秋山 進
ジュリアーニ・コンプライアンス・ジャパン
マネージングディレクター

 中越沖地震のショックがまだ冷めやらない中、今年も防災の日がやってきます。中越地震から3年もたたないのに、同じような地域にまたもや大地震がきてしまったのです。一度大きいのが来たら、しばらくは来ないと思っていたのですが、それは単なる幻想でした。
 
 地震は生命を脅かし、インフラを壊すことで、生活のみならず企業経営にも大きなネガティブインパクトを与えます。このようなリスクに対して企業はどのように対応していけばよいのでしょうか?
 
 約20年前、関西から上京してきた私は、月に2~3回は起こる地震に日々恐怖を感じていたものでした。ところが、今は慣れっこになっていて、震度3くらいでは、ことさら何も感じなくなってしまっています。大地震のニュースにも、被害者の方への同情の念はかき立てられるものの、自分が当事者になるかもしれないという意識はなかなか芽生えないのが実態です。
 
 しかし、首都圏には、大地震が(きっと)やってくるのです。
 
 1633年の寛永小田原地震(M7.0)、1703年の元禄地震(M 7.9~8.2)、1782年の天明小田原地震(M7.0)、1853年嘉永小田原地震(M6.7)、1923年の関東大震災(M7.9)。これまで神奈川西部では、70年~80年周期でM7クラス以上の大地震が起こってきました。そして、直前の関東大震災からはもうすでに84年たっているのです。極論すれば、この文章を書いているたった今、大地震が起こってもおかしくない状況なのです。
 
 損害の大きさと、発生確率のマトリクスで、リスクの大きさを考える「リスクマップ」でいうなら、必ず対応しなければならないゾーンに地震対策はあります。企業としては、何らかの対応をしておかなければなりません。しかし、私がそうであるように、東京近辺にいると、日々地震が多いので、何もしなくても、どうにかなると思ってしまうのです。それでは絶対にいけません。
 
 では、どうすればよいのでしょうか?
 
 まず一番大事なのは、社員の安否の確認の仕組みを作ったり、きちんと帰宅させてあげられる方法を事前に調べておくことです。
 
 HOMEというタイトルの芝居があります。演劇界の鬼才、木村健三の演出で、昨年の大好評を受けて今秋に再演をすることになりました。大地震で東京が壊滅したあと、家にどうやってたどり着くのか?様々な出来事を通して、実際に震災時に役に立つ情報を提供し、来場者の防災意識を高めさせる仕組みがくみこまれているエンターテイメントです。

 リスクマネジメントの観点からは、皆にぜひ見てもらいたいと思うのですが、収容人数も限られていますからそういうわけにもいきません。したがって、会社でできることとしては、交通手段が麻痺したときに、どうやって帰宅するのか、社員には一度シミュレーションをさせるようにすることが望まれます。

 「渡れない橋はないのか?」「どのルートが安全なのか?」「歩いて帰るとどのくらいかかるのか?」「そして、会社は社員の安否をどのように把握するのか?」「派遣社員まで範囲にいれるのか?」「協力会社の常駐している社員までいれるのか?」・・・これだけやるだけでも大そうな仕事となります。
 
 そして、食糧や水の確保も大きな問題です。ある財閥系の大手企業は、社員向けの食糧の備蓄だけでなく、その地域で発生するであろう帰宅困難者のための食糧と水まで用意しています。これは特別な例ですが、災害発生時に、復興のために不眠不休で働くことになる災害対策本部の社員用の食糧と水は、最低限、用意しておかなくてはなりません。(もちろん、災害対策本部の設置の予行演習やメンバー決めはやっておかなければなりません)残念ながら、優良企業にあっても、これらの対応は、まだ始まったばかりです。
 
 ただ、新しい動きもあります。「サバイバルフーズ」を提供するセイエンタプライズは、25年保存が効く非常食・防災食というニッチな業界のリーダー企業です。阪神淡路大震災の被災者でもある平井雅也社長によると、近年、彼らの売上構成に大きな変化が見られるそうです。「近年までは、売上のほとんどが地方自治体向けだったのに、最近は中堅の事業会社が社員向けの備蓄用として大きなロットで買うようになってきた」。大手優良企業が何でも先行し、中堅中小が後追いするのが日本社会のこれまでの常でしたが、この分野に限っては、トップの防災意識があれば意志をもって準備をすることがあるのです。