東洋史の分野に,宮崎市定氏という学者がいます。かなり偉い人らしいのですが,文章にはまったく偉ぶったところがなく,なおかつ「こんなに分かりやすくていいの?」というぐらい分かりやすい。中国の貨幣制度や論語,史記の解釈など「ホンマかいな」と思えるような面白い著作が多いので,記者は新書や文庫,図書館で借りた全集などをときどき読み返しています。

 その宮崎市定氏の全集月報で,中国文学の分野でこれまた有名な学者である吉川幸次郎氏のお弟子筋にあたる清水茂氏が,吉川氏から聞いた思い出話を紹介しています。

 吉川氏は中国文学専攻,宮崎氏は東洋史専攻で,同じ大学の文学部に同時期在学していたのですが,当時,宮崎氏は東洋史専攻の学生でただ一人,作詩文,つまり漢詩・漢文を作る授業にずっと出席していた,というのです。授業は漢詩・漢文を毎週作って添削を受けるというもので,中国文学専攻の学生でもかなり大変な内容だったそうです。それを同じ文学部とはいえ,他の学科の学生が出席し続けるのは,よほどの努力を必要とします。吉川氏はそのことを思い出しては,お弟子さんたちに宮崎氏のことを「あれは,偉い人やぜ(筆者注:原文ママ)」と,繰り返し話していたというのです。

 当時の宮崎氏がどのような目的で,作詩文の授業に出席していたかは分かりません。ひょっとしたら,単に漢詩・漢文を作るのが好きだったのかもしれません。それでも,その後の宮崎氏の著作を見ると,このときの研鑽(けんさん)が大いに役立っているのではないか,という印象を受けます。

 例えば,「身振りと文学」という論文は,史記の文章表現からその成立過程を論じたものです。宮崎氏は,「史記中の名文と称せられる部分の多くは口卑から出たと思われ,記録によって書いたに違いない部分は反(かえ)って無味乾燥」とした上で,後世の文章作法から見ると重複が多くて「くどい」と思える部分を,観客を意識した語り物からの写しだとします。そして,文章の流れ/リズム/間から,語りと同時に演じられたであろう「身振り」までを推測してみせます。そこでは,1つの文字の解釈から,鴻門の会における項羽が「床机から立ち上がったのか」「正坐した状態から立ち上がったか」などが論じられます。

 もちろん,歴史的な文章の解釈では,複数の資料や注釈を突き合わせながら,適切な解釈を選んでいく必要がありますし,宮崎氏もそのことを別の文章で説いています。現に宮崎氏自身の学説の中にも,その後の金文(注1),甲骨文(注2)の解読による新しい資料の登場で,否定されたものがあるようです。それでも,原資料(ソース)を正確に解釈するには,やはり,ある程度は自由に書ける能力が必要になるように思えます。

 以上の話は,IT分野とは直接の関係はありません。それでも強いて結び付ければ,「プログラミングには直接には関わらないけれど,プログラミング経験が役立つ職種は多い」ということになるでしょうか。

 そういえば,先日出席した記者会見でも,某大手コンサルティング会社の社長から「これまでの新人教育は上流に偏っていた。これからは,プログラミングを含めた下流でもしっかりと経験を積ませたい」との発言がありました。皆さんの職場において,「ソースを書く」教育や経験は,どの程度重要視されているでしょうか。

(注1)殷・周時代の青銅器に刻まれた文字
(注2)殷時代の亀の甲羅や動物の骨に刻まれた文字