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写真1●ウィルコムが2006年2月に発売した高度化PHS端末「AX520N」
写真1●ウィルコムが2006年2月に発売した高度化PHS端末「AX520N」
8Xパケット方式に対応し,最大約400kビット/秒の高速データ通信が可能である。NECインフロンティア製。

 ワイヤレス通信の進歩によって,スーパー3GWiMAXをはじめとする,数十Mビット/秒の速度を実現できるブロードバンド・システムが実用化されようとしている。

 このような状況の下でウィルコムは,PHSの高度化によって1Mビット/秒クラスの伝送速度を実現するための開発を進めている(写真1)。さらに,来たるべきワイヤレス・ブロードバンド時代に対応するため,最新の技術を導入した次世代PHSの検討を開始した。次世代PHSは現行PHSシステムと無線方式は大きく異なるものの,コンパチビリティや共通性を保ったシステムを目指している。

 第1回,第2回ではPHSの特徴とPHS高度化の現状を紹介し,第3回,第4回で次世代PHSの検討状況を紹介する。


登場後10年が経過したPHSを高度化

 1995年に登場したPHSは,サービス開始後10年が経過した。開始当初は料金の安さを武器に加入者を一気に伸ばしたが,その後の携帯電話の料金値下げで優位性が薄れた。PHS市場全体では97年9月の約700万加入をピークに純減傾向が続いていた。

 このような状況でウィルコム(当時DDIポケット)は,高速ハンドオーバーの実現,パケット通信の導入,高度化PHSの開発などPHSの機能向上を継続。300万前後の加入者を維持してきた。2005年には音声定額サービスを投入し,再び加入者が増加。2006年1月末時点では,373万1200契約と過去最高値を更新した(図1)。

図1●ウィルコムの加入者とサービスの推移
図1●ウィルコムの加入者とサービスの推移
サービス開始後,約2年で300万加入を突破した。その後300万を割り込むこともあったが,2005年の音声定額メニューの追加以降,ユーザーが急増した。[画像のクリックで拡大表示]

 NTTドコモのFOMAやKDDIのCDMA2000 1Xといった第3世代携帯電話サービスがユーザーを拡大する中で,ウィルコムのPHSサービスが話題を呼んでいるのは,PHSシステムの独自性に起因する。

 PHSは携帯電話よりもはるかに多くの基地局を設置するマイクロセル・システムである。ウィルコムでは数十~数百メートルをエリアとする基地局を全国に16万局設置し,エリアを展開している。携帯電話は1基地局が広いエリアをカバーするマクロセル方式を採用している(図2)。

図2●ウィルコムのPHSが導入したマイクロセル方式
図2●ウィルコムのPHSが導入したマイクロセル方式
セル半径が500m以下と小さい分,基地局の設置数が多く必要となる。ウィルコムは全国に16万基地局を設置した。[画像のクリックで拡大表示]

 マイクロセル方式は基地局が多い分,同じ周波数を何回も繰り返し利用できるため,周波数帯域当たりの利用可能な無線チャネル数を増やすことができる。さらにアダプティブアレイ技術の導入によって,周波数利用効率を飛躍的に向上させ,大容量の通信が可能になった。

 しかもマイクロセル・システムは,基地局と端末の距離が短いため端末の出力を抑えられる。この特徴は端末の小型化に有利である。ウィルコムはこれらの特徴を最大限に活かしたサービスを開発し,携帯電話に対抗するサービスを次々と実現できた。

 ただし,マイクロセル方式は多くの基地局を必要とするため,エリア展開に時間がかかる。これまで毎年エリア拡大に努めてきたウィルコムは,2006年3月末に人口カバー率99%を達成する見込みである。

大容量システムで定額料金制を実現

 ウィルコムは移動体通信で,定額料金制を率先して導入してきた。定額料金は固定通信では一般的となったが,移動体通信では導入が困難と言われていた。無線のアクセス・チャネルを多くのユーザーが共用して利用するため,一人当たりのトラフィックが急増すると,無線チャネルがすぐに不足するからだ。

 PHSのマイクロセル・システムでは,1周波数で提供できるチャネル数が多いため,大容量トラフィックへの対応が容易である。音声定額プランのユーザーの通話時間は,通常プランの6倍以上に当たる月間10時間以上になったが,容量的な問題は発生していない。

 定額料金は「AIR-EDGE」と呼ぶメニューで,まずデータ通信から導入した。音声については無線チャネルの問題よりも,他事業者に支払う通信料金(アクセス・チャージ)の問題があった。そこでウィルコムは独自のIP網を構築。この問題を解決した。

小出力による端末のモジュール化

 PHSのマイクロセル・システムの特徴の一つは,端末が小出力という点である。精密機器に与える影響が小さいため,病院やコンピュータ・ルームなどでPHSの利用率が高い。

 小出力は端末の小型化にも大きく作用する。ウィルコムは端末の小型モジュール化に成功し,W-SIM(ウィルコムシム)を開発した(写真2)。メモリーはもちろんPHSの無線装置,音声コーデック,アンテナがすべてモジュール化されている。現行のW-SIMは128kビット/秒の速度まで対応している。

写真2●W-SIMの外観と仕様
写真2●W-SIMの外観と仕様
さまざまな機器に無線機能を搭載可能とした。

 W-SIMを利用すると,無線装置を製造した経験がないメーカーもPHS端末を提供可能となり,PHS端末のバリエーションを広げられる。一般に携帯電話端末やPHS端末を製造するには高度な無線技術が必要となるため,これらの端末を開発できるメーカーは限られていた。W-SIMの投入は,無線装置の製造経験がないメーカーも端末ビジネスへの参入を可能にした。

初のウィンドウズ・モバイルを投入

 小型モジュール化の成果として登場した端末が「W-ZERO3」である(写真3)。W-ZERO3はシャープと米マイクロソフトの技術を結集した本体に,ウィルコムのW-SIMを合わせて出来上がった,これまでにないタイプの新しい端末と言える。

写真3●W-SIM対応のスマートフォン「W-ZERO3」
写真3●W-SIM対応のスマートフォン「W-ZERO3」
発売以来好評を博し,1カ月強で5万台を販売した。

 W-ZERO3は3.7型VGA(640×480ドット)高精細液晶を携帯電話・PHSでは初めて搭載。通話もデータ通信もできる新しいコミュニケーション・ツールである。

 OSには,Windows Mobile 5.0 for Pocket PCを採用した。パソコン上のExcelやWordなどのソフトで作成したファイルを編集できるだけでなく,PowerPointやPDF形式のファイル閲覧にも対応。パソコンとの高い親和性を実現した。

 Windows Mobileは,パソコンの豊富なアプリケーション資産をそのまま利用できるプラットフォームであるとともに,サーバーと連携した企業向けモバイル・ソリューションへの活用も期待できる。スライド式のキーボードを備えているため,パソコン感覚で文字を入力できる。

 通信機能では,PHS通信に加えてIEEE 802.11b準拠の無線LANを内蔵。自宅やオフィスなどの無線LANエリア内では無線LANを,そのほかのエリアではPHSをというように,場所や用途に応じて通信手段を使い分けられる。

 W-ZERO3は2005年12月に発売して以来,好評を得ている。今後はノート・パソコンを持ち歩かなくても,W-ZERO3だけで業務などを済ませられるようになるかもしれない。これまでPDA(携帯情報端末)としても使えるスマートフォンは日本では普及しないと言われてきたが,W-ZERO3が新たな市場を開拓する可能性がある。

 W-SIMは今後,パソコンやPDAなどの無線モデムとしての役割ばかりでなく,医療機器やデジタル・カメラといった身近な機器から防犯システムや家電に至るまで,あらゆる機器に対応する可能性を秘めている。電話業界にとどまらずさまざまな企業が,今までにない商品に展開することが期待されている。

 将来PHSの通信機能が向上したときには,W-SIMを差し替えるだけで端末の通信速度を高速化できる。高度化PHSによって最大速度が400kビット/秒や1Mビット/秒に改善されたとしても,モジュールの交換だけで端末全部を交換する必要はなくなる。資源の有効利用を可能にするだけでなく,端末流通の仕組みそのものを大きく変えることになるだろう。

平澤 弘樹(ひらさわ・ひろき) 
ウィルコム 執行役員ネットワーク技術本部長
1982年3月,早稲田大学大学院理工学研究科卒業。同年4月,郵政省に入省。88年,第二電電に入社し,セルラー電話の料金制度に従事。97年にDDIポケットに出向し,PHSの高度化に関する開発を担当した。2005年6月から現職。