企業の開発努力,営業努力のたまものである技術上の機密情報や顧客データは,「営業秘密」として法律で保護される。企業情報システム構築に当たっては,ユーザー企業の営業秘密の取り扱いに十分に注意しなければならない。

  美術工芸品の通信販売会社であるA社は,同社の商品を購入したことのある顧客の住所,氏名,電話番号,購入履歴,顧客コード,商品コードなどを顧客データベースとして管理していた。

 このデータベースにアクセスするには,毎月更新するパスワードが必要で,しかも各部門ごとに必要最小限のデータしかディスプレイには表示されないようになっていた。印刷する際は,役員の承認を得たうえで情報管理室の担当者に依頼して出力してもらい,閲覧後はシュレッダーで処分するか錠がかかった保管室に保存しておく決まりだった。

 この顧客データベースを,A社の商品企画開発部門次長だった人物が競合他社に売却した。この人物は,A社の社員だったときに情報管理室担当者に頼んで顧客情報を出力してもらい,その後すぐに退職したのである。これを知ったA社は営業秘密を侵害されたとして,元次長を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こした。

 裁判所は,A社が顧客データベースへのアクセスを厳しく制限していたことから,「顧客情報が秘密として管理されていた」と判断。A社の顧客情報は不正競争防止法上の「営業秘密」に当たると認定し,元次長に対して営業秘密の侵害でA社が被った損害100万円を支払うよう命じた。

 なお,共同被告として訴えられた競合他社に関しては,事情を知らず重大な過失もなかったと判断して,A社が請求していた損害賠償・名簿使用差し止めの請求は認められなかった。(東京地方裁判所1999年7月23日判決,判例時報1694号138頁)

 システム開発やコンサルティング・サービスをユーザー企業に提供する場合に,ユーザー企業の事業計画や技術資料,顧客名簿などの機密情報を取り扱うことがある。もちろん,こうした機密情報は外部に漏らしてはいけない。

 会社を退職して別のITベンダーに転職する場合も,元の会社の機密情報を外部に漏らすのは御法度だ。機密情報を勝手に転売したり利用したりした場合,損害賠償請求を受けるだけではなく,業務上横領罪や窃盗罪に問われることもある。

 企業の技術上,営業上の機密情報のことを法律上は「営業秘密」と呼ぶ。では,営業秘密とは具体的には何を指し,どのような法律が関係するのだろうか。

秘密として管理する必要

 営業秘密とは,(1)企業にとって有用であり(有用性),(2)公には知られておらず(非公知性),(3)なおかつ秘密として管理している情報(秘密管理性)のことである。営業秘密として法律上の保護を受けるには,この3つの条件をすべて満たしている必要がある。冒頭の判例では,裁判所はA社の顧客情報はこの3つの条件を満たしている,と判断したわけだ。

 逆に言えば,企業が秘密として適切に管理していない情報は,法律的に保護されない。このことは多くの判例が明らかにしている。

 例えば車両運行管理業を営むセノンが,退職後すぐに競合会社を設立した同社の元専務がセノンの顧客情報を不法に利用したとして,顧客情報の使用差し止めを請求した事件では,裁判所は請求を棄却している。

 セノンの顧客データベースにはアクセスを制限するパスワードの設定がなく,社員の誰もがアクセスできた。顧客情報を印刷した紙も,錠のないファイルキャビネットに収納しており,マル秘の判も押していなかった。このように,同社は顧客情報を秘密として管理していなかったため,裁判所は営業秘密とは認めなかったわけだ(東京地方裁判所2000年12月7日判決,判例時報1771号111頁)。

 営業秘密は,米国では「Trade Secret」と呼び,国際条約のTRIPS協定では「非開示情報」と呼ぶ。適正な管理がない限り営業秘密として保護されないという点は,世界共通だ。

侵害には損害賠償責任

 営業秘密を保護する法律は,民法と不正競争防止法の2つである。

 民法では,企業の営業秘密を契約当事者(その企業の社員やシステム開発を請け負っているITベンダーの社員など)が侵害した場合は「債務不履行」(415条)として,契約関係にない者が侵害した場合は「不法行為」(709条)として,損害賠償責任を負うことになる(不法行為責任と債務不履行責任については7月号を参照)。営業秘密を不正に取得,使用,開示された場合に,差し止め請求と損害賠償請求を行う権利を認めた法律が,不正競争防止法だ。

 刑法には営業秘密の侵害を処罰する規定はない。しかし,東レの社員が合成繊維「ナイロン66」の資料を持ち出して他社に売った事件では,この社員は業務上横領罪で,資料を買った会社の取締役は盗品故買罪で有罪判決を受けた(神戸地方裁判所1981年3月27日判決,判例時報1012号35頁)。また,京王百貨店の社員が顧客名簿の入った磁気テープを持ち出した事件では,社員は窃盗罪で有罪判決を受けている(東京地方裁判所1987年9月30日判決,判例時報1250号144頁)。このように,刑法の適用があるほか,2003年改正の不正競争防止法では,営業秘密の侵害者に対し10年以下の懲役または1000万円以下の罰金を科せることになった(21条1項)。

機密保持は契約で規定する

 情報システムの受託開発やITベンダー間の共同開発などでは,お互いに営業秘密を漏らさないことを約束する機密保持条項を契約書に記載しておくのが普通だ。何が営業秘密に当たるのかや営業秘密の管理基準があいまいなままでは,契約当事者間でトラブルになりやすいからだ。

 契約書の機密保持条項は,これまで述べた営業秘密に関する法律や判例を十分に理解したうえで作成する必要がある。図1に機密保持義務規定の例を,図2に適用除外規定の例を示したので,参考にして欲しい。

図1●機密保持義務の条項例
図1●機密保持義務の条項例

図2●機密保持義務の適用除外条項の例
図2●機密保持義務の適用除外条項の例

辛島 睦 弁護士
1939年生まれ。61年東京大学法学部卒業。65年弁護士登録。74年から日本アイ・ビー・エムで社内弁護士として勤務。94年から99年まで同社法務・知的所有権担当取締役。現在は森・濱田松本法律事務所に所属。法とコンピュータ学会理事