800台のノートPC、2億円近くの商談。いつもポジティブな気持ちで頑張るリエピーこと後藤さんに、ようやく訪れた大きなチャンスです。ところが、こともあろうに上司である根積課長が商談を横取りしようとしているようです。リエピーには、顧客の機密事項だから誰にも言うなと口止めし、“宿敵”であるロムラン電子の遠藤部長と密談する根積課長ですが…。


「それは興味深い情報ですね」
 遠藤部長の鋭い目がキラリと光りました。
 ここはロムラン電子本社近くの割烹です。遠藤部長は仲居さんに、こちらから呼ぶまで席を外すように言いつけ、一段声のトーンを落として話を始めました。
「で、あの王子繊維がウエノグループと子会社を新設する。そこにノートパソコンを800台ですか」
 そう言って遠藤部長が江戸切子の猪口に入った冷酒をぐいっと空けました。
「で、根積さんが描いた絵を教えていただけますか? こちらも表だったトラブルは困りますからね」
「私の考えた段取りはこうです。当社が見積もりを出します。ハードはDELO製にします」
「いや、それはまずい。DELOは安すぎる。うちが潜る(見積もり価格を相手より低くすること)にしても、利益がでない」
「うーん、では日本HBでいきましょう」
「おや、懇意にしているメーカーから指し値で見積もりを取るのではないのですか?」
「いいえ、メーカーに見積もり依頼など出しません。担当の女の子と私しか知らない案件ですから。極秘案件なので私が許可を得てあると言えば分かりません」
「素晴らしい! さすが、あなたは本物だ。くっくっく」
「それで、その数時間後にロムランさんが偶然、見積もりを持っていく、と」
「偶然、800台。それも貴社の見積もりをほんの少し下回る価格でね」
「うひひひ、私の処遇もよろしくお願いしますよ」
「もちろんです。根積さんには、当社でウエノダンディの担当になっていただきますよ。こんな大きなお土産案件を持ってきてくれるんですから、待遇もできるだけ便宜を図りましょう」

 それから数日後、第三事業部のオフィスの廊下で、ぼんやり窓の外を見つめるリエピーを見つけ、内藤課長代理が声をかけました。
「どうしたの、後藤さん。なにたそがれているの?」
「うわっ! 内藤さんじゃないですか!」
 突然、リエピーが叫びました。
「おいおい、どうしたんだい。浮かない顔で」
「…数億円の見積もりを出したとして…1週間で結論を出すと言ったお客さんと急に連絡がとれなくなったとしたら、内藤さんならどうしますか?」
「ええっ、連絡が取れないって? そんなことあるわけないよ。オフィスに電話が通じないの?」
「いえ、事情があって役員のケータイにしか電話できないんです」
「事情って、どんな事情?」
「あっ、も、もういいです、この話は聞かなかったことにしてください」 そう言うと、リエピーは逃げるようにオフィスに戻りました。

「それは妙だな」
 ついにこらえ切れなくなってリエピーが洗いざらい話をしたとき、中田部長はつぶやきました。

(イラスト:尾形まどか)

「とにかく、出かけてみよう」
 タクシーの中で中田部長が説明を始めました。なによりおかしいのは、中田部長がこの案件について根積課長から報告を受けていないことです。
「根積課長の電話も全くつながらないし…まさか、根積課長が競合に情報を…」と携帯電話を握りしめた内藤課長代理が言いました。
「いや、憶測で仲間を疑ってはいけない。彼は仲間なんだ。とにかく客先へ行くことが先決だ」

「え? 上野専務は先月いっぱいで退任?」
「ええ、本日夕方に最後の片づけに来られまして」
「まさか、嘘でしょう。だって…」
 帰り支度をしていた受付の女性から話を聞いて、リエピーは呆然としています。
「やられたようだな」
 中田部長は小さくつぶやくと受付の女性に名刺を渡し、「大変重要な話があります。御社の総務責任者の方とお話がしたいとお伝えください」と申し入れました。

「私が取締役総務部長の円山ですが…」
 応接室に通された3人をすでに部屋の中で待っていたのは、こういった突然の訪問に慣れているといったふうの総白髪の男でした。
「ご多忙のところ、誠に申し訳ありません。実はこういうことがありまして…」
 中田部長は行方不明の専務について話し始めました。
 ひとしきり説明が終わった後、腕組みをして聞いていた円山部長は一声うなってから、こう言いました。
「まず、上野専務は退任しております。残務整理のため、しばらくは彼専用の部屋もありましたが…」
「あたしが入った部屋です。ふかふかのソファの」
「で、新会社の方は?」と中田部長が聞きました。
「新会社…ですか。うーん。それは全くのでたらめですね。私が言うのもなんですが、これは匂いますね。もっとじっくり話を聞かせてください。交渉場所に弊社が使われたのですから、私もご協力いたします。これは隠し立てしている場合ではない。皆さんを信用して社内機密もお話しようではありませんか」
 円山部長は3人に厳重に口止めをした上で、説明を始めました。上野専務が株式投資で大きな欠損を出してしまったこと。事実を隠して補てんし続けたのだが、決算期を迎えてどうしようもなくなったこと。私費での弁償を行うことを条件に、表沙汰にはしないことにしたこと。私的な金も同じ投資話に突っ込んだらしく、個人的にもすっからかんになっていたこと。そんな事実が、円山部長の口から次々と出てきました。

「これが根積さんの経歴ですか…」
 ちょうどそのころ、根積課長はロムラン電子の会議室で3人の男と向かい合って座っていました。
「35歳でSEから営業に転属になって7年か…」と向かって左端の初老の男が言いました。そうすると真ん中の若い男が「あはは、これじゃ35歳定年説そのままですねえ」と茶化します。
「ま、どうぞお手柔らかに…」 右端に座った遠藤部長が困ったように言った、まさにそのときです。
「大変です、遠藤部長!」 根積課長にも見覚えのある若手の営業マンが飛び込んできました。
「馬鹿ヤロウ、面接中だぞ!」 どなる遠藤部長。
「面接どころじゃないですよ。根積さん、あなたもどうなってるんですか?」 若い営業マンが根積課長のところに来て言いました。「うちは800台のノートPCをどこに納品したんだよ。事務所はもぬけのカラだし」
 根積課長と遠藤部長は驚いて立ち上がりました。
「やられました! こりゃパクリです…」

「それで最後にノートPCを換金して逃げようと、架空の新会社をでっち上げて、ひっかけたのでしょうね」
 一通り円山取締役の話が終わり、しばらく沈黙がありました。「それで御社の被害額は、いかほどですか?」 恐る恐る円山氏が聞きました。
「いや、その…あの…実はあたし、失注したようで…えへ」とリエピーが舌を出しました。
「不幸中の幸いというかなんというか…」 頭をかきながら続ける内藤課長代理です。
「そうですか…まあ、それはなによりです。ほかに被害に遭われた企業がなければいいのですが…」
「それにしても円山取締役、早急なご対応ありがとうございます。初対面の私どもをご信用いただき、いろいろお話いただきまして全く恐縮しております」
「いえ、私も、未遂とはいえ弊社を一言も叱責にならない態度に感服しました。頭が下がる思いです」
「不躾ですがこれを機会に円山さん、ひとつどのような形でも結構ですから、今後、私どもとお付き合いいただけませんか」 中田部長のこの言葉に円山取締役は感心したように言いました。
「すばらしい営業マインドですね。転んでもタダでは起きないとはこのことだ」
「あたしたち、ちょーポジティブなのが取り柄なんですから」「おいおい、それは君だけだろ」
 リエピーと内藤課長代理の言葉で全員が笑顔に戻りました。(第3部に続く

今号のポイント:法律を熟知していないと営業は務まらない

 ビジネスの最前線で仕事をする営業パーソンは法律を熟知していなければなりません。にもかかわらず勉強不足の人が多いのも事実です。最低限、学ばなければならないのは民法。徹底的に勉強してください。「心裡留保」や「瑕疵担保」など専門用語の意味どころか、最初は漢字さえ読めないかもしれません。しかし、これを理解しなければ武器を持たずに戦場に赴くようなものです。生き残ったとすれば、それは幸運だっただけです。一度トラブルという戦闘が始まれば真っ先に命を落とすでしょう。
 どこまでが合法で、どこからが違法行為なのかを知らないと、単純な回収行為さえ訴訟の対象になるかもしれません。それが営業の仕事なんです。そして、安全なところにお金は落ちていません。いつだってお宝は地雷原ギリギリにあるんです。それを見極めて速攻あるのみ。リスクとリターンは背中合わせ。もう一度言いますが、それが営業の仕事です。

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。