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TCP/IPの帯域遅延積の問題を解決

 現在話題になっている「ワイヤレス・ブロードバンド・サービス」という言葉が意味するのは,無線アクセスによる広域・広帯域のIP通信と考えられる。ただ,TCP/IPには帯域遅延積という法則がある。この法則はTCP/IPが回線交換ではなくパケット交換方式であることに起因し,パケット遅延時間(RTT:往復時間)がデータ通信のパフォーマンスに大きく影響を及ぼすことを示している。

 具体的には,IPデータ通信の実行スピードは通信端末が設定しているウィンドウ・サイズと無線システムを通過するときのパケット遅延時間の値でその上限が決まる(図1)。このため無線リンク上は何十Mビット/秒のスピードを確保していても,端末には数百kビット/秒のデータ伝送速度しかできないといった事象が発生する。

図1●TCPの基本法則である「帯域遅延積の法則」
図1●TCPの基本法則である「帯域遅延積の法則」
IPではたとえデータ帯域が豊富にあっても,往復遅延時間が大きいと伝送できる最大速度に上限ができてしまう。グラフはパケット・ロスがないと考え,Windows ME規定値を適用した場合のもの。

 重要なのは,必要とする伝送速度や端末によって,無線システムにおけるパケット遅延時間の許容値が決まってしまうことだ。その許容値を達成できなければ,どれだけ太いパイプを用意しても実効上意味がない。

 FLASH-OFDMでは常にパケット遅延(RTT)の値が50ミリ秒を下回り,TCP/IPの帯域遅延積法則によるパケット遅延のネックを回避している。実験に基づく実測データによると,パケット遅延は平均30ミリ秒程度に抑えられている。

 パケット遅延の値が低いということは,VoIPやオンライン・ゲームなどのリアルタイム・アプリケーションの利用が可能ということだ。リンクアップ速度も高速になる。パソコンの電源をオンにしてPCカードが基地局の探索を始めてから,約1秒でネットワークにリンクアップする。このためユーザーはネットワークへの接続を全く意識せずに,インターネットのリソースへ自由にアクセスできる。

シームレスなハンドオフを実現

 FLASH-OFDMシステムでは,各セクターが高い出力でビーコン・トーンと呼ぶパイロット信号を送出する。移動機はこの信号を常に聞き分けることで,どこの基地局のどのセクターでデータ伝送を行うと一番効率的かつ高いパフォーマンスを得ることができるのかを判断する。

 またFLASH-OFDMの移動機は二つの基地局(セクター)と同時にリンクを張ることが可能。より良い状態の基地局(セクター)から,データを受け取ることができる。

 この二つの機能とモバイルIPを組み合わせることにより,FLASH-OFDMでは移動機側の判断でメイク・ビフォア・ブレーク(MBB:make before break)ハンドオフを実現する。MBBはハンドオフの際に既存のリンクを保ちながら新しい基地局とのリンクを設定し,ハンドオフの終了確認後にそれまで使っていたリンクを切断する「シームレス・ハンドオフ」の技術である。

容量を確保しモビリティも重視

 フレックスバンド・システムは,それぞれの導入形態で飛躍的な容量の増大を実現している(図2)。Rev.1構成では1セクター当たりのVoIP音声通話は最大62通話となる。このため,一つの基地局がカバーするセル内では,最大186通話が可能となる。同様に,1カ月間に1Gバイトのデータを受信するユーザーを想定した場合,Rev.1構成では1セクター内に最大250人を収容できる。1セル内で最大750人のユーザーを収容可能となる。

図2●フレックスバンド・セクター容量
図2●フレックスバンド・セクター容量
Rev.1構成では一つのセクター当たりのVoIP音声通話は最大62通話,1カ月間に1Gバイトのデータを受信するユーザーを想定した場合は最大250人を収容できる。

 FLASH-OFDMは設計当初から,移動中に使えるモビリティを非常に重視している。高速移動中でもブロードバンド通信を実現できるようにする取り組みが進められてきた。

 既に高速鉄道におけるプロトタイプを使った実験が欧州で終了しており,商用導入が始まっている。図3では時速300kmで移動している車両から,1.25MHzの帯域で下り2M~2.5Mビット/秒,上り700kビット/秒程度の伝送速度を平均的に提供している様子が分かる(ただし,13km地点以降は基地局接続回線の帯域制約により2Mビット/秒)。

図3●欧州で実施した高速鉄道実験
図3●欧州で実施した高速鉄道実験
時速300kmで走行する列車内でも,下り方向で2M~2.5Mビット/秒,上り方向で700kビット/秒で通信できる。

 このようにFLASH-OFDMは,高速移動中の車両に対する追従性が高い。新幹線などの高速鉄道向けのブロードバンド通信や,高速道路を走行中の自動車との通信を必要とする分野でも効果を期待できる。

海外で先行する導入事例

 海外ではFLASH-OFDMの商用化が進んでいる。既にフィンランドやスロバキア,クロアチア,マレーシアなどで,450MHz帯の周波数で商用ネットワークが導入されている。ノキア・シーメンス・ネットワークスが端末や基地局のOEM販売を進めており,携帯電話の通信事業者としてはT-Mobileが導入している。

 日本国内では東北大学電気通信研究所とソフトバンクテレコムによる共同実験が有名だ。2007年4月に東北大学(仙台市)でFLASH-OFDMのRev.1システムが実験導入されており,国内でも最新技術のパフォーマンスを体感することが可能だ。

 商用サービスの開始に伴い,PCカード以外にも各種FLASH-OFDM端末機器が登場している。その代表例が,ネットギアが販売するモバイル・ブロードバンド・ルーター(MBR)である(写真1)。同製品は,基本的には無線LANのアクセス・ポイント(AP)だが,ネットワーク側の回線に固定ブロードバンド回線に加えてFLASH-OFDMを使える。このMBRを持ち歩くと,バスや電車をはじめ,臨時に設営する屋外イベント会場でもワイヤレスLANの利用が可能になる。

写真1●モバイル・ブロードバンド・ルーター
写真1●モバイル・ブロードバンド・ルーター
ネットギアが販売する。

 さらにLinuxベースのFLASH-OFDM端末も試作済みである(写真2)。VoIPだけでなく,音楽や映像のストリーミング再生を楽しめることが実証されている。

写真2●FLASH-OFDMの携帯端末
写真2●FLASH-OFDMの携帯端末
VoIPだけでなく,音楽や映像のストリーミング再生を楽しめる。

 FLASH-OFDMは限られた電波の中で,その電波を最大限活用する工夫を凝らしたモバイル・ブロードバンド技術である。日本人のち密な発想を連想させる日本的なモバイル・ブロードバンド技術といえる。

川端 啓之(かわばた・ひろゆき)
クアルコムジャパン ワイヤレスブロードバンド事業推進室 ディレクター
英ブリティッシュテレコム,米アクセスラインテクノロジーズ,米ウォルターグループにおいてアジアパシフィック地域事業開発部門の役職を歴任,1999年にはニューセンチュリーグローバルネット(日本)を立ち上げ,営業担当副社長を務める。2003年にフラリオンテクノロジーズ日本代表に就任。2006年1月から現職。