第三営業部が事業部に昇格して、組織が大きくなった“弊害”が出てきました。坊津君は今攻めている大型案件の見積もりを、開発部の愛須課長にお願いしますが、相手にされず途方に暮れています。一方、猫柳君は、受注一歩手前まで来た顧客との信頼関係を、新任の根積課長のミスでぶち壊され、その顧客の社長から出入り禁止を通告されてしまいます。


「坊津さん、私は忙しいのです。どいてください」
「そこをなんとかお願いしますよ」
会議からの帰りを待ちぶせていた坊津君ですが、愛須課長は目もくれず、手にしていた数冊のファイルをロッカーに戻し、違う数冊を取り出しました。
「坊津さん、とにかく私に依頼事項があるなら、上席を通してくださいませんこと。それが定石ですわよ、おほほほほ」
 そう言い残すと、愛須課長はまた別の会議に行ってしまいました。呆気にとられて見送る坊津君です。
「なんだありゃ…」
「ありゃダジャレだな」
 背後からにゅっと現れたのは、第二開発課の松本課長でした。
「うあ、竜一郎さん。もうでかい図体で突然現れないでくださいよー」
「がはは、坊津、また悩んどるな、がははは」
 大きな手でバシバシ坊津君の背中をたたきながら笑う竜一郎さんです。
「叩きすぎです。マジ、いてえよ。あの、愛須課長がですね。僕の頼みを聞いてくれないんですよ」
「そりゃ、お前の頼みを聞く義理はないわな、がはは」
「どうしてですか? 会社のために頑張ってるのに」
「そんなもん関係ないわな。お前、そんなことも分からんのか? じゃあ話をしてやろう」
 キョトンとする坊津君の襟首をつかむと、松本課長は彼を喫煙コーナーに引っ張り込みました。

 一方、ここはブルドッグ自動車の社長室です。静かな部屋の窓の外では、雨が降り出していました。
「…分かったら、もう帰れ」 そう言うと古戸社長はタバコを灰皿に押し付けました。
 しばらくの沈黙の後、猫柳君が口を開きました。
「……帰りません」少し語尾が涙声になってしまい恥ずかしくなりましたが、そんなことを気にせず話を続ける猫柳君です。「ひと言、言わせてください」
「なんだと? もうお前のところとは取引はせんと言うておるんだぞ」
「いいんです。社長、今までどうもありがとうございました」
 古戸社長は面食らいました。
「居留守を使って君をほったらかし、今までの約束を一切反故にすると言っておるワシに礼を言うのか」
 ここで猫柳君は大きく息を吸い込み、グッと社長を見据えて話し始めました。
「社長は以前『契約もらって代金回収して初めてお客さんだ』っておっしゃってました。ということは、古戸社長は僕のお客さんではありません」
「ふむ。それで?」
「古戸社長はお客さんでもないのに、若い頃の営業経験談をたくさん教えて頂きました。苦労なさったこと、成功なさったこと。クルマのことも教えて頂きました。最後には、僕の会社の悪いところを教えて頂きました。本当にありがとうございました」
 猫柳君は立ち上がってペコリと頭をさげました。
「僕はまだまだ半人前です。もっと勉強して一人前になったらまた来ます。絶対来ます。そのときは是非またチャンスをください。社長、いままでたくさん勉強させて頂いてありがとうございました」
 顔を上げた猫柳君は笑顔で社長にお礼を言いました。『ありがとうございます』という言葉を、こんなに素直に言えたのは生まれて初めてでした。「お元気で」 そう言って立ち去ろうとしたときのことです。
「…ちょっと待て。よく、言った!」
「え?」 猫柳君が振り返ると、古戸社長はソファに座ったまま腕組みをして宙を見つめていました。
「いま何を?」
「良い言葉を聞けた。だから、あの一件は水に流す」
「え?…ほ、本当ですか?」
「ワシが気に入らなかったのは貴様の会社の営業姿勢だ。しかし、それを勝る貴様の営業根性を今、ワシは見た。だから取引をすると決めた。それだけだ」
「ありがとうございます!」
「そうと決まれば早く契約書をもってこい。納期遅延は許さんぞ」
「分かりました! 今すぐ用意します!」
 猫柳君は、社長室の扉を破りそうな勢いで飛び出して行きました。

「お前はタバコ吸わんのか? ほれ」
「いえ、吸います。あ、でもこれはキツイ…」

(イラスト:尾形まどか)

 竜一郎さんのショートホープを遠慮しようとした坊津君でしたが、ギョロリとにらまれ仕方なく1本もらうことにしました。「まったく優しいんだか、怖いんだか、分かんない人だ」
「ん? なんか言ったか? ま、ええ。坊津、よく聞け。役員直下で独立して動いてた第三営業部の頃とは違うぞ。あんなものは遊びだって言う奴もいる」
「そんな言い方、ひどいですよ。僕らは血のにじむ思いで新規開拓を…」
「俺だって遊びだなんて思っとらん」 ここでプカーっと煙を吐き出して、竜一郎さんは続けました。
「しかし、そう思う人たちも存在するってことだ。そして今は事業部なんだ。好き勝手には動けない。各セクションの利害が一致しないと、一緒に動く道理がない。ましてや管理職は自分の評価につながらんことは…せんわな、がはは」
「セクションの利害と会社の利害は一致しないんですか?」 久しぶりのヘビーなニコチンで軽いめまいを覚えながら、坊津君は聞きました。
「考えてみろ。今だって事業部の売り上げが全部、お前ら営業が取ってきた仕事じゃないだろう? 俺のプロジェクトだって以前からやってるものだ。お前らの取ってきた仕事は全体の4割くらいだ。だから営業の言うことが、何でも通るってことじゃないんだ」
「でも…」
「もちろん、お前らの取ってくる仕事は評価されるべきだ。顧客と直接取引できる仕事は、理由なく単金を値切られることもない。SEの仕事も直接お客さんから評価される。若いSEもプロジェクトマネジャーとしての経験ができる。俺が以前いた会社はこうだったからよく分かる」
「あれ? 竜一郎さんプロパーじゃなかったの?」
「うん、ま、それはどうでもいい。これこそがわが社の進む道だと社長も言っとる」
「え?社長もですか?」 どこで社長と話しているのだろうといぶかしく思う坊津君でした。
「そうだ。でも、SEチームの仕事は赤字プロジェクトを出さないことで、受注じゃあないんだよ」
「うーん。難しいことは分かんないですけど、俺も勝負かかってんですよ、この仕事に。イッパツ4億なんです」 坊津君はニコチンでクラクラです。
「4億? そりゃデカイな」
「上場企業の基幹システムですからね。追加でさらに4億の投資を計画してます」
「全部で8憶か。そりゃ取り組むべきかもしれん」
「なんか方法ないですか?」
「うーん。1つだけあるにはあるが…」
「なんですか? 教えて下さい。なんでもしますよ」
「お・れ・が。見積もるんだよ」
「え? 竜一郎さんが? でもいまの仕事が…」
「仕方ねえだろ。応急措置だ。ただし俺の仕事は厳しいぜ。とりあえず見積もり資料持ってこい」
「分かりました、俺、もうなんでもしますよ」
 ふらつく足取りで喫煙コーナーを出て行く坊津君でした。それを見送る竜一郎さんは、中田部長からこの件でメールが来ていたことや、彼が見積もりを引き受ける条件までは話しませんでした。
次回に続く

今号のポイント:社内営業も営業の大事な仕事

 「営業は会社を代表してお客様と勝負している。ある意味で社長に最も近い仕事だ」などと一般には言われています。私もその通りだと思います。だから自信をもってガンガン折衝しましょう…と言いたいところですが、ちょっと待ってください。今のあなたは本当に社長の代理になれますか?「客のこと一番分かってんのは俺だ!」なんて、営業の立場ばかり主張していては本物の社長の代理ではありません。ミニ経営者としてもう1つのセクション、開発部のことも気配りをしましょう。

受注前のプロジェクト:SEの稼働状況に関する情報の入手は、社長の代理を宣言するなら絶対に必要です。あなたが新人営業だとしても、これを知っていると知らないとではいろんなことが大きく変わってきます。全社とまでは言いませんが、自分の所属する事業部の稼働状況は把握しておきたいものです。できれば誰がどのプロジェクトのリーダーで、それがいつ終わるのか、サブについていたのは誰か、評価はどうかもつかんでおきましょう。そして、人事異動情報も見逃せません。自分の受注と関係ないことの情報は入手しにくいものですが、それを入手するのもやっぱり営業活動です。

受注後のプロジェクト:患者は医者に文句を言いにくいものです。医者(プロジェクトリーダー)に届いていない小さな不満を、患者(お客様)から聞くのは当然ですが、看護士(自社SE)からも情報を入手しましょう。そのプロジェクトに寮の後輩や同期の友人がSEで入っていませんか?入院が長引いたら事務長(営業担当者)としてお金の話をしなければいけない場面も来ますからね。

 社内営業とはどこでもペコペコしたり、あちこちにゴマをすって回ったりすることではなく、これらの情報を入手し自分の仕事に生かすことです。若手であるうちに、こういう動きができるようになれば単に「数字が上がる営業」ではなく、「経営に寄与する営業」となることができるでしょう。そして第3のセクション、総務、経理、人事のスタッフにも気を配れるようになれば、一人前の社長代理です。だって社長は毎日やってるんですから!

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。