前職のシステム・コンサルタント時代、最後のクライアントがコーチだった。1994年にコーチがフロリダ州に物流センターを開設した時からの付き合いだ。1年近くコーチと仕事をしているうちに、この会社はユニークだと気づいた。共同作業が得意で、成功に向けてものすごくハードに働く。そんな時、独SAPのERP(統合基幹業務)システムの導入責任者として入社しないかと誘われた。私のキャリアにすごくポジティブな経験をもたらすと直感したので、96年1月に転職した。

 実際このプロジェクトを通じて、素晴らしい経験を積むことができた。コーチが手がけるあらゆるビジネスの現場に直接関与することができ、この会社がどのように動いているのかを誰よりも深く理解することができたと思う。だから99年にCIO(最高情報責任者)に選ばれた。コーチは2000年に上場したので、私は上場企業としてのコーチの初代CIOといえる。

店舗との親密な関係がIT戦略を円滑化

 当社のIT(情報技術)部門は約200人で、米国に160人くらいがいる。コーチは近年急速に規模を拡大し、売り上げも急増している。このように次のレベル、次のレベルと組織がスピーディーに成長し続けても対応できる、そんな独創的なITインフラが必要だ。売上高の伸びがフラットないし緩やかになった“メンテナンスモードにある組織”のCIOを務める知人が多数いるが、彼らが注力すべき点はコスト削減や簡素化だ。組織のさらなる成長を可能にしたり顧客サービスを向上させたりするためのIT戦略に注力する私とは違う。

トーマス・E・ブリット氏
トーマス・E・ブリット氏
米コーチは2006年に創業65年を迎えた高級ハンドバッグメーカー。2000年の上場を機に、保守的なイメージのあった商品戦略を転換。「アクセシブル・ラグジュアリー(手の届く高級)」をコンセプトに、デザイン性の高い商品を欧州高級バッグよりも若干割安な価格で次々と発売し、多くの女性の支持を得た。上場以来増収増益を続け、2006年6月期は年商2322億円。

 2300億円を超す売上高の7割強が米国で、2割は日本である。私の部下には日本担当のIT責任者がいて、自分の時間の50%を日本で過ごす。だから私たちのスタッフミーティングの50%は、ビデオ会議システムを駆使して早朝に行う。プライベート・ネットワークを持っているので、ビデオ会議を頻繁に実施してもコストは定額で済む。

 住友商事との合弁会社だったコーチ・ジャパンの株式を取得し終わったのは2005年7月で、この時を境にアグレッシブなIT計画を実践開始。米国で導入済みのITの大半を日本にも導入し、ネットワークを介して米国から運用できるようにしてきた。ERPなど基盤となるITは既に導入していたが、販売計画システムなどさらなる成長を促すアプリケーションを投入し始めたのだ。

 IT戦略を練る際に考慮すべきコーチという会社の特徴の1つとして、世界に550を超す販売店を持つ点が挙げられる。どんな場所のどんな種類の店舗においても、顧客に共通の体験を提供できるようにしなければいけない。

 また、高級ハンドバッグ市場の競合とは明らかに異なる商品戦略を取ることも大きな特徴だ。コーチは毎月革新的な新商品を発売し、顧客の来店頻度を高める。ほかの高級バッグ会社にこれほど頻繁に新商品を投入する者はいない。このことはITチームには大きなプレッシャーだ。新商品を継続的に発売し続けると、サプライチェーンの仕組みも変化し続ける。この変化に対応するためには、ITチームも変革し続ける能力を持つ組織でないといけない。絶えざる進化が求められるのだ。

 もっとも、ビジネスに適用できそうな最新のITを探すことには時間をかけ過ぎないようにしている。ビジネスが技術の進歩を促すことはあるが、技術がビジネスを促進することはないからだ。例えば、無線ICタグのようなまだ成熟し切っていない技術は使いづらい。コーチのバッグはウォルマートで販売しているわけでもないしね(笑)。

 当社のITチームのスタッフは、コーチのビジネスをきちんと理解している必要がある。そのために重要な役割を果たすのがオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)だ。多くのITスタッフが入社して最初の数日間は店舗で働く。特に管理職の社員は必ずそうする。その結果、コーチはどんな会社であるのかを深く理解できるし、店舗スタッフととても親密な関係を築けるのだ。

 また、コーチの社員はみんな、より良い接客と商品を提供するためには、ナレッジ共有が非常に重要だと理解している。だからITチームの価値を高く評価してくれる。コーチにはそんな素晴らしい文化がある。

トーマス・E・ブリット氏 米コーチ 上級副社長 兼 CIO
米ゼネラルモーターズ・インスティテュートで機械工学を専攻し、米ミシガン州立大学でMBA取得。1988年から米アンダーセン・コンサルティングで消費材や製薬会社の情報システムのコンサルタントを務めた後、96年にコーチ入社。99年からCIO。上級副社長兼CIOとして、2000年の上場を支援。