ここ10年間,隣国である韓国の携帯電話メーカーの躍進はすさまじい。現在,韓国の代表的携帯電話メーカーであるサムスン電子とLG電子はそれぞれ世界シェアの3位と5位に付けている。フィンランドのノキアや米モトローラといった携帯メーカーの老舗と異なり,韓国の携帯メーカーと日本の携帯メーカーは共に家電系が多いことや,国内に世界のデファクトスタンダードであるGSM(Global System for Mobile Communications)市場が存在しないことなど,日韓メーカーは実は似たもの同士といってもいい。しかし,今の両者の勝敗は一目瞭然(りょうぜん)である。何が両国メーカーの明暗を分けたのか,そして韓国メーカーはどのようにしてここまで成長したのであろうか?

デファクトのGSM市場がない点は同じだが…

 韓国メーカーの話に入る前に,少し韓国の携帯電話市場に触れてみよう。日本と韓国は,世界でGSM市場が存在しないたった2つの国と言われている。そしてかつて,両国の市場はそれぞれの問題を抱えていた。日本市場は国産のPDC(Personal Digital Cellular)方式で事実上の“鎖国”状態にあり,一方の韓国市場は外資系メーカーに7割以上のシェアを占められている状況にあった。

 こうした状況を打開するために,日韓政府はともに国を挙げての対策を採ってきた。しかし,両国がたどった形跡は大きく異なった。日本は国内の垂直統合型産業の優位性を生かし,販売奨励金といった市場対策を積極的に導入することで,第3世代(3G)の国際標準方式であるW-CDMAの国内市場がいち早く確立できるような「成長」を最優先にしてきた。一方,韓国は国内方式を2.5Gの国際標準であるcdmaOneに一本化した後,キャリアやメーカーそれぞれの創意工夫が発揮できる競争的な市場環境の整備に腐心してきた。産業の発展を,キャリアやメーカーなど企業側の自立した成長に委ねることにしたのである。そしてわずかの10年の間に,国内市場を外資に占められる状況から一変させ,2004年には携帯電話が大半の比重を占める情報通信部門の輸出規模が,半導体や自動車産業を抜き,韓国第一の輸出産業となった。

 韓国市場の移動通信サービスは日本と同じく,ほぼ3社のキャリアで占められている。SKテレコム,KTF,LGテレコムは,それぞれ5割:3割:2割の市場シェアを握っており,この市場占有率の構造は日本と非常に似通っている。しかし韓国には,日本のNTTドコモのように技術や販売権などすべての経営リソースを一極集中してコントロールする通信キャリアは存在しない。技術やサービスの発展において,キャリアはメーカー側に協力を求め,その関係はいわゆるパートナーであった。もちろんメーカーに対する圧倒的な支配力もキャリアは持っていない。端末の販売は,量販店やメーカーの直営店,キャリアの専門店など複数の流通形態があり,携帯メーカーは自社製品の流通を自ら主導的に行っている(図1)。

図1●日韓携帯電話市場における環境の相違
図1●日韓携帯電話市場における環境の相違

 日本と異なり,韓国では通信キャリアによるサービスの競争と,携帯メーカーによる端末市場での競争がそれぞれ独立して存在しているのだ。端末メーカーが独立した競争の次元を持つことが,韓国メーカーの国際競争力向上にどうように働いたのか。これから考察してみよう。

グローバル市場の成功に国内市場の成功があり

 韓国メーカーのサムスンは,1997年にGSM市場に参入してから海外市場で強い攻勢をかけ,2002年には世界3位になるまで成長した。韓国メーカーの世界市場における大胆な挑戦の原動力は,国内市場にあったと考えられる。

 サムスンが携帯電話事業を手掛けたのは1988年であった。1993年にサムスンは,国内市場でモトローラを3年以内に追い抜く経営目標を発表した。しかし当時の韓国の国内市場は外資系に占められ,モトローラが7割以上のシェアを持っていた。サムスンのシェアは10%にも満たなかったのだ。そのような状況で,サムスンは「AnyCall」ブランドを導入し,市場において後述の一連の成長戦略を打ってきた。その戦略が奏功し,1995年には予定より一年も早く目標を達成した。つまり,国内市場シェア50%を獲得し,モトローラを追い抜いたわけである。

 国内市場でモトローラの牙城を崩した快挙から,サムスンは海外メジャーとの勝負に手応えを十分つかむことができたと言えよう。なぜなら,この勝利があったからこそ,後に海外市場で大胆な行動を取れるようになったわけである。そして,サムスンは1997年にGSM市場に進出した。翌年の1998年こそ年間出荷台数はわずか469万台だったが,1999年には1298万台にいきなり大きく飛躍し,その後も絵に描いたような快進撃が続いてきたのは周知の通りである。国内から海外へ飛び出した最初の一歩には,国内市場の競争がよい踏み台となり,大きな原動力を与えてくれた。

 さらに,サムスンの海外市場での成功は,国内の他の携帯電話メーカーを刺激し,韓国メーカー全体の国際競争力の向上につながった。LGはサムスンに続き,世界市場への進出に目覚めた2社目だった。2002年の出荷台数の実績は1380万台,そしてわずか一年後の2002年には2621万台まで成長し,現在では世界第5位のメジャーメーカーにまでなった。このほか,パンテックも海外市場での売れ行きが拡大しており,2005年には日本市場への上陸を果たした。

 韓国と日本の移動体通信事業には,いずれもGSM方式が採用されなかった。韓国政府は90年代に国内市場をcdmaOne方式に一本化し,これに賭けている。現在,8割以上がGSM利用者である世界市場で活躍するためには,日韓のメーカーはともに方式の壁を乗り越える必要があった。韓国メーカーの成功は,国内市場競争の勝ち組が通信規格の障壁を乗り越えれば,世界市場でもその実力を思う存分に発揮できることを証明してくれた。

 韓国メーカーの国際競争力向上は,やがて国内市場に波及効果をもたらし好循環を生み出していった。現在,韓国メーカーは韓国国内市場を新技術の実用化の場として使い,世界の「テストベッド」市場と捉えている。国内市場と国際市場を一体化にして世界規模のデファクトスタンダードを狙っているわけだ。また,市場から豊富な資金を調達し,研究開発も活発に行われるようになってきた。結果的に3.5GのHSDPA(High Speed Downlink Packet Access)やWiMAXといった新技術を使ったサービスは,韓国市場のほうが日本市場よりも早く提供を始めた。韓国が日本の一歩先を走りはじめたのだ。

 国内市場の活性化は,韓国市場に付加価値を与えることにも成功した。例えば世界大手のモトローラは,韓国を国際競争力の源泉を得る拠点として位置づけている。モトローラが販売し世界市場で大ヒットした「RAZR」はモトローラ Koreaが商品を企画した。モトローラは韓国にデザインセンターを設立し,韓国で開発した機種を中国市場などに打ち出す格好となっている。

自分の競争次元を持つことが韓国メーカーの強み

 韓国メーカーの成功は,国内市場で自由自在に戦略を展開できる市場環境と切り離しては考えられない。端末の競争の次元が通信キャリアのサービスから独立しているため,メーカーが自立した成長戦略を策定でき,顧客ターゲットや製品利益率など様々な意思決定を行う権限があったからこそ,韓国メーカーの成長があった。

 端末市場がキャリアのサービス市場から独立していることのメリットは,いくつか考えられる。第一に,メーカー自身が成長戦略を描けることである。製品の市場ターゲット,価格,粗利益率,ブランドイメージといったメーカー側の意識決定は,通信キャリア側の影響を受けない。第二に,メーカーが直接市場から資金を吸い上げ,市場拡大の恩恵を直接受けられるため,イノベーションのインセンティブが高いこと。第三に,メーカーが市場と直接接点を持つため,市場に対する迅速な反応ができることである。すでにコラムの第5回(成功から停滞へ,諸刃の剣だったキャリア主導の垂直統合構造)で述べたが,移動通信産業は消費者主導型の産業であり,消費者主導型の産業においては市場との接点を持てるという第三の点が特に重要である。第四に,メーカー同士が直接市場で競争する環境であれば,国内市場の競争を通して自社戦略を点検することで,グローバル戦略の策定や見直しのきっかけが得られることが挙げられる。

 自身で端末の競争次元を持つ韓国メーカーの勝ち組は,国内市場の競争を通じて経験や資金を獲得し,それを元に海外市場へ羽ばたいていたのである。次は韓国メーカーの具体的な戦略を見てみよう。