第1回、第2回は、危機管理対策の先進国である米国の状況を紹介する。同国の危機管理対策は、2001年9月11日に発生した同時多発テロを機に、大幅に見直された。その後も、過去の災害事例の教訓などから、随時見直しがかけられている。
第1回ではまず、同時多発テロと、2005年8月に全米史上記録に残る自然災害をもたらしたハリケーン「カトリーナ」で何が起きたかを示す。組織として危機管理に必要なものを明らかにするためだ。さまざまな教訓が残されたが、なかでも特に、組織間連携と情報共有の重要性が浮かび上がってくる。続いて第2回では、こうした組織間連携と情報共有が、米国でどのように実現されているかを解説する。
【同時多発テロ】
警察と消防の連携不足が犠牲を拡大
写真1●WTCにおけるスタッフの活動 出典:米連邦緊急事態管理局(FEMA) [画像のクリックで拡大表示] |
事件そのものの衝撃は当然ながら、救助隊員の犠牲者が400人に上ったことも、大きな衝撃だった。警察と消防の組織間連携がうまく行われていれば、犠牲者全体の7分の1が救助隊員という異常な事態を防ぐことができたと思われるからだ。
WTC北棟に最初の激突があったのは、午前8時46分のことである。直後、ニューヨーク市消防局消防隊4隊が現場に到着し、指揮本部を設置。同時に市警察の緊急対応ユニット1も現場に到着している。このとき警察はヘリコプターによる被災階の確認を行っていたが、その情報は消防には伝わらなかった。消防は高層ビル内で無線が使えず、どこまで救助に行けばよいか全く分からない中で救助活動をしていたのである。市消防局が装備していた携帯無線機は、高層ビル内では中継器によって増幅しないと電波が届かない仕組みだった。
9時3分にはWTC南棟に2機目が激突。このときも無線が使えず、WTC北棟で救助にあたっていた消防隊員は、何が起きているのか分からなかったと証言している。その後、9時22分にWTC南棟が崩壊。10時28分には、最初に激突されたWTC北棟が崩壊する。激突からわずか102分後のことだ(写真1)。北棟の崩壊により、現場状況の確認に戻っていた市消防局の災害現場本部長ほか幹部職員らが死亡し、現場は指揮官不在の状況に陥った。
この102分間で、警察と消防が情報を共有し、状況認識を統一できていれば、双方の犠牲者を減らすことができたのではないかと考えられている。
リーダーの存在が心の支えに
組織間での情報共有の欠如が指摘される一方で、高い評価を得たのが、当時のニューヨーク市長であったルドルフ・ジュリアーニ市長の適切な指揮と、市民への情報提供だった。
ニューヨーク市の危機管理対策拠点である緊急対策センター(EOC)は、WTC第7棟にあった。1機目がWTC北棟に激突したという知らせを受けた市長は、直ちにEOCに向かう。しかし到着時にはすでに2機目が突入しており、EOCは移動せざるを得ない状況にあった。EOCには、市の危機管理に必要な情報がすべてそろっていたが、それらが全く使えなかったのである。それでも市長は場所を転々とする臨時のEOCで、適切な指揮を執った。
24時間稼働での犠牲者捜索、救助活動の体制を整えながら、事件の翌日には、被害者家族を支援する家族支援センターを設置。被災者や遺族の心のケアにも迅速に対応した。同時に市長は「これ以上のテロが起きないようにする」と宣言し、マスコミに対して絶えず情報を発信し続けた。これが市民に対する呼びかけとなり、混乱する事態の改善に大きく寄与する。明確なリーダーの存在が被災者の心の支えとなっていたのである。