、多大なコストを投じたラジカルなイノベーションが起こる。

 他方、「リバースエンジニアリング型」と言える韓国型は、日本が起こしたイノベーションの成果からスタートする。構造調査でまず日本の製品を分解して、機能と性能、部品などをすべて調べ上げ、これを基にグローバルな視点で商品企画、機構設計をする。設計検証、生産準備段階では、既存の部品を多用したオープンなモジュラー部品を使って、生産に入る。

 グローバル化における企業にとってのものづくりとは何か。1つは、基本的な設計思想である製品アーキテクチャ、製品アーキテクチャによる位置取り戦略、その製品をどこに売るかを考えることが非常に重要になる。このアーキテクチャ位置取りは、製品の買い手や原料の売り手、競争相手、新規参入者、代替品などが一番弱いところに進出すれば、製品は必ず売れるという考え。つまり、BRICs市場を集中的に狙って、位置取り戦略を考える。

 製品の競争力の面では、技術力をうたうのではなく、顧客に見える競争力に力を入れていく必要がある。ただし、日本は改善能力、生産性など「裏の競争力」に強いのに対して、韓国は、価格や納期、ブランドなど顧客に見える「表の競争力」が非常に強い。グローバル的には、「表の競争力」が絶対必須条件で、しかも2ケタの営業利益を上げないと相手にされないのだ。

 企業が生き残るためには、その時代の環境に適応した事業構造に転換する必要がある。そして、革新的な技術開発戦略による自らの強みを生かした戦略構築能力をもち、原料調達から開発、生産、販売のプロセスにおいて、IT活用によるグローバルなサプライチェーンの構築が重要になる。