エンタープライス2.0に進化した世界では、これまでは競争力の源泉として社内で守ってきたシステムやデータをあえて外部に公開することで、新たなビジネス・チャンスを得る。
マッシュアップの普及のカギを握るのが、WebサービスAPIの充実である。素材となるAPIなくしてマッシュアップは成り立たない。

 ここでいうAPIとは、ネット上のコンテンツやサービスを、他のWebサイトやプログラムで利用するために公開されたインタフェースのこと。SOAPやREST(REpresentational State Transfer)といったプロトコルを利用して、XML形式で結果を受け取る。

 APIの公開は両刃の剣でもある。「自社ブランドの信頼性のある情報をみすみすタダで公開するのか」「ネットに公開してセキュリティは守れるのか」「サイトへのアクセスが急増したらシステム投資が必要になる。費用対効果の計算はできているのか」、といった懸念材料を挙げればきりがない。

 それでも、JTBや近畿日本ツーリストなど実店舗を構える総合旅行会社の決断は、「公開する」だった。同様の動きは、ヘルスケア業界などに確実に広がってきた。

旅行業界
大手がAPI公開を競う

 「JTBにとってのWeb2.0とは何なのか」「自分たちのリソースを公開するのか、しないのか」――。

 2007年3月、伊豆・天城に旅行業界最大手JTBのIT関連の主要メンバーが集まった。「議論の対象となった主要テーマの1つが、JTBのWeb2.0対応であり、APIによる情報の公開をどうするかという問題だった」と、総合企画・CIO(最高情報責任者)・広報担当の志賀常務は話す。

 賛否両論の議論を交わした結果、JTBはAPIを公開する結論を下した。同社は5月にも、宿情報や空室情報、料金などをWebサービスAPI経由で公開する計画だ。

 JTBの日比野健 取締役旅行事業本部副本部長は、「APIを公開すれば、旅行について取り上げているさまざまなWebサイトやブログなどで当社の旅行商品の情報を閲覧できるようになる。外部の力を借りることで、これまで取り込めてなかった層にアプローチできるようになるのではないか」と期待する。

 国内旅行第2位の近畿日本ツーリストもAPI公開に動き始めた。経営企画部の瓜生修一IT戦略部長は、「同じ国内のツアーでも東名阪発の商品はたくさんある。しかし、地方発の商品となると品ぞろえは限られてしまう。自社製品だけに限定せず他社商品も含めて各地方発の商品をマッシュアップで提供すれば、地方のお客様にメリットがあるサービスを提供できる」と話す。

 同社は来年中にはAPIを公開する計画だ。同社が50億円を投じて進めている基幹システムのオープン化の目的の一つは、「APIを公開しやすい環境にする」(瓜生部長)ためである。

「CGM」が旅行業界を揺るがす

 旅行業界の大手が次々と動き出したのは、「旅行」という商材の販売チャネルが、大きくネットに移行していることが原因だ。しかもその売れ行きに、Web2.0的な口コミが大きく影響し始めている(図5)。

図5●旅行会社は相次いでWebサービスAPI経由の情報公開を進めている
図5●旅行会社は相次いでWebサービスAPI経由の情報公開を進めている
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 2003年に創業された旅行関連の口コミサイト「フォートラベル」は、右肩上がりで成長を続け、現在はおよそ200万人の利用者、月間2200万ページビューまで成長した。同サイトを訪れた22%のユーザーが、単に旅の情報を見るだけでなく、そのまま予約サイトに足を運んでいるという。

 大量の消費者の書き込みから生まれるCGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア)が業界を揺さぶり出した。フォートラベルの津田全泰会長兼CCO(コンテンツ最高責任者)は、「旅行という分野は、利用者が情報を発信、共有したいというモチベーションが高く、それが直接ビジネスに結びつきやすい」と話す。

3年後にはネット売り上げが3倍に

 ネット以外にリアルの店舗や電話など複数のチャネルを持つJTBでも、ネット経由の売上高は確実に大きくなっている。まだ売り上げは全体の10%に満たないが、06年度の930億円(コンビニ販売を含む)が、07年度には、20 %増の1200億円(同)に伸びそうだ。

 JTBでインターネット販売事業を担当するi.JTBの北上真一社長兼CIO(最高情報責任者)は、「2010年ごろには25~30%程度まで増えるのではないか」と予測する。

 06年6月、他社に先行してAPI公開に踏み切ったリクルートの旅行情報と予約サイト「じゃらんnet」も業績は好調だ。じゃらんnetのAPI経由のアクセスは公開以降増加を続けてきた。現在は毎月数百万ページビューに達している。

 これはじゃらんnet全体のアクセスの1%程度にすぎないが、国内旅行カンパニー メディアプロデュース部 ネット企画グループの出木場久征ゼネラルマネジャーは、「今後API経由のアクセス数は確実に増加する。3年後には10倍になっていてもおかしくない」とみる。

 すでにリクルートは07年3月に数十億円を投じ、じゃらんnetのシステムを刷新した。「今回の刷新は5年後、10年後を見据えたもの。処理性能やセキュリティ強化とともに、自社の旅行情報をAPIで公開しやすい仕組みにすることが大きな目的だった」と出木場ゼネラルマネジャーは話す。じゃらんnetの刷新は、06年度の同社最大のシステム構築案件である。

 同社はAPI決定に至るまで、3年前から侃侃諤々(かんかんがくがく)の議論を続けた。ここで終始こだわったのが、旅行を申し込む人間の感情である。「どうすれば我々の商品や情報を選んでもらえるのか」。そこで得た結論が、「できるだけ多くの情報を公開することでしか競争力は生まれない」というものだった。

ヘルスケア業界
アマゾンの発想を取り入れる

 体脂肪計やヘルスメーター、体組成計などの健康測定機器大手のタニタは07年3月、新たな健康関連の支援サービス「モニタリング・ユア・ヘルス(MYH)」を発表した。同社の機器で測定した体脂肪率、体重、血圧などの健康データを、タニタが管理するデータベースで一元管理し、協力企業を含めて使っていこうという構想である。

 同社はMYHを、「Web2.0に対応した次世代ヘルスケア・サービス」と位置付け、経営資源を重点的に投入する。計測機器の販売が主体の同社の売上高は、ここ数年180億程度で横ばいを続けているが、この新規事業だけで09年度に売上高50億円を実現する野心的な計画を立てている。

 データベース・アクセス用のAPIを用意し、パートナー企業はAPI経由で測定データにアクセスして、顧客への健康指導などの各社の独自サービスに生かす。データを測定する機器も自社製品に限らない。例えば、血糖計は他社から提供を受ける予定だ。

 タニタ自身は同社の健康支援サイト「からだカルテ」で、日々の測定データをグラフ化したり、健康に関するアドバイスを提供するサービスを提供。測定データを病院/医師、スポーツクラブ、食品メーカーなどのパートナー企業と共有する。

 タニタの新規事業を統括するヘルスケア/ネットサービス推進部の谷田昭吾統括マネージャーは、「人生にはいろいろなことが起こる。人の健康を、生まれてから亡くなるまで測って、指導していくことは、タニタ1社だけではできない。だからこそ、Webというオープンな共通基盤でつながる仕組みをつくった」と話す。

 この考えの大もとになったのが米アマゾン・ドットコムのビジネスモデルである。同部の坂井康展リーダーは、「アマゾンが商品情報のAPIを公開することでアマゾン経済圏を作り出したように、タニタ島にAPIの橋をかけ、新しい経済圏を作りたいと考えた」のが始まりだったという。

 07年3月の事業発表後、他の企業との提携も進み始めた。食品会社のキリン ヤクルト ネクストステージや、「家庭の医学」を発行する保険同人社などだ。スポーツクラブ大手のルネサンスなども提携を検討している。あるスポーツクラブは、「スポーツクラブがバラバラに動いていたのでは、独自のサービスができるだけ。顧客視点で考えるなら、タニタのようなオープンな仕組みで進めることが重要だ」と評価する。

ネット企業
API公開は前提

 APIを公開し新たな成長を目指す。エンタープライズ2.0の流れは、06年から加速度的に広がってきた。

 ネット企業では、自社サイトへのアクセス数がビジネスに直結する。これらの企業にとってAPI公開はビジネスの前提になっている。

 06年6月にはリクルートがAPIを公開、9月には価格比較サイト最大手のカカクコムもAPIを公開した。07年1月には国内EC最大手の楽天も、API公開に踏み切った。これにより、国内の大手ネットサービス事業者のAPI対応がほぼ終わった(表1)。

表1●国内の主なWebサービス提供例。Webサイトや情報システムに組み込んで利用できる
表1●国内の主なWebサービス提供例。Webサイトや情報システムに組み込んで利用できる  [画像のクリックで拡大表示]

 ヤフー日本法人は、07年4月にAPIの企業利用についての専用窓口を設置。企業向けサービスに本腰を入れて取り組み始めた。現在はまだ企業にどういったニーズがあるかを模索している段階だが、日々何らかの問い合わせが企業から寄せられているという。

 JTBなどネット専業でない企業も動き始めたのは前述の通りだ。このほか、証券会社による株式の売買サービス、ピア・ツー・ピア型のWeb会議サービス、農産物情報など、多種多様な企業がAPIの公開を進めている。

 価格比較サイト大手カカクコムの安田幹広取締役CTO(最高技術責任者)は、昨年9月にAPIを公開した理由の一つに「今は公開の対象がパソコンであることが多いが、技術的にはカーナビ、携帯電話や家電などさまざまな機器にも情報を提供することができる。APIの可能性は大きい」と話す。

 07年4月には増えるAPIの状況を一覧できるサービスも登場した。ベクターの「MASHUPEDIA(マッシュペディア)である(図6)。日々新たなAPIが増えている。

図6●Webサービス API情報のポータルサイト「マッシュペディア」
図6●Webサービス API情報のポータルサイト「マッシュペディア」

 自らの競争力の源泉を公開することで、新たなチャンスを見つけようとする企業は確実に増えている。