著者:林 信行=ITジャーナリスト

 iPhoneは,携帯電話端末としては,実に“非常識”な製品だ。携帯電話会社や端末メーカーが常識と信じていたことを次々と覆している。そのiPhoneがユーザーから大きな支持を得れば,こうしたiPhone流儀の非常識のいくつかが新時代の常識になる可能性がある。

パソコンなしでは使えないケータイ

写真1●iPhoneのアクティべーション
写真1●iPhoneのアクティべーション
iPhoneを初めてパソコンにつなぐとiTunesが起動し,回線の契約や電話番号を取得できる。設定後はパソコンで日々,使っている音楽や動画,ブックマークやアドレス,カレンダー情報をiPhoneに転送できる。
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 まず,一つめの非常識は,iPhoneがパソコンなしでは使い物にならないことである。パソコンにつながないと通話やデータ通信ができないばかりか,iPod機能も使えない。アップル直営店でiPhoneを購入したら,ユーザー自身がパソコンを使って「アクティべーション」と呼ぶ作業をする必要がある。

 アクティべーションは,iPhoneに電話番号を割り当てたり,契約した料金プランを登録したりする作業(写真1)。ユーザーが自宅(あるいはオフィス)に帰って,パソコンにiPhoneをつなぎ,音楽プレーヤソフトの「iTunes」を起動すると,歓迎のメッセージが現れる。ここで携帯電話の料金プランを選び,住所や社会保障番号,クレジットカード番号などの情報を入れると,しばらくしてiPhoneに電話番号などが割り当てられて使える状態になる。

 一方,これまでの携帯電話端末は,パソコンを持っていない人も含めて誰でも簡単に使えるようにすべきというのが“常識”だった。販売店に1時間ほど預けて電話番号などを設定してもらわなければならなかった。これがiPhoneなら,販売店で待つ必要がない。

 iPhoneをパソコンにつないだ効果は,アクティべーション後にも発揮される。パソコン上でiTunesを使い込んでいて音楽や動画コンテンツを登録していれば,それらが自動的にiPhoneに転送される。さらにパソコンに取り込んだデジタルカメラの写真や,Webブラウザで日頃使っているお気に入り(ブックマーク)一覧,住所録ソフトに入れている住所一覧,カレンダソフトに入れている予定の一覧などの情報をすべてiPhoneに転送できる。

 こうして数十分後にiPhoneとパソコンを取り外すときには,重要な仕事の情報,癒しを与えてくれる音楽や動画,写真といったすべてが転送され,あなたのデータすべてがびっちり詰まった世界に1台だけのiPhoneが誕生する。アップルはパソコンとの同期で初めて可能になるこの便利さを何よりも優先させたかったために,「パソコンなしでは使えないという“非常識”を押し通したのである。

ケータイOSを一気に飛び越える

 2番目のiPhoneの非常識は,パソコン用の高機能なOSを携帯電話機に搭載したことである。iPhoneが搭載するOSは,アップルのパソコン「Mac」が採用する「OS X」だ。

 これまでの携帯電話OSの主流は,携帯電話端末のプロセッサやメモリーが貧弱だった2000年前後に登場したOSが進化したもの。プロセッサの性能が上がり,メモリーが増え,ユーザーや携帯電話会社からの要望が増えるたびにOSも進化してきたが,OS自体を一から作り直してきたわけではない。どんどん進むハードウエアの進化に,新機能という強壮剤を打ってなんとか追いついていただけのOSである。

 例えば,ブラウザで通信中に電話がかかってくると,OSがブラウザ機能の状態を一度保存し,電話を受けられる状態にする。通話が終わると保存したブラウザの状態を再度表示する---。携帯電話では当たり前の機能だが,これまでの携帯電話の部品やOSでは,機能が限られているだけに,確実かつ自然に処理をこなすにはノウハウが必要だった。こうした処理をいかにうまくこなせるかがOSの優劣を決めていた。

 ところが,iPhoneに代表されるスマートフォンは,こうした過去の経緯に縛られることはない。スマートフォンは,携帯電話端末とパソコンの両機能を搭載した端末である。ある携帯電話会社の役員は,「iPhoneなどスマートフォンのOSは出発点が異なるので,できることがまったく違う」と指摘する。スマートフォンは,もともと強力なプロセッサと大きなメモリー容量で複雑な処理をこなすパソコン用OSを,携帯電話のプロセッサに合わせてスケールダウンしたもの。つまり,出発点で前提としている機能や性能が,従来の携帯電話よりも断然高いレベルで調整されているのだ。だから従来の延長線上にある携帯電話がやっとこなせるような処理でも,iPhoneなら楽々とできてしまう(写真2)。

図のタイトル   写真3●OS Xの搭載をアピールするスティーブ・ジョブズCEO
写真2●iPhoneのデモの様子
OS Xの搭載で,HTML形式のメールや画像を貼り付けたメールも,パソコン同様にスムーズに処理できる。
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  写真3●OS Xの搭載をアピールするスティーブ・ジョブズCEO
2007年1月9日にMacworld San Franciscoで講演し,OS Xの優位性を強調した。
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 アップルのスティーブ・ジョブズCEOは,「OS Xには,iPhoneに必要な機能の開発基盤がそろっているから採用した」と説明している(写真3)。その機能とは,先進的なマルチタスク機能,優れたネットワーク機能,低消費電力の動作,セキュリティ機能,優れたグラフィックス,動画,アニメーション機能,さらに洗練されたアプリケーションを挙げている。これまでの携帯電話のアプリケーションは,貧弱な機器構成で動くように作られた簡易アプリケーションだと切り捨てたうえで,「我々はOS Xを基盤とした本格的なアプリケーションを採用することで他社の5年先を行くことができる」と断言した。

 数年前までの携帯電話の端末では、性能的にこうしたパソコン用OSを動かせなかった。しかし現在,ハードウエアの性能は十分に上がってきた。ところが携帯電話業界では,それまでの資産を引き継ぐために旧来通りの携帯電話用OSを使い続けることが“常識”だった。こうしたしがらみを持たないアップルは,携帯電話にパソコン用OSを採用するという“非常識”に踏み切ることができたのである。

 これまでと同様,アップルがOS Xを他社にライセンスする可能性はないだろう。日本をはじめとした他の携帯電話メーカーがiPhone並の機能と性能を求めるなら,他のOSを探さなければならない。携帯電話用OSも進化しつつあるが,iPhoneには及ばない。Linuxなどまったく別のOSを使う方法もあるかもしれないが,それにはこれまで蓄積したノウハウを失う覚悟が必要だ。