近年,世界の携帯電話産業は我が世の春を謳歌(おうか)するように高い成長をみせてきた。アジアを中心とする新興国市場の拡大と先進国市場の買い替え需要により,携帯電話市場は活気があふれている。ノキアやモトローラ,サムスン電子などをはじめ,世界のビッグ・プレーヤー達は激しい市場競争を繰り広げている。

 しかし,こと日本の携帯電話メーカーに関しては縮小均衡に走る姿ばかりが目に付く。一体,世界では何が起こり,日本メーカーはどこを目指そうとしているのだろうか?第2回の今回は,携帯電話業界の方にはすでに周知の話かもしれないが,これまでの携帯電話市場の歴史を簡単に振り返りたい。

携帯電話=グローバリゼーションの象徴


図1 世界の携帯電話市場の成長 日本市場が飽和状態であるのに対し,世界市場は高い伸びを示している。出典:ガートナー データクエストおよびJEITAの調査結果。
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 世界の携帯電話市場は,グローバリゼーションそのものを象徴するような形で成長してきた(図1)。これまでの製品群と異なり,携帯電話端末の市場拡大は先進国,新興国,発展途上国にかかわらず,世界各地でほぼ同時進行している。世界の携帯電話加入者数は2006年末の時点で26億人。1999年の加入者数4億8000万人と比べると,実に7年間で5倍以上に成長した。平均年間成長率は25%を上回る。

 国別に見ると,中国が4億9千万人の加入者を抱え,世界最大の市場である。中国に加え,アメリカ,ロシア,インド,日本が世界の5大市場と言われている。また,中国とインドの携帯電話普及率はまだ3割程度で,今後も成長の余地が大きいと期待されている。一方,日本市場では契約者数が1億に迫り,普及率の点からはすでに飽和状態になりつつある。 

8年間でサムスンは470万台から1億1600万台へ


図2 世界の携帯電話市場の伸びと上位メーカーの年間出荷台数 出典:ガートナー データクエストの調査結果。
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 海外の上位携帯電話メーカーは,世界の携帯電話市場拡大の波に乗った。世界のトップ5メーカーはいずれも世界市場と同等か,それ以上の成長率を記録している。世界1位のノキアは世界シェアの3割を維持し続ける。2006年の時点で,ノキアの年間出荷台数は3億4500万台に達し,前年度に比べた出荷台数の純増だけでも8000万台である。これは日本の携帯電話メーカー10社の年間出荷台数の合計を上回る。また,世界2位のモトローラは,ここ数年間2割程度の世界シェアを占めており,2006年の年間出荷台数は2億台を突破した(図2)。

 ノキア,モトローラのほかに,もう一つ注目したいのが韓国メーカーの躍進だ。韓国メーカーは世界の老舗であるノキア,モトローラ,ソニー・エリクソン(*)と異なり,携帯電話事業の歴史が浅い新興企業である。しかし,世界のトップ5の中に,現在2社の韓国企業――サムスン電子とLG電子がランクインしている。1998年,サムスン電子の携帯電話年間出荷台数はわずか470万台だった。これが2006年には1億1600万台に達し,世界シェア3位となった。ちなみに1998年当時,パナソニック モバイルコミュニケーションズ(当時の松下通信工業)は年間出荷台数1450万台で世界4位のシェアを持っていたが,2006年には600万台まで落ち込んでいる。8年足らずで,力関係は大きく変わってしまった。

(*)同社はソニーとエリクソンの合弁会社である。本連載では日本メーカーとしては扱わない。

 世界市場の急成長に伴い上位メーカーは規模の経済性を追求し始め,猛烈な市場シェア競争を展開,体力勝負の様相を呈してきた。かつて市場シェア4位だったこともあるシーメンスは競争から脱落し,端末ビジネスから撤退した。また,上位メーカーと下位メーカーの差は広がり,世界の携帯電話市場は寡占化の傾向が強まってきた。2006年には年間出荷台数上位5社が世界市場シェアの8割を占めている。「iPhone」のような卓越したブランド力や商品力がなければ,世界市場における新規参入はもちろん,下位メーカーの巻き返しも非常に難しくなってきたのが実情である。

世界の潮流に逆行した日本メーカー

 日本の携帯電話メーカーが海外市場に本格参入したのは10年以上前である。1994年頃,松下通信工業(当時),NEC,三菱電機,東芝などのメーカーはヨーロッパや中国に生産拠点を確立し,世界の標準的な方式となったGSM(Global System for Mobile Communications)端末の製造と供給を始めた。大手メーカーはそれぞれ世界シェア10%程度を目標とし,松下,NEC,三菱,東芝の4社はヨーロッパと中国市場において,携帯電話の完全現地供給を実現していた。


写真1 2004年5月にNECが北京の北京飯店で開催した盧雷氏就任の記者会見 写真が盧雷氏。
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 各メーカーは現地市場を開拓するため,生産拠点だけではなく,多額の資金を注ぎ込んで研究開発センターの設置や販売チャネルの整備を行った。特にNECは中国事業を今後の海外事業のモデルとして確立しようと,かつてないほどの大胆な行動に出た。モトローラ中国の総経理だった盧雷氏を初の中国人総裁として招き,権限委譲と現地化を進めた(写真1)。モトローラ中国から高級管理職や中間管理職も引き抜き,「NECの中にモトローラの分社ができる」と言われたほどであった。また,最新機種を日本市場よりも早く投入し,中国市場を重要視する戦略を採っていた。

 しかし,各メーカー共に海外市場の事業は伸び悩んた。そして,2002年の通信バブル崩壊を機に,各メーカーはヨーロッパ市場から事実上撤退した。2005年以降は中国市場からの撤退も相次いだ。2005年の三菱,東芝に続き,2006年にはパナソニック,NECが中国市場を含む海外市場での2G/2.5Gの携帯電話事業を終息させる経営方針を発表した。これは,日本メーカーの海外市場における敗北宣言と言えるものとなった。世界の潮流と逆行するように,世界市場と共に成長できなかった。日本メーカーの海外市場の売上高比率は3%の水準にまで落ち込み,日本メーカーの世界市場への挑戦は,12年の歳月を経てなんとも寂しい形で終わってしまった(図3)。


図3 日本メーカー製携帯電話端末の「国内売上高」に対する「海外売上高」の割合 出典:総務省「ICT国際競争力懇談会 最終とりまとめ」資料(2007年4月)。

中国市場も失い,国際競争から退場

 特に中国市場からの撤退は痛い。中国市場は現在の加入者数が4億9千万人で,すでにヨーロッパ市場を上回り,日本市場の5倍に相当する規模に成長している。さらに今後も世界市場を上回る成長率で拡大を続けると思われる。中国市場は「携帯電話のオリンピック競技場」と呼ばれるほどで,欧米,韓国,日本,中国本土など世界中の携帯電話メーカーがしのぎを削っている。この巨大な成長市場で活躍することは,世界市場での存在感上昇に直結する。実際に世界の上位メーカーはそれを実践した。

 かつてモトローラは中国市場への進出により,グループ全体で低迷していた業績を回復させ,起死回生を果たした。サムスン電子は中国市場での成功から国際舞台へと一気に駆け上った。世界の大手メーカーはいずれも中国市場をうまく活用してきた。これらのメーカーと比べ,日本メーカーの中国進出はあまりにも対照的な結末となった。

国際競争力の強化以外に選択肢はあるのか

 携帯電話の国際競争に,日本メーカーは土俵にすら上がっていない状況だ。その一方で,現在の国内市場に出回っている携帯電話は魅力的な製品ばかりである。機能,品質,デザインにおいて,日本メーカーの製品は本当に優れている。製品だけを見比べるなら,日本の携帯電話は世界一といっても過言ではない。よって,「世界のNo.1(やNo.2,No.3)にならなくても,世界のOnly Oneになればよい」と割り切る考え方もあるだろう。世界市場の競争が厳しいのであれば,今後国内市場に閉じこもり,国内向けに優れた製品を作り続ける方が良いと考える人もいるかもしれない。

 だが,グローバリゼーションの荒波が日本市場にも押し寄せている。国内市場には,すでにノキア,モトローラ,サムスン電子などの製品が出回り,確実に市場へ浸透し始めている。端末の調達や開発コストを考えると,携帯電話事業者は今後もこれまで以上に海外メーカーの製品を取り入れてゆくだろう。そうなると,日本メーカーは国内市場という最後の砦(とりで)も失うこととなり,ますます苦境に立たされる。“世界一”の製品開発もおぼつかなくなる。つまり,世界市場の土俵に乗らなくては国内市場でも戦えない。Only Oneという選択肢は存在しないであろう。

 次回から,日本の携帯電話メーカーは世界最高水準の端末を開発しながらも,なぜ国際競争力を低下させ,世界シェアを失ったのかについて,詳しく分析してゆく。

筆者紹介:王亭亭(Wang Tingting)
1991年に来日。1996年,京都大学工学部電気工学科卒業。1998年,京都大学大学院工学研究科電子通信専攻修士課程修了後,国内大手通信機器メーカーに入社。NTTドコモ向けW-CDMA基地局開発,3GPPにおける第3世代移動体通信規格の標準化活動に携わる。その間,通信技術に関する数個の特許を取得。2005年4月,一橋大学商学研究科MBAコースに入学。2007年3月に修了し,現在は一橋大学イノベーション研究センターでリサーチ・アシスタントを務める。