ナレッジ・マネジメントは,ただ単に情報やデータを共有すれば成功する,というものではない。ひと口にナレッジといってもさまざまな種類があり,業務や業種ごとに蓄積・活用すべきナレッジは異なっている。ここでは重要な六つのナレッジについて,例を挙げながらナレッジの特徴を明らかにし,それぞれの扱い方を解説する。

野間 彰

本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なりますが、この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

 ナレッジ・マネジメント・システムを導入している企業には,二つのタイプがある。一つは,単に最新のナレッジ・マネジメント・システムを導入しているだけの企業(ナレッジ・マネジメント・システム導入企業)。もう一つは,ナレッジを人,物,金,情報に次ぐ第5の経営資源として的確にマネージ(manage)している企業(ナレッジに基づく経営を実践している企業)である。

 大きな成果を手にしているのは,言うまでもなく,後者の「ナレッジに基づく経営を実践している企業」である。顧客満足の向上など,成功のためには何が必要かを見定め,それに基づいたナレッジ・マネジメントを実践してきたからだ。決して,いち早くナレッジ・マネジメント・システムを構築したからではない。

ナレッジの種類別にマネジメントを

 真にナレッジに基づく経営を実現する上で,IT(情報技術)は一つの要素に過ぎない。問題なのは,ナレッジの正体を的確につかみ,それに合わせた方法で人や業務に定着させ,革新を図ること。そこで重要となる切り口は,「ナレッジの分類と適切な活用」である。

 「ナレッジ」は一般に,「組織的に共有・活用することで大きな効果がある知見」と定義される。例えば提案書や見積書のような「文書情報」や日常業務の中から得られた「気付き情報」などが,ナレッジ・マネジメント・システムの対象とするナレッジである。我々はこれらを,比較的容易に電子化,共有可能であるという意味で「データベース型ナレッジ」と呼ぶ。

 しかし,我々が携わった事例には,「データベース型ナレッジ」以外にも多くの種類のナレッジがあり,その種類ごとにナレッジ・マネジメントを成功させる方法も異なる(表1)。

表1●ナレッジの分類と成功要因
表1●ナレッジの分類と成功要因

(1)パワー・ナレッジ
経営戦略を左右する最前線の知恵

 一つ目のナレッジは,「パワー・ナレッジ」と呼ぶものだ。経営戦略にも影響を及ぼすほどの「力」を備えているために,そう呼ぶ。流通業A社は,このパワー・ナレッジの力の大きさを見抜き,全店舗で効率のいい店舗運営を実現。市場の変化に対応した新しい店舗運営方法を創造できた。

 A社はもともと,ある程度進んだナレッジ・マネジメントを実践していた。各店舗に対して新しい店舗運営のためのナレッジ創造を奨励し,創造されたナレッジを本社で集約。ナレッジの効果を本社で検証した後に標準化し,改めて全店舗に徹底させるシステムを構築していた。このナレッジは当然,データベース型ナレッジである。

 あるときA社は,既存店舗に存在しているナレッジを組織的に「棚卸し」した。ナレッジ・マネジメント・システムを一層強化するためである。

 ここで大きな収穫があった。収集したナレッジの中には,それまで標準化されていなかった,いくつものナレッジが含まれていたのである。さらに,新しく抽出したナレッジの中に,全社としての基本戦略にも影響を与えそうなものをA社は発見した。

 例えば同社のa店では,「店舗をリニューアルしたら,その直後の派手なキャンペーンは避け,低価格を訴求するキャンペーンを6カ月間継続する」ことを行っていた。というのも,「A社が店舗をリニューアルすると,そのコストが商品価格に転嫁されることを顧客は考えている」と見ていたためだ。

 a店の店長は,今までに他店を含めて何回か店舗のリニューアルを経験してきた。そのときの経験に基づいた判断だったわけだ。この店長はナレッジの棚卸しの際,「リニューアルの効果を,いま一度客観的に調べる必要がある」と提案した。

A社の経営戦略の常識を覆した

 A社において「リニューアル」は,「商品政策」,「店員教育」,「新規出店」などと並ぶ,重要な経営上のツールであると考えられていた。「リニューアルの後に派手なキャンペーンを避ける」というa店長のナレッジは検証されたものではなかったが,a店の収益が高かったたことから,このナレッジは至急検証されることになった。

 顧客に対する意識調査の結果,いくつかの地域ではa店長が指摘した通りであることが明らかになった。つまり,「顧客は,店舗のリニューアル費用がいずれ商品価格に転嫁されると考えている」という仮説が裏付けられたことになる。このような地域では,単純な店舗リニューアルは効果がでない可能性が強くなった。

 さらにナレッジの棚卸しによって,ほかにもいくつか同様な力を持ったナレッジが抽出された。戦略の基本的な考え方を問い直すものだけでなく,より妥当な戦略策定のヒントになるものもあり,A社のナレッジの棚卸しは大きな効果を上げた。

 A社は,このように戦略上考慮すべきナレッジを,新たに「パワー・ナレッジ」と名付け,日常の店舗運営を支援する「オペレーション・ナレッジ」と区別した。

 さらに,パワー・ナレッジを継続的に収集し,戦略に反映させるシステムを確立した。A社はこのシステムを,「戦略PDC(Plan-Do-Check)システム」と呼んだ。「戦略PDCシステム」では,単に「パワー・ナレッジ」を抽出・活用するプロセスの確立のみならず,店長クラスに対して戦略策定にかかわる教育を実施した。