ほぼ4カ月にわたって繰り広げられた買収劇が決着した。この8月1日,米News Corporation(News)による米Dow Jones & Company(DJ)の買収が最終合意に達した(関連記事)。Newsはオーストラリア発祥のメディア・コングロマリット(複合企業体)。新聞/雑誌/放送/映画など,傘下に100以上のメディア企業を持つ。DJは,高級経済紙として知られる「The Wall Street Journal(WSJ)」を発行する名門企業。創業一族のBancroft家が100年以上も経営権を握ってきた。

 今回の買収劇では,Bancroft家のなかで賛否が分かれ協議が紛糾したが,最終的に「1株60ドル」というNews側の提示額が受け入れられた。Bancroft家にとっては1世紀に及ぶDJとの伝統的関係にピリオドが打たれた。一方Newsは老舗有力紙のブランドを手に入れ,そのメディア戦略を拡大させていくことになる。今回は海外各メディアの報道などを見ながら,Newsという企業,そしてDJの今後のゆくえについて考えてみる。

マードック氏とはどんな人物か?

 Newsという企業とほぼ同義に語られるのが,「メディア王」の異名を持つRupert Murdoch氏だ。Newsは同氏が一代で築き上げた企業で,同氏は今Newsの会長兼CEOを務めている。傘下に「The New York Post」(新聞),「HarperCollins」(出版),「Fox News Channel」(CATV),「Fox Broadcasting Company」(テレビ),「BSkyB」(衛星放送),「20th Century Fox」(映画)などのメディア企業を持つ。資産総額は620億ドル,年間売上高は280億ドルにも及ぶ。

 Murdoch氏は豪腕と言われ,その経営手法で次々とライバルを買収し事業拡大を続けてきた。1964年にオーストラリアで初の全国紙を創刊。70年代には米国でNew York Postを買収した。80年代は20th Century Foxを買収し,Fox Broadcastingも設立。エンターテインメント/テレビ分野に進出した。2004年には本拠地をオーストラリアから米国に移しており,この年,CATVのFox News Channel(FNC)事業が躍進した。FNCは今そのライバルであるCNNの視聴率を追い抜くまでになったという。

ドジャースやDIRECTVを手放し,MySpaceを手に入れる

 買収と同様に売却もダイナミックに行うというのがMurdoch氏である。例えば1998年にメージャーリーグ球団のLos Angeles Dodgersを買収したが,2004年に同球団を投資家グループに売却している(発表資料)。2003年にはDIRECTVの30%余りの株式を取得したが,2006年12月に手放した。ExpediaやIAC/InterActiveCorpを傘下に持つLiberty Mediaに,Newsの自社株買い戻しなどと引き替えにDIRECTV株を譲渡したのだ(発表資料)。

 Murdoch氏は今年76歳だが引退する気は毛頭ないようで,その感覚も若い。同氏は2005年7月にネット事業に本腰を入れた。MySpace.comの親会社Intermix Mediaを5億8000万ドルで買収。これと同時にFoxのメディア・インタラクティブ事業「Fox Interactive Media(FIM)」を立ち上げ,MySpace.comをその傘下に置いた。MySpace.comは知名度を高めその後ユーザー数をさらに増やすことになる(関連記事)。

 FIMは後にGoogleと,検索/キーワード広告で提携し,Googleから9億ドルを受け取る契約を結んだ(関連記事)。MySpace.comを手に入れるために投じた資金をはるかに上回る金額である。ネットの可能性に着目し,MySpace.comを手に入れ,それを早々と収益に結びつけてしまった。Murdoch氏の機敏さと経営手腕には驚かされる。

メディア王は何を狙う?

 今回Murdoch氏がDJに提示した金額は1株当たり60ドル。買収総額は約56億ドルになる。買収話が取締役会に持ちかけられた4月時点のDJ株価は36ドルだった。つまり同氏はこれに66%のプレミアムを上乗せした。海外メディアの記事によれば,この額は,「新聞業界が低迷しているこの時期において,断ることが困難な破格の金額」(The New York Timesの記事)。

 Murdoch氏がそれだけの金額を提示したのには理由がある。Newsはこの10月にCATVのビジネス・チャンネル「Fox Business Network (FBN)」を立ち上げる計画。Forbesの記事によれば,同氏は,DJの持つ「WSJ」「Barron's」「ダウ平均株価」といったブランド力でこの新事業を後押ししたいと考えている。

 さらに,Murdoch氏には気がかりなものがあった。経済専門チャンネルの「CNBC」である。CNBCは,メディア・コングロマリットの1つで,Newsの強力なライバルであるGeneral Electric(GE)傘下にあり,NewsのFBNと直接競合することになる。しかもこのCNBCはDJからコンテンツの供給を受けているのだ(Forbesの記事)。

Newsの経営資源でグローバル展開

 Newsは今後,DJをどう位置付けていくのだろうか? Murdoch氏は今回の買収に際して,DJの報道/編集の健全性と独立性を維持することを約束した。DJのワシントン支局とニューヨーク本社への投資,欧州やアジア圏におけるDJのプレゼンス強化についても考慮しているという。

 The Washington Postの記事によれば,欧州やアジア圏におけるWSJの競争力は,ほかの地域に比べ弱い。例えばインドで圧倒的なシェアを持つNews傘下の「Star TV」を利用するなどすれば,WSJのアジア展開は容易になるという。

 WSJの発行人であるL. Gordon Crovitz氏はThe Washington Postのインタビューに答えてこう語ったという。

 「NewsはDJよりはるかに大きなグローバル企業。我々はここ何年も新市場の開拓に取り組んできた。Newsの経営資源を使うことができれば,我々は世界市場でこれまで以上に成功できるだろう」(同氏)。

 同氏はMySpace.comとのシナジーも期待しているという。今後のDJのネット展開において,SNSが重要な部分を占めると考えており,この点はNewsの考え方と一致しているという(The Washington Postの記事)。

DJの運命は?

 Reutersの記事によれば,Murdoch氏は8月8日の決算発表後の電話会見で,DJの持つ資産のうち,地方紙事業を売却する方向で検討していることを示唆した。またこれまで有料会員制を貫いてきたWSJのオンライン版について,無料化する方向で幹部と緊密に協議しているという(Reutersの記事)。

 さっそくそう来たか。と思うのは筆者だけではないだろう。DJ買収の正式発表からわずか1週間。Murdoch氏の「豪腕」がもう現れた。同氏が長年切望していたのは,WSJやBarron'sなどのDJの中核事業のみ。不要なものはさっさと売却するというのが同氏のやり方だ。

 新聞の購読者数が減り,読者がネットへと流れていくなか,メディア企業に対策は急務。ネット時代にあり,経済・金融情報のコンテンツは需要が増しているものの,その分,業界の動きは早い。ライバルも多い(関連記事)。

 今後DJの経営環境は,良くも悪くも,Bancroft家時代とは大きく変わることになる。Murdoch氏は今後DJをどう展開していくのか。その鍵となるのはやはりネットなのだろう。MySpace.comの成功事例(関連記事)を生かし,DJは大きく躍進できるのだろうか。これからも,メディア王の手綱さばきから目が離せそうにない。


小久保 重信(こくぼ しげのぶ) ニューズフロント社長
1961年生まれ。98年よりBizTech, BizIT,IT Proの「USニュースフラッシュ」記事を執筆。2000年,有限会社ビットアークを共同設立し,「日経MAC」などに寄稿。2001年,株式会社ニューズフロントを設立。「ニュースの収集から記事執筆・編集など,IT専門記者・翻訳者の能力を生かした一貫した制作業務」を専門とする。共同著書に「ファイルメーカーPro 職人のTips 100」(日経BP社,2000年)がある。