「世界一の決済銀行システムをつくる」。巨大企業におけるCIO(最高情報責任者)の苦労も多いが、ゼロからのスタートでオンラインバンキングとして最大の支持を集めるまでに成長したベンチャー企業のCIOの苦労たるや、想像を絶する。イーバンク銀行(東京・千代田)の佐藤昌弘CIOに「よく体を壊しませんでしたね?」と聞くと、「その質問が一番多いんですよ」と苦笑された。

 佐藤さんが、イーバンク銀行に入社したのは、イーバンク銀行がまだ日本電子決済企画と名乗っていたころ。大手建築会社で5年のシステム設計の実績があるだけだった佐藤さんは、この大仕事をするにはあまりに若かった。しかし、佐藤さんに備わっていたベンチャー魂や気概がこの難行を可能にした。入社後約1年で銀行免許を取得し開業。だが、データベースを中心としたシステム設計に難題があり上司らがすべて退職した。

 結局、残った佐藤さんが部長となったものの、既存システムのパフォーマンスは芳しくなかった。1年間をシステム基盤の置き換えに費やしたが、それから攻めに転じた。その時、既に顧客数が20万人を超えていたイーバンク銀行は、新サービスの提供を止めたら顧客が離れていく状況だった。メールアドレスと名前が分かれば送金できる日本初のサービス「メルマネ」を始めたり、とにかく、新しいサービスのリリースの連続だった。ほかのオンラインバンクに先んじる積極策を、たった数人の社員でやってのけた。

 オンライン決済銀行として、システムが停止した時の影響はどの企業よりも大きい。顧客からはもちろん、投資家からの期待とプレッシャーを受け続け、6年間というもの、24時間ずっと心配が絶えない日々を送った。要求や実施事項が決められていてシステムをつくるのではなく、オンライン企業として、システムから経営に働きかけ、企画の提案をして、コストやスピードの壁を乗り越えていく。だから今、もう一度、銀行のシステムを一からつくれと言われたら、ものすごいシステムをつくる自信があるという。

 佐藤さんは、IT(情報技術)が世の中をどう変えていくかを理解するのがCIOの仕事だという。それを予想して経営とベクトルを合わせる。修羅場をくぐってきた人に共通の大局観をみた思いだ。

石黒 不二代(いしぐろ ふじよ)氏
ネットイヤーグループ代表取締役社長兼CEO
 シリコンバレーでコンサルティング会社を経営後、1999年にネットイヤーグループに参画。事業戦略とマーケティングの専門性を生かしネットイヤーグループの成長を支える。日米のベンチャーキャピタルなどに広い人脈を持つ。スタンフォード大学MBA