「ジャパン・アズ・ナンバーワン」――日本が世界から、こう評価されていた時代がある。1979年、社会学者のEzra F. Vogel氏は冒頭のタイトルで著を記し、「米国が日本から学ぶべきことは何か」を解きほぐした。同氏は、日本のハイテク製造業の強さを分析することによって、モノづくりスピリッツを失いつつある米国に警鐘を鳴らしたのである。

 当時、日本のエレクトロニクス産業は圧倒的に強かった。「高品質で低価格」を売り物にした日本のテレビやVTRといった民生機器、あるいはDRAM(メモリ)を中心とする半導体部品は、世界市場を席巻、圧倒的な市場シェアを確保した。結果として日本は潤った。その後も日本のエレクトロニクス産業は、1990年代前半まで、右肩上がりで成長を遂げ、日本の国力を下支えしてきた(図1)。日本の産業界があまりに強すぎることから、米国から批判の声も上がった。「ジャパン・バッシング」といった言葉が使われ、日本の産業界をたたくことを奨励する風潮が強まる。それほどまでに、グローバル競争の中で日本の存在感は大きかった。

図1●国内電子産業の総生産金額
図1●国内電子産業の総生産金額 (出所:経済産業省 機械統計)

 ところが現在はどうか――。冒頭で紹介したVogel氏は2000年に続編を記している。その著のタイトルは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン――それからどうなった?(Is Japan Still Number One?」。冒頭の書が米国への警鐘であったのに対して、続編は、かつての勢いを失った日本への処方箋である。Vogel氏は、その後の日本の体たらくを憂えて筆を執った。この著の中で同氏は、日本がどのような過程を経て、強みを失ったのかを分析し、どうすれば力を取り戻せるのかについて提言している。

「バッシング」から「パッシング」へ

 Vogel氏の処方箋も奏功せず、産業界における日本の地位は低迷を続けている。今では、「ジャパン・バッシング」という言葉は忘れ去られ、それをもじった「ジャパン・パッシング」と皮肉たっぷりの表現が用いられる。この言葉は、日本を抜きに、米国と中国あるいは米国とインドの間で、強烈な産業界のパイプができあがる現象を指す。日本を通過して、物事が決まってしまうことから、パッシングと称される。これ類似の表現として「ジャパン・ナッシング」と揶揄することもあるが、いずれにせよ世界における日本の存在感は以前とは比べ物にならないほど小さくなってしまったわけだ。

 これを具体的に数値化したデータがここにある。スイスの民間調査機関であるIMDの国際競争力ランキングである(図2)。IMDが調査を開始した1989年以降、1990年代半ばまで、日本と米国がトップの座を競い合ってきた。ところがこの十年、日本の地位が急落、調査対象である55カ国中、20位前後に甘んじている。2007年に発表された最新ランキング(該当PDFファイル)では前年から順位を落とし、中国にも抜かれて24位に下がった。長期間にわたって日本が高い評価を受けていた時代があるだけに、このところの凋落振りには目を覆うものがある。

図2●低迷する日本の国際競争力ランキング
図2●低迷する日本の国際競争力ランキング

「そこそこの小さな成功」から「一攫千金の大成功」を目指して

図3●四つの視点のいずれもランキングが低下
図3●四つの視点のいずれもランキングが低下 (調査機関:スイスIMD)
 IMDの調査は、「経済情勢(国内マクロ経済、国際貿易など)」「政府の効率(財政、方針など)」「ビジネスの効率(企業の経営効率や労働市場)」「インフラ」の四つの視点から323におよぶ項目について国力を分析し、その値を積み上げた結果である。2007年の数字を見る限り、日本では「政府の効率」が34位と大きく足を引っ張ったほか、「経済情勢」は22位、「ビジネスの効率」も27位とふるわなかった。「インフラ」は6位と、まずまずの順位だが、2006年の2位からは順位を下げており、ハイテク国家を標榜する日本にとって、ほめられた順位ではない(図3)。

 四つの視点のすべてにおいて順位を落としていることから、日本の国際力ランキング低下は、単純な理由によるものではない。日本を蘇生・再生するには、抜本的なメスが必要といえるだろう。それには何が必要か。企業経営者の、そして企業人一人ひとりの意識改革ではないだろうか。ここまで下がった順位を引き上げるには、「そこそこの小さな成功」を狙うのではなく、「一攫千金の大成功」を目指すことが求められる。

 コスト削減だけでは、会社も日本も生まれ変われない。新たな価値をいかに創造するか、この視点から日本の国力を向上する必要がある。「守りの経営」から「攻めの経営」へ――日本企業が、そして日本の産業界全体が舵を切ることができるのか、大きな転機を迎えている。