著者:林 信行=ITジャーナリスト

 iPhoneは発売開始からたった2カ月で100万台が売れるほどの人気を集め,世界中の携帯電話会社がデータ通信サービスの定額制や上納金を払ってでもiPhoneに対応したいとラブコールを送る。なぜアップルが,これほどユニークで魅力ある端末を作れたのだろうか。

後発のメリットを最大限に生かす

 よく言われるのは,「アップルは過去のしがらみを持たずに,白紙状態からスタートしたから画期的な製品を作れたのだ」ということ。これは紛れもない事実だ。

 携帯電話の端末メーカーとしては,アップルはかなり後発。ライバルよりもはるかに遅れて参入したアップルは,競合他社がどんな問題を抱えているか,携帯電話市場がどうなっているのかをじっくり観察できた。また,アップルは既存製品との互換性の維持を考える必要がないので,最新のハードウエアとソフトウエア・アーキテクチャを採用し,市場参入の出発地点を他社より数段上のレベルに築くことができた。しかし,それだけではない。

 しがらみのなさだけが理由なら,情報家電の世界は後出しジャンケンのように,後から参入したメーカーほど有利になるはずだ。しかし実際には,こうした後続のメリットを生かせないどころか,わざわざメリットを殺した上で新規参入するメーカーが実に多い。「ライバルの製品がこんな機能を備えているから,うちはそれに加えてこういった機能を用意する」「ライバルの価格がいくらだから,うちは少し下げてこれくらいの価格にする」といった具合に,大きな失敗を恐れて「先行他社より少しだけよい製品を作る」という相対的なしがらみに陥ってしまうのだ。

 実際,初期のハードディスク型iPodが成功した後に登場し,すぐに消えていった数々の音楽プレーヤがその典型例だ。iPodの特徴一つは,アップルが特許を持つクリックホイール。多くのメーカーがクイックホイールに対抗すべく奇抜な操作手段を用意し,iPodと同じような形状,同じような大きさ,同じような製品仕様,同じくらいの価格の製品を開発した。

 ところがその後,ハードディスク型iPodの人気を抜いたのは,まったく別のコンセプトでアップルが作ったiPod shuffleという製品だった(写真1)。液晶を持たず,フラッシュメモリーを搭載し,ファッション感覚で身に付けられる低価格で勝負した製品である。

写真1●iPod Shuffleを発表するアップルのスティーブ・ジョブズCEO 写真1●iPod Shuffleを発表するアップルのスティーブ・ジョブズCEO

 アップルが既存製品との相対的思考をする会社なら,ライバルとの容量合戦や価格競争に明け暮れて音楽プレーヤ市場のコモディティ化を早めていたかもしれない。しかし,アップルはそうではなかった。iPhoneの開発でも,iPodの開発でも,ライバルや既存製品を意識した相対的思考に陥ることなく,「どんな製品ならユーザーがほしがるのか」という絶対的思考で製品企画を練っているのだ。

全体構想を作って成功したiPod

 さらに,iPhoneやiPodに代表されるアップルの製品が,単なるヒット商品に終わらずに,社会現象まで巻き起こしたはなぜだろうか。それは,製品コンセプトというレベルをはるかに超えた全体構想,「グランドデザイン」を練って開発しているからだろう。

 どのメーカーでも,競合製品のない新ジャンルの製品を生み出そうとする際,「お年寄りに優しい携帯電話」,「一人暮らし用の炊飯器」といった具合に製品コンセプトを練りあげ,それを土台にものづくりをする。アップルはさらに一歩進んで,製品を取り巻く環境や,これから訪れる時代の変化も踏まえて構想を練る。さらには,その製品でどんな市場が作られ,その市場が世の中をどのように巻き込んでいくのかまで含めて検討する。つまり,アップルはただ「もの」を作っているだけでなく,「コト」を起こすことまで考えている。

 iPodの実例を見てみよう。単なる「使いやすい音楽プレーヤ」という製品コンセプトで開発されただけなら,iPodは今ほどの影響力を持たなかったかもしれない。だがアップルは,ポケットの中にすべての音楽ライブラリを入れて持ち歩くスタイルを「デジタルミュージックのライフスタイル」と呼んで強くアピールし,これを新時代のリスニングスタイルとして定着させた。さらに続いてiTunes Storeというインターネット音楽販売事業をスタートさせ,音楽の入手方法も改革しようと考えた。このように目標を明確にした上で,最初からすべてを完成させるのではなく,まずは作りやすいところ,伝わりやすいところだけに絞って,しっかり作り込む作業を進めていった。この積み重ねで,音楽業界そのものの改革という,不可能にも見える大きな目標を達成したのだ。

 もっとも,最初からすべてに対応すればよいというわけではなかった。アップルはグランドデザインに基づいて,iPodの見せ方を時間とともに変えたのだ。

 初代iPodは,パソコンに取り込んだCDの音楽を再生する音楽プレーヤとして誕生した。音楽再生以外の機能を一切持たないシンプルな製品で,このシンプルさのおかげで多くの人が製品コンセプトをすぐに理解した。その後,iTunes Storeから音楽を購入できるようにして,iPodで聴けるようにした。Podcastという無料の購読型コンテンツや動画コンテンツ,さらにゲームも楽しめるようにした。携帯して使うこともできれば,リビングでスピーカにつないで楽しむこともでき,主要な車につなぐこともできるようになった。

 ただし,最初からこれら全部の機能を付けていたら,どうなっただろうか。スペックシートを埋める要素はいろいろあるが,逆にそのために製品の本質の部分が見えにくくなる。初めてiPodを見る人は,iPodがどんな製品なのか理解できないかもしれない。だからアップルは,現在のiPodに近い全体構想を持った上で,まずはすぐに完成できるシンプルな製品,つまり音楽再生専用でMac専用のiPodから製品投入を始め,順番に機能を追加して1ステップずつ着実に成功させながら,コトを進めた。

 iPodのこうした発展ぶりを,偶然の積み重ねと見ている人もいるかも知れない。しかし,元アップル社の福田尚久氏は,「アップルはいつも5年から10年先のビジョンを持って製品構想を詰めてきた」と説明する。福田氏は元アップル日本法人のマーケティング本部長で米アップル本社Retail Storeマーケティング担当副社長を務めた人物。米アップルにいたころは,ジョブズの参謀の一人として直営店事業の準備をするかたわら,iPodの発売以前から音楽販売ビジネスの構想にも関わっていたという。