安倍政権が迷走し続ける。野党も失政追及に終始し国民は政争に飽き始めている。地方では改革派首長が次々と引退し、95年以来三重県の北川前知事らが火をつけ小泉改革に至った一連の政治・行政改革の波が終焉しつつある。そうした中、唯一滋賀県で「民主主義」の大きな可能性を感じさせる大変動が起こりつつある。昨年7月、新幹線新駅の建設凍結を公約に掲げた嘉田由紀子氏が滋賀県知事に当選した。それから1年間の紆余曲折を経て凍結がほぼ確実となった。今回はこのことの意義を考えてみたい。

1年でほぼ決着--過去に類をみないスピードで紛争処理

 新駅予定地の栗東市は京都駅から約25キロ、在来線で25分程度のところにある。ここに請願駅を作るという計画があった。「費用対効果が薄い」「無駄遣いだ」という批判の声も数多くあがっていた。だが県や栗東市など地元市町村はJR東海に合計240億円を支払い駅を作ってもらうという協定を結んだ。そして昨年5月に着工する。ところが建設凍結を掲げた嘉田知事が同7月に当選。公約に沿って予算執行が一たん凍結された。地元の栗東市長や駅前の地権者は納得しない。県議も多数が建設推進派だ。この1年、もめにもめた。だが春の県議選で建設推進を掲げた自民党が大敗。それを機に議会は知事の凍結方針を支持する。かくして県庁が資金を出すことはまずありえない情勢になった。栗東市が単独で費用負担することは無理なので本件はわずか1年で事実上の決着をみつつあると考えてよい(注1)

(注1)正式には新幹線の新駅凍結問題はまだ完全決着していない。「今年10月末までに『推進』で合意しない限り、JR等との協定類は終了する」という旨の覚書が存在するためだ。圧倒的な民意があるにもかかわらず嘉田知事が手続きや対話に時間をかける背景には「対話と共感」を掲げる知事の施政方針がある。また本件にはJR東海や栗東市、周辺市を含む4者協定が締結済みであるなど複雑な利害関係と長年の経緯がある。ちなみに建設推進派の「駅が欲しい」という思いそのものはなんら否定すべきものではない。問題の本質は財政危機の中での本件の費用対効果と優先順位の見極めにある。したがって本件は裁判などではなく関係者の合意により解決することが理想である。

 わが国ではこれまで各地で原発やダムの建設、干潟の埋め立てなどに反対する住民が行政と戦い、敗退してきた。住民投票や住民訴訟を経て見直しに至ったものもあるが何年もの歳月を費やすことが多かった。これらに比べ滋賀の新幹線問題はわずか1年で、しかも後に残る大きな傷跡を残さずに終息しつつある。史上稀にみるスマートな紛争処理事例として後世に名を残すだろう。

本件がもたらす5つ意義--民主主義の大きな可能性を示す

 また、本件はわが国の地方自治ひいては民主主義の熟度を象徴する事例でもありさまざまな意義を持つ。

 第1に、既に着工済みの公共事業でも関係者が合意すれば凍結(現行計画の中止)できるということを示した。従来、行政機関はいったん取り組んだ施策を取り下げるということはなかった。背景には「行政に誤りはないはず」という“無謬主義の原則”があった。だが、今回は政策の是非が選挙公約という形でストレートに住民に問われ民意が明らかになった。圧倒的な民意を得た知事がいて衆人環視のもとで協議が始まる。知事は県庁と市町村、知事と議会の宥和と対話を掲げ、あくまで正攻法で粘り強く協議を続ける。反対勢力は最終的に民意に沿った妥協をせざるをえなくなった。

 第2に、本件は自治体が公共投資などのハード主義から教育・福祉・環境保全などのソフト主義へと政策を転換しつつあることを象徴する。高度成長期ならば新駅と駅前開発の計画には現実味があった。だが成熟経済と人口減少の時代には絵に描いた餅でしかない。一方、住民は大規模公共事業よりも環境・教育・福祉などの身近な施策を求める。今までの行政はこの方針転換ができなかった。本件はこの転換を象徴する事例だ。

 第3に、本件は自治体は施策の優先順位を自らの責任で決め、あるいは変更することが可能だということを改めて示した。財政危機を契機にどの自治体も予算の総花的ばらまきを見直しつつある。だが公共事業は長年の経緯や地元の利害関係、さらに国の方針などが絡み合い見直しにくい。それが今回は首長の意志でしかも短期間で実現した。

 第4は民意吸い上げによる政治改革の可能性である。本件は、元はたかが新幹線新駅というシングルイシューを巡る紛争処理だった。だが実際にはこの問題にとどまらなかった。建設か凍結かは実は滋賀県全体の今後のあり方を大きく左右する象徴事例だった。シングルイシューを通じた選挙で民意を集め、それを契機に関係者は県の将来を深く考えた。最終的に新幹線の見直しは県議会の改革にまで発展した。第5にこの1年、滋賀県民は多くのことを学んだに違いない。たった1票を活用し、自分たちの意思を政治に反映させることできる。これを知った住民が得た自信は大きい。

 建設凍結がもたらす混乱はもちろん大きい。だが本稿に掲げたような意義に思いを馳せれば、それも何とか乗り越えられるのではないか。関係者には50年先、100年先を見据えた熟慮を期待したい(注2)

(注2)筆者は滋賀県庁の滋賀県新幹線新駅問題対策専門委員をつとめるが本稿の見解は全くの個人としての意見である。

上山氏写真

上山信一(うえやま・しんいち)

慶應義塾大学総合政策学部教授。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)、ジョージタウン大学研究教授を経て現職。専門は行政経営。『だから、改革は成功する』『新・行財政構造改革工程表』『ミュージアムが都市を再生する』ほか編著書多数。