著者:林 信行=ITジャーナリスト

写真1●発売前のアップルストア店頭のiPhone
写真1●発売前のアップルストア店頭のiPhone
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写真2●9月5日にはiPod touchとiPhone値下げが発表された
写真2●9月5日にはiPod touchとiPhone値下げが発表された
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 2007年6月29日に発売されて以来,iPhoneは爆発的な人気を集めている(写真1)。9月5日には,電話機能を省いてコンテンツ再生とWebブラウジングの機能だけを備えた弟分「iPod touch」を発表したうえで(写真2),iPod touchにわずか100ドルを足せばiPhoneが買えるように値下げ。このためiPhoneの売り上げにますます勢いがつき,発売開始から74日後の9月10日には,ついに出荷台数100万台の大台にのった。iPodが100万台達成に2年かかったことと比べると,iPhoneの勢いのすごさがわかる。アップルの目標は意欲的で,2008年中に世界の携帯電話市場で1%のシェアを獲得したいという。2006年の世界の携帯電話端末の出荷台数は9億5700万台。つまり,アップルは1年半で,その1%に当たる約1000万台を販売するつもりだ。

 年末に向けてヨーロッパ,そして来年からはアジア圏でiPhoneを発売することを考えれば,この目標は十分達成できるだろうというのが大方の見方だ。米国の調査会社アイサプライ社では,アップルが2008年中に1350万台,2009年に2110万台のiPhoneを出荷すると予想している(図1)。

図1●iPhoneの予測出荷台数
図1●iPhoneの予測出荷台数
米アイサプライと米メリルリンチの予測を基に作成した。

 このようにiPhoneは,数の上でも携帯電話市場に大きなインパクトを与えている。しかし,iPhoneの衝撃は決してこれだけではない。実はiPhoneは,ケータイ・ビジネス全体をも大きく変えるだけの影響力があるのだ。

もろ刀の剣だったAT&Tとの契約

 米国ではAT&TがiPhoneを独占的に販売している。だが,このアップルとの独占契約は,AT&Tにとってもろ刃の剣だった。

 iPhoneの独占販売によって,AT&Tは契約者数を一気に増やした。しかも,それまでとは一転してクールな携帯電話会社というイメージを作ることができた。現在のAT&Tは2006年末に地域電話会社ベルサウスと合併し,ベルサウス傘下にあった米国最大手だった携帯電話会社であるシンギュラー社と合併したもの。AT&Tと旧シンギュラーは合併で契約数最大の大手となったが,会社のイメージや評判は決して良くはなかった。会社のイメージや評判では,2番手のベライゾン・ワイヤレスの方が数歩先を行っていた。しかしiPhoneによってAT&Tは,クールな携帯電話会社というイメージを作り上げ,人気を挽回したのである。

 ところがAT&TがiPhoneの独占販売権を獲得したことは,携帯電話会社のビジネスを自ら大きく制約してしまう危険な行為でもあった。AT&Tは,パンドラの箱を開けたのかも知れないのである。というのもiPhoneは携帯電話とは言いながらも,パソコンの機能や使い勝手,そして文化を携帯電話端末の形に凝縮した製品に他ならず,そうした側面はこれまでのケータイ・ビジネスと相いれない部分が多いからだ。

 パソコンは今やインターネットにつなぎっぱなしが当たり前。定額料金を支払いさえすれば,電子メールもWebブラウジングも無料なのが当然。しかし,ケータイ・ビジネスは違う。日本ではパケット料定額サービスが始まっているが,少なくとも米国では定額サービスは普及していない。携帯電話会社は,従量制のパケット料金で収益を伸ばしている。ところがアップルは,この携帯電話会社の思惑さえも変えてしまったのだ。AT&Tにパケット定額制の料金プランをiPhone用に促したのである。AT&Tはアップルの要求を聞き入れ,iPhoneという特別な端末のために専用の料金プランをわざわざ用意した。

 これまで携帯電話の端末メーカーといえば,端末を作ることが仕事であり,料金プランを決めるのは携帯電話会社の仕事だった。携帯電話会社が端末の仕様に口出しすることはあっても,端末メーカーが携帯電話会社の料金体系に要求を出すなど前代未聞のことである。しかしアップルとiPhoneには,この常識が通用しなかった。

 iPhone専用の料金プランの基本料は,無料通話時間が異なる月59.99ドル,79.99ドル,99.99ドルなど。ほかの料金プランと比べてやや高めで,アップルは基本料の一部を上納金として収めさせているという噂もある。同じような上納金の仕組みはヨーロッパでも交渉材料になっているようだ。2007年8月21日付の英フィナンシャル・タイムズ紙(該当記事)は,アップルがヨーロッパの携帯電話キャリアとの提携交渉の際に独占契約の見返りとして,基本料金の10%にあたる上納金を要求したと報じている。iPhoneは携帯電話会社のビジネス・モデルを変えるだけでなく,携帯電話会社対メーカーの力関係も一変させてしまったようだ。

iTunes経由で携帯電話会社の収入がゼロに?

写真3●iPhoneのWebブラウジング
写真3●iPhoneのWebブラウジング
PCと同じようにブラウジングできるうえ,タッチパネルを触るだけで簡単に拡大・縮小できる。
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 さらにiPhoneは,携帯コンテンツのビジネスにも大きな影響を与える可能性がある。米国ではそれほど携帯コンテンツのビジネスは大きくないが,日本は巨大市場に成長している。総務省の発表では,2006年のモバイル・コンテンツ関連の市場規模は9285億円だった。このうちの一部は,携帯電話会社に恩恵をもたらしている。

 携帯電話会社の公式サイトをユーザーが「お気に入り」に登録すると,月数百円のコンテンツ利用料が徴収される。このときに,携帯電話会社が携帯電話料金と一緒に料金を回収し,そのうち1割程度が回収手数料として携帯電話会社の収入になる仕組みである。このほか,携帯電話会社が運営する音楽配信サイトから音楽をダウンロードして,携帯電話料金と一括でコンテンツ料を集めるといったサービスがある。ところが,iPhoneによって,この公式サイトのビジネス・モデルは崩れる可能性があるのだ。

 というのも,iPhoneにはパソコン用のWebブラウザが搭載されており,PCと同じようにインターネット上のサイトを自由に見ることができるからだ(写真3)。携帯電話端末の機能が貧弱だった時代に築き上げた,簡易的な公式サイトを登録してコンテンツ使用料を支払わなくても,本物のインターネットを活用できる。しかも,定額の通信料で。

 「日本の携帯電話にもパソコン用のWebページを閲覧できるフルブラウザがある」という人がいるかもしれない。しかし,それはパソコン用Webページの一部をなんとか閲覧できるようにしただけに過ぎない。操作性が悪いため,多くの利用者は「最後の手段」くらいに捉えている。ところがiPhoneではパソコン用に作られたSafariというWebブラウザだけを搭載し,しかもこれがWebページをパソコン並みに快適に見せられる。

 実はiPhoneもすべてが無料というわけではなく,有料のコンテンツもある。iPhoneはiPodの機能を内蔵しており,オンライン販売されている音楽や映像コンテンツを楽しむことができるのだ。ただし,これらのコンテンツの売り上げも,携帯電話会社の懐に入るわけではなく,アップルが運営する「iTunes Store」で販売されている。つまりiPhoneのビジネスでは,ここでも携帯電話会社へのうま味がない。