提案内容の骨格とも言える顧客の要望を満たしていなければ、すべてが台なしになりかねない。その意味で、ヒアリング能力の欠如は営業担当者にとって致命的。今回は、ヒアリング能力を向上させることができるとっておきのトレーニングを紹介する。

 ソリューションプロバイダで働く営業担当者はもちろん、SE(システムエンジニア)にとって、最大の関心事は提案力の強化です。先日、あるソリューションプロバイダの若手社員数人と会食する機会がありました。営業担当者やSEと職種は様々でしたが、共通する悩みは提案力の強化でした。

 この席で、改めて私が感じたのはヒアリングの能力の重要性です。提案力と一口に言いますが、ヒアリングから始まり、プレゼンテーションに至るまで様々な能力が必要です。それぞれの能力が一定の水準に達していなければ、提案営業は成功しません。その中で、最も重要な能力を1つ挙げるとしたら、ヒアリング能力です。提案内容の骨格とも言える顧客の要望を満たしていなければ、その後の提案書の作成やプレゼンテーションは無駄な努力に終わってしまうからです。

 会食した若手社員の中にも、そのことを薄々感じていた人がいました。SEの1人は「できる限りお客様の要望を聞き漏らさないようにしているつもりですが、ヒアリングがうまくできないんです。ヒアリングの仕方について書かれたノウハウ本も何冊か読んで勉強しました。どうしたらいいでしょうか」と悩みを口にしていました。

 IT業界に転職したばかりの私も、このSEと同じような悩みを抱えていました。ヒアリングの能力を少しでも高めたいと思い、ノウハウ本を読み漁りました。それぞれの著者が唱える手法に「なるほど」と納得するのですが、いざ実践しようとすると“自分流”になり、期待したほど成果は上がりませんでした。

基本を身に付けたら役立つテクニック本

 とはいえ、ノウハウ本を読むのは決して無駄なことではありません。そこに書かれている内容の大半はテクニカルな話です。テクニックは基本をしっかり身に付けて初めて威力を発揮します。書籍で学んだ知識を私が実践の場で使えなかったのは、基本が不足していたからです。不思議なもので、試行錯誤を重ねてそれなりに基本が身に付くにつれ、ノウハウ本に書かれていたテクニックも徐々に役立つようになりました。

 では、ヒアリングの基本とは何でしょうか。一言で言えば、まずはお客様が発した情報を無心で受け止め、そのうえで入手した情報を経験や知識、アイデア、ノウハウなどを動員して整理・加工することです。少し分かりにくかったかもしれませんが、お客様が話している時はあれこれ考えずに素直な気持ちでそのすべてを聞き、お客様が言い尽くした後で考えるのです。この動作を身に付けると、お客様のなに気ない会話の中からでも本質的な課題が見えてくるようになります。

 ヒアリング能力が不足する営業担当者に共通するのは、お客様が話している最中に「勝手なことを言っているなあ」とか「知らないことが出てきたぞ」と考え、自分の価値観というフィルターを通してヒアリングしていることです。そうすることによって、ザルのすき間から水が流れるように、お客様が発信している貴重な情報が漏れてしまいます。その結果、自分が納得できた情報や理解できた情報だけが心に残り、総合的な判断が下せなくなるのです。

 をご覧ください。初めて訪問したお客様にソリューションプロバイダの選定条件を尋ね、お客様が「価格」と回答した時の営業担当者の対応を描いたものです。ヒアリング能力に欠ける営業担当者は、自分の価値観を通してヒアリングしているので、「価格だね」というお客様の言葉を聞いた瞬間、「そうだよなあ。やはり価格で選ぶ会社が多いんだ」と早合点してしまいます。ですから、「当社は他社に比べて価格面で勉強させていただいています」とお客様に訴え、自ら進んで価格競争の中に飛び込んでしまうのです。

図●ヒアリングの仕方
図●ヒアリングの仕方
ヒアリング能力があるかどうかで、提案営業の展開は大きく変わる
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じっくり聞けば核心に迫れる

 それにひきかえ、ヒアリング能力がある営業担当者はお客様の話を漏らさず聞く習慣が身に付いているので早合点しません。お客様が一息入れた頃を見計らって、価格以外に重視していることはないかと質問できます。ようやくお客様は「情報提供やアドバイスも欲しい」と核心に触れました。ヒアリング能力がある営業担当者は、この段階で初めて「価格重視と言っているが、それ以上に課題とその解決策を一緒になって考えてくれるソリューションプロバイダを求めているのだろう」という結論を下します。

 ヒアリング能力があるかどうかで、営業担当者が達した結論は全く異なり、その後の展開も大きく違ってきます。お客様の考えを無心で聞くことの重要性を理解していただけたのではないでしょうか。とはいえ、無心で相手の話を聞くことはそれほど容易なことではありません。情報システムの仕様などを無心で聞くことはできますが、自分の価値観や考えと異なる意見をお客様が述べると、拒否感や違和感などが生じて反対意見や自分の考えをぶつけたくなる人も多いでしょう。

 しかし、トレーニングによってだれでも無心で相手の話を聞けるようになります。具体的には、あえて自分が選ばないような書籍や雑誌、音楽、映画、テレビ番組を読んだり、聴いたり、観たりすることです。おそらく、初めのうちは違和感を覚え、すぐにやめようという気持ちになるかもしれませんが、繰り返して接しているうちに、自然な気持ちで接することができるようになるでしょう。

 先日、自宅で家族と一緒に音楽専門テレビ、MTVを観ていた時、「ダンスホールレゲエ」という新しいタイプのレゲエが流れていました。初めて聴いた私は「奇をてらった曲だなあ。これはレゲエじゃなくてヒップホップだろう」と娘に言ったところ、ヒットを飛ばしているミュージシャンだと娘から教えられました。初めのうちは聴くことに抵抗感がありましたが、そのミュージシャンのCDを借りて繰り返して聴いてみると、なかなかどうしてセンスと技術力に感心しました。

 自分の見解や価値観と異なった意見を書いた書籍や雑誌記事も積極的に読みましょう。読みながら、「これは違う」とか「こいつの考え方には付いていけない」などと考えてはいけません。1つのセンテンスごとに無心で読み、読み終わった後で整理して自分の意見や感想を述べるようにします。これを習慣付ければヒアリング能力は確実に向上します。

 ヒアリング能力が不足すると嘆いている若手営業担当者にこのトレーニングを勧めたところ、「自分の価値観を否定しなければならないんですか」と言われたことがありますが、誤解しないでください。このトレーニングの目的は、自分の価値観や考えと異なる意見に耳を傾けることを拒絶しない力を養成することにあります。不快感を抱いてしまう情報や異なる価値観の情報を強引に好きになる「思想改造」ではありません。

第一印象が悪くても人間関係は築ける

 相手が発している情報を率直に受け取る姿勢は、営業担当者にとって不可欠なものです。以前、ある会社の部長から「あなたは、いろいろなところで講演会の講師をされているようですね。私は机上論を述べるコンサルタントが嫌いなんで、ご縁はないかもしれませんね。それにしても、あなたは中小企業にお勤めされていて、よく講演依頼がきますね」と言われたことがあります。

 正直なところ、私はこの言葉にカチンときました。しかし、反論せずに、これまで現場第一主義でやってきたこと、それに興味を持たれた方から講演依頼をいただいていると話したところ、この部長は高い費用を支払ってコンサルタントに業務改革の依頼をしたが、失敗したという話を始めたのです。

 部長によると、そのコンサルタントは分厚いドキュメントを納品し、「これをもとに考えて実行するのが、あなたたちの仕事だ」と言って立ち去りました。部長が机上論で物を言うコンサルタントを嫌う理由が分かりました。そして、部長は「失礼な話によく気分を害さなかったですね」と言ってくれました。

 仮に最初の発言に私が反発していたら、この部長はコンサルタントに痛い目に遭ったことを話さなかったでしょう。相手がどのようなことを言っても、それはコミュニケーションの始まりです。営業担当者はたとえ相手から批判めいたことを言われても、なぜ相手が厳しいことを言うのか心境や背景を探らなければなりません。そうすれば、人間関係を築くことができます。幸い、先の部長とは現在でも親しくしています。

串戸 一浩 アイル マーケティング部長
専門商社で中近東やアフリカ、東南アジア向けマーケティング業務を担当。97年4月に中堅ソフト開発会社に転職し、大手鉄道会社や流通会社などにソリューションを提案、そのうち9割近くを受注した。
http://www.ill.co.jp