カシオ計算機の矢澤篤志さんは生え抜きのCIO(最高情報責任者)だ。カシオは1972年上場以来、業績はずっと右肩上がりで、81年入社の矢澤さんも好業績をおう歌した1人。情報部門に配属されたのは97年、2000年問題を抱え、カシオはレガシーシステムからERP(統合基幹業務)の導入を決断していた。しかし、その導入が終わった2002年、カシオは上場以来の赤字に転落した。

 カシオのようなメーカーが扱う製品には5年から10年で市場自体が無くなってしまう製品もある。だが、それまでのカシオは事業部採算をとり会社全体が個別最適化に陥っていた。赤字をきっかけに、全体最適を経営トップが決断した。

 矢澤さんは、苦境を乗り切るためにはトップの考えを全社に広めることが大切と考えた。部門長になってからは、頻繁に社長に会いに行くようにした。提案しに行くというより、社長の話を聞きに行くのだ。その結果が3つのアウトプット。

 まず、ERP導入の目的だった在庫削減が達成できていない。営業の評価制度に在庫の指標を組み入れ、部品の設計標準化とも連携した。事業部との一蓮托生作業で在庫は半減した。

 次に経営の効率化が叫ばれながら、経営指標を迅速に出す作業もできていなかった。連結の月次決算を経営会議に間に合わせるためにリポートの仕方をすべて経営管理部門に直結した。抵抗はあったが、社長の決断が実行を後押しした。

 最後にシステム子会社の冗長さも問題だった。外販をやめ、グループ支援に徹し資産も整理した。社長へのコミット「2年で25%の費用削減」を実施した。カシオの復活にトップの決断と全社の一体感が貢献した。

 矢澤さんは、情報システム部門長になり、情報セキュリティーの規定をつくって全社に提言した。そこから発展して社内憲章の制定にも携わった。この憲章は、カシオの理念「創造貢献」に沿い、創造・貢献・コンプライアンスの3本柱で構成されている。カシオが成長してきた強みをひも解くと自然にこの結論に至った。営業や業務の経験だけでは学べないものづくりの精神を自分自身でも学んだと思う。この精神を伝えるために、経営陣は誓約書をつくり指導を誓約する。カシオの強みはこうして脈々と伝えられていく。

石黒 不二代(いしぐろ ふじよ)氏
ネットイヤーグループ代表取締役社長兼CEO
 シリコンバレーでコンサルティング会社を経営後、1999年にネットイヤーグループに参画。事業戦略とマーケティングの専門性を生かしネットイヤーグループの成長を支える。日米のベンチャーキャピタルなどに広い人脈を持つ。スタンフォード大学MBA