著者:林 信行=ITジャーナリスト

 iPhoneが斬新な携帯電話端末になったのには,アップルが育んできたデザイン手法に大きな秘密がある。今回は,iPhoneを生み出したアップル独自のデザイン戦略を紹介しよう。

マイナスのデザインが製品の本質を見せる

 iPhoneやiPodに共通しているのが,無駄な装飾が一切ないシンプルな工業デザインであるということだ。それは,必要最小限に機能をそぎ落としたマイナスのデザインである。マイナスのデザインがなぜよいのか,最初に製品を使うユーザーの視点から見てみたい。

 第一に,ユーザーの覚える操作が少なくて済む。例えばiPhoneの操作は,簡単に覚えられる。画面を指でチョンと触る「タップ」,画面上の表示を指で押さえながら移動する「ドラッグ」,指ではじいたりなぞったりする「フリック」,写真やWebページを広げたり狭めたりする「ピンチ」の4つの動作と,MENUボタンを押す操作を覚えるだけでほとんどの基本操作ができる。

 アップルはiPhoneの開発に当たり,米FingerWorks社が持っていたマルチタッチ操作(複数の指を使ったタッチパネル操作)の特許を買収した。しかし,これらの特許をすべてiPhoneに盛り込むことはしなかった。FingerWorks社では,指2本を使った画面の回転や指3本を使った操作など,10数種類の操作方法を発案して自社製品に採用していた。これらすべてを一挙にiPhoneに採用したら,ユーザーは混乱していただろう。実際,操作がわからなくなっても大丈夫なように,FingerWorks社製品には操作一覧をまとめたシートが付けてあったくらいだ(写真1)。あえて機能を絞り込む「マイナスのデザイン」を実践することで,iPhoneを操作しやすくしたわけた。

写真1●FingerWorks社の操作方法をまとめたシート
写真1●FingerWorks社の操作方法をまとめたシート

 2つめのメリットは,ユーザーが新しい操作方法や新しい概念を理解しやすいことだ。iPhoneは,ほとんどのスマートフォンが採用しているキーボードをあえて付けずに,電話と名が付く製品では当たり前だった数字のキーパッドもなくした。キーボードとキーパッドがないために,ユーザーは画面に触れて操作するしかなくなる。つまり,ユーザーに新しい操作と習慣が定着しやすい。

 3つめのメリットは,要素を減らすことで製品コンセプトを理解させやすくすることだ。スペック表を見比べたら,iPhoneは既存の最新端末よりも機能的に劣っている。現時点でNTTドコモのカタログにiPhoneを掲載したらどうなるかを想定して,筆者が作成した機能表(写真2)を見ていただきたい。NTTドコモの端末の多くが搭載している機能のうち,iPhoneが対応しているのは音楽プレーヤと海外での通話機能だけ。カメラ機能も日本では500万画素の端末が登場しているのに対して,iPhoneは200万画素にとどまる。このように機能を割り切っているからこそ,iPhoneは操作性のよさやデザインのよさが際立っているとも言える。

写真2●iPhoneの機能は既存の端末より劣る
写真2●iPhoneの機能は既存の端末より劣る
NTTドコモのカタログに,現時点でiPhoneを掲載した場合を想定して作成した。

 4つめのメリットは,その製品ジャンルの象徴的存在となり得ることだ。コンセプトを明確にしながら,不要な要素を減らしていくという作業は,その製品のカタチの本質,「原形」探すということである。iPhoneは,これまでのスマートフォンとはまったく別のコンセプトで機能を絞り込んだため,スマートフォンの新しいジャンルを築けた。不要な要素を削ったスマートフォンの「原形」になる可能性があるのだ。

 こうした「原形」を掘り出せば,その後登場するiPhone対抗製品はすべてiPhoneに余計な要素を追加した後追いの類似製品にしか見えなくなってくる。類似製品の場合,iPhoneと差異化しようという理由や,アップルに特許を握られているからといった理由によって要素が加えられることが多くなる。しかし、それらの理由はユーザーには意味がない。