日本におけるIT投資の矛先はどこに向いているのだろうか。ガートナーが世界のCIOを対象に実施した調査(ガートナーの調査結果)によれば,日本のCIOが最も高い優先度を与えているテーマは「セキュリティ技術」だった(図1)。ところが,世界のCIOが最優先にITを利用しようとしているテーマは「BI(ビジネス・インテリジェンス)アプリケーション」である。ここにも,守りの姿勢の日本,攻めの姿勢の世界,という構図が現れている。

図1●日本はセキュリティ重視,世界はBI重視
図1●日本はセキュリティ重視,世界はBI重視
(ガートナー調べ)

 セキュリティ技術が重要なのは言うまでもない。ただ,セキュリティの脅威にさらされているのは日本だけではない。世界共通の課題である。それにも関わらず,世界のCIOはセキュリティ技術の重要性を第6位と認識しているのに対し,日本はなぜ最優先課題と位置づけるのだろうか。この理由のひとつは,ここ数年の日本の企業環境にある。

ITはいつから,コンプライアンス向上のツールになったのか

 このところ,日本では企業のコンプライアンス問題に対して,かつてないほどの高い関心が寄せられている。「個人情報保護法(2005年)」に続き,「日本版SOX法(2008年)」といった法令への対応に,ITは欠かせない。昨今のIT投資は,こうした企業コンプライアンス問題への対策に費やされることが多かった。

 ITベンダーはどう対峙したか---「個人情報保護法」特需あるいは金融商品取引法の一部として定められたいわゆる「日本版SOX法(施行は2007年9月30日,適用は08年4月以降に開始する事業年度から)」特需とほくそ笑み,コンプライアンス向上におけるITの重要性をユーザー企業に説いてきた。その結果,日本全体の風潮として,「ITは生産性を高めるツール」であるという本来の意味合いは忘れ去られ,「ITはコンプライアンス向上のツール」だとの思い込みが蔓延しつつある。日経情報ストラテジーの調査でも,日本のIT部門が今後2~3年で最も積極的に投資する分野としては,約23%が「内部統制関連」を挙げており,「経営層向けの意思決定支援」といった攻めのIT投資の8%を大きく上回っている。これでよいのだろうか。

 世界のCIOが最重要だと指摘したビジネス・インテリジェンス(BI)アプリケーション---この本質は,新規事業の創出にある。つまり世界のCIOは,ITを駆使して,新たな事業展開の方向性を見い出そうと躍起になっているわけだ。攻めの姿勢があるからこそ,セキュリティの重要性を認識しつつも,BIに高い優先度を与えている。そのビジネス・インテリジェンス・アプリケーションに対して,日本のCIOが付けた優先度が9位だったのは,残念な結果だ。

「新規ビジネスの開拓」へのIT投資は35%

 日本の経営者の視線はどこに向いているのか---これを調べる目的で,日経BP社のWebサイト「経営とIT」は,日経BPコンサルティングと共同で,2000人を対象にした意識調査を実施した(調査結果)。「あなたの勤務先で,経営陣が経営課題として挙げているものをすべて選んでください」との問いに対する回答は以下の通りだ。

(1)コンプライアンス(法令遵守,回答率72.8%)
(2)顧客満足度(CS)の向上(59.3%)
(3)個人情報保護への対応(52.0%)
(4)市場競争力の強化(50.6%)
(5)業務全体の効率化(48.7%)
(6)内部統制(SOX法,45.5%)
(7)人材育成(42.3%)
(8)新規ビジネスの開拓(35.3%)
(9)商品開発力の強化(33.3%)
(10)ISOなど国際標準規格への対応(32.2%)

 やはり,上位は(1)のコンプライアンス,あるいは(3)の個人情報保護への対応,そして(6)の内部統制と,守りのIT投資だった。それに対して,(8)の新規ビジネスの開拓,(9)の消費開発力の強化はいずれも30%代と低迷した。経営とITサイト編集長の谷島宣之氏も,「内向き,後ろ向きのIT投資ばかりでは,先行きが暗い」と警鐘を鳴らす。

自ら好んでCIOになった人,手を挙げて下さい

 日本において,「ITが生産性向上のツール」という認識が高まらないのは,CIOおよびIT部門の社内におけるポジショニングにも理由がある。日本において,CIOおよびIT部門を戦略部署と位置づけている企業がどれだけあるだろうか。日本企業で,自ら希望してCIOの座につき,社内改革の先陣をきっている人がどれだけいるだろうか。

 本来なら,CEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)と一体になって,会社を横断的に改革できる立場にあり,会社全体の業務にメスを入れるのがCIOの役割である。会社の業務のあり方そのものを変えるツール,それがITのはずだ。しかし現実には,CIOの職を拝命し,ITの知識も乏しいまま,あるいは会社全体を変えようという意欲が欠如したまま,何となくCIOの座についている人が大多数ではないだろうか。だからこそ,CIOおよびその配下にあるIT部門は「現場の御用聞き部門」と揶揄されてしまうのである。年間に数百人のCIOと語り合うというガートナージャパン代表取締役社長の日高信彦氏は,「使命感をもったCIOは,まだ一握りでしょう。多くのCIOは受身的なのが現実です」と,平均的CIOの意識の低さを嘆く。

 こうした傾向を定量的に示した調査結果がある。アクセンチュアの調査によれば,「IT投資と経営目標の整合性が取れている」と回答した日本のCIOは38%しかいない(図2)。米国のCIOのうち82%が「YES」と回答しているのに比べて,半分に満たない。いかに日本のIT部門が経営からみて,蚊帳の外に置かれているか,おわかりいただけるだろう。

図2●IT部門と経営者は,連携が取れているのか
図2●IT部門と経営者は,連携が取れているのか
(アクセンチュア調べ)

 また同じ調査において,「CIOと経営層が連携を取れていますか」との問いにも,「YES」と答えたのは日本のCIOが43%と,米国の79.5%を大きく下回る。CIOおよびIT部門は,バックヤードの存在であってはならない。矢面に立ち,会社の戦略立案に深く関与していくべきなのである。これを実現するには,IT部門は会社のことを熟知している必要がある。どのような組織なのか,各部門における業務内容は何か,人事・経理の流れはどうなっているのか,などである。ITの知識だけでは,会社の経営戦略に関与できない。こうした認識の下,IT部門にも,それぞれの現場を経験させようと,密に人事交流を図る企業も出てきている。IT部門ではなく,ユーザー部門出身のCIOも増えてきた。この傾向をもっと加速させたいところだ。

気持ちは「攻めの投資」に,後は実践を伴うのみ

 ただ,ネガティブな材料ばかりではない。日本でも,攻めのITに積極的な数少ない企業を手本としつつ,「守りのIT投資」からの脱却を図ろうという企業が増えつつある。先に紹介した日高氏も,「グローバル競争にさらされているIT先進企業を中心に,一歩一歩ではあるが,日本でも確実に意識改革が進んでいる」と,ユーザー企業のCIOにエールを贈る。

 例えば,日経情報ストラテジーは,IT投資の効果に関して,こんな調査を実施した。「今後,2~3年で効果を出したい」テーマと,「現時点で効果が出ている」テーマをCIOに尋ねた。この差が大きい領域はどこだったか。「今後,2~3年で効果を出したい」に対して,「現時点で効果が出ている」との回答が多かったテーマは「業務プロセスの改善・省力化」だった(図3)。

図3●日本のIT部門の関心事は「省力化・効率化」から「意思決定・判断の質的向上」へ
図3●日本のIT部門の関心事は「省力化・効率化」から「意思決定・判断の質的向上」へ
(日経情報ストラテジー調べ)

 つまり,日本でも「コスト削減のITツール」には概ね合格点を与えている。このテーマを卒業し,次はどのテーマに注力するのだろうか。「現時点で効果が出ている」との回答に比べて,「今後,2~3年で効果を出したい」との期待が大きく上回ったのは「意思決定・判断の質的向上」である。日本のCIOとIT部門も,意識の中では攻めのIT投資に舵を切ろうとしていることの表れといえるだろう。後は実践のみだ。