尾関雅則氏は我が国の情報化を牽引したリーダーの一人である。国鉄時代には本格的なプロジェクトチームを作り、大型コンピューターを使って、みどりの窓口の座席予約オンラインシステムを開発、1973年1月に完成させた。2007年現在も、IT関連の勉強会などに顔を出し、発言や質問をされている。

 その尾関氏は10年前、73歳の時に「オゼのホームページ」を開設、情報化やプロジェクトに関するエッセイを執筆した。今回、本サイト上に、オゼのホームページを復刻する。今回掲載するのは「パソコンシステムについて」と題された一連のコラムの第3回である。コラムの主旨について尾関氏は次のように記していた。

 「パソコンが世に現れてから、すでに20年以上の時間が経過しました。パソコンの生産額が、昔のコンピューターのそれを超えたのは、もう数年前のことだったと記憶しております。今や、コンピューターといえばパソコンのこと、と言うのは常識となりました。そして、インターネットの出現により、世はパソコン&ネットワークの時代に入りました。この現象が今後の世の中をどのように変えていくのでしょうか?情報システムの来し方、行く末を、考えてみたいとおもいます」


 日本では、少なくとも大人になると、ハンコは必需品です。ハンコが無いと貯金ひとつできません。子供が成人式を迎えた時に、親が実印を作ってプレゼントすることが、昔はよくありました。最近では、成人式では間に合わなくなってしまい、中学生にもハンコが必要になっているのではないでしょうか。

 外国ではハンコは使いません。全部サイン(署名)です。日本でも閣議の議事録には、署名と花押(書き判)しかありません。ハンコの発祥の地と思われる中国でも、ハンコは書画のハンコだけで、ビジネスでは全部サインです。

 ところで、ハンコの意味はなんでしょうか。「そこに書かれていることを確かに承認します」ということだと思われます。

 明治以来130年、敗戦後からでも50年以上を経過した今日、日本では何と多くの押印が必要とされていることでしょうか。最近ようやくハンコを減らそうという動きが出てきましたが、殊に、お役所の仕事には、まだまだ沢山のハンコが欠かせません。

 教科書的にいえば、権限の存在するところには、必ずハンコありです。しかも、戦後、お役所の組織が巨大になり、権限配分が複雑化する一方であるにもかかわらず、適正な権限の委譲が行われているようには思われません。まさに、かつて有名であったパーキンソンの法則が述べていたとおりです。

 この状況にうまく対応するために、ハンコは大変便利なものです。即ち、ハンコはその印影を見ただけでは、果たして、本人が押したものかどうか、判別できないからです。実際、実印の場合はともかく、いわゆる三文判の場合は、気軽に他人が押していることも無いわけではありません。まさに、日本の典型的な本音と建前の使い分けです。

 もし、法律で「ハンコは一切無効とする。本人の署名のみが有効」ということにしたら、どんなに混乱するでしょう。こう考えてみたら、ハンコに象徴される日本の仕組みがよく分かるというものです。

 パソコンを文房具として、OA(オフィス・オートメーション)なり、リエンジニアリングを進めるとき、ハンコや署名に代わる、電子的な押印(電子決裁)をどのようにして行なうか。その押印を法制的にどう有効にするか。この問題がもっとも本質的かつ重大なポイントでしょう。ここいらに、日米の基本的な違いが存在し、そのことが、両国の景況を分けている真の原因であるように思われてなりません。

(オリジナルは1998年1月30日公開)