ITとその応用の世界で次々に登場する新しいキーワードの大半は,過去にあったものの焼き直しにすぎない。一見新しいITやコンセプトを使ったプロジェクトに着手する時は,まず過去を振り返るべきだ。過去に実施された類似の取り組みを検証することで,そのプロジェクトを今回実施すべきか否か,実施する場合に何に気を付ければよいのかがわかる。

本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なりますが、この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

 「ITの世界は変化が速い。したがって事前にあれこれ考えてもしかたがない。検討しているうちに状況が変わってしまう。とにかく,新しい世界に挑戦してみることだ」。こうした考え方は,消費者やユーザー企業に情報機器やアプリケーション・ソフトをなんとかして売り込もうとしているIT業界が流している俗説にすぎない。

 確かに,ハードウエアを中心に,ITそのものの革新はすさまじく速く進む。しかし,残念なことに,ITを使う人間や企業,社会のほうはそう急速に進化できない。このため,ITといっても人間が絡む世界は,コンピュータが本格的に使われるようになったこの40年間,実はそれほど大きく変わっていない。

 「いや,そんなことはない。グローバリゼーションの動きも,経済環境の変化もかつてないほど急になっている」。こう反論する読者もあろう。それを認めたとしても,人間のものの考え方とか行動は劇的に変化するものではない。特に,ITを使って何をするかを考えるアイデア・企画の点では,ほとんど進歩がないといっても過言ではない。

 IT業界およびマスメディアは次から次へとIT関連の新しいキーワードを繰り出す。しかし,そうしたキーワードの内容を吟味すると,類似あるいはまったく同じ考え方が過去にも話題になっていたことが多い。そしてそのキーワードに関する実験ないし本番プロジェクトも行われているはずだ。

 したがって,あるプロジェクトに取り組もうと思ったら,まず過去を調べることである。過去に実施された類似プロジェクトがどうなったのか。失敗していたなら,その原因は何か。そもそもアイデアが間違っていたのか。それとも,技術面で実現できなかったのか。このくらいのことを調べるにはそれほど時間がかからない。

 企画がだめで失敗していた場合,その後どんなにITが進んだとしても,その企画は再び失敗する。企画に問題はなかったものの,当時のITではまだ実現することが無理だったというプロジェクトなら,今度は成功するかもしれない。

過去の失敗(1):コンテンツ配信サービス

 「IT革命」という意味不明の言葉が取りざたされている。人によってこの言葉の定義が違うようだが,大容量のネットワークが企業や家庭を結び,新たな世界が開けるという意味で使われることが多い。この考え方はおよそ5年前に盛り上がった「マルチメディア革命」とまったく同じである。さらにいえば,15年ほど前のニューメディア・ブームともほとんど同じといえる。

 マルチメディア騒ぎのときに,マルチメディアの典型例の一つとして喧伝されたのが,ビデオ・オン・デマンドというサービスだった。希望するビデオ番組を希望する時刻から直ちに見られるというものであった。日米で,ケーブルテレビ会社や電話会社がこぞって実験をした。米国では電話会社がケーブルテレビ会社を巨額で買収するという報道が相次いだ(電話会社によるケーブルテレビ会社の買収はここ1~2年の間,再び話題になった)。

 しかし,ビデオ・オン・デマンド・サービスは実用化されないまま,立ち消えになった。失敗の原因については諸説あり,決定的原因はよくわからない。当時の技術では画像が切れてしまい,実用に耐えなかったという説があった。ビデオ・オン・デマンド自体が,古い設備を更新したかったケーブルテレビ会社が株価を上げるために考え出した方便だったという説もある。

 4年ほど前に,米国のある大手ルーター・メーカーの幹部に聞いたときは,「ビデオ・オン・デマンドのビジネスの仕組み自体に無理があった」という説明だった。この幹部によると,ビデオ・オン・デマンドの利用料を,通常のビデオ・レンタルに対抗できるまで下げてしまうと採算に合わなくなる。

 「ビデオ・レンタルの料金は,期限までにビデオを返却できなかった利用者からとる延滞金を折り込んで安く設定されている。ところがビデオ・オン・デマンドは延滞金はとれない。ビデオ・レンタルよりかなり高くしないと採算に乗らず,それではかえって利用されない」。

 21世紀を目前にして,大容量ネットワーク待望論が再び高まっている。その御利益として,「2時間分の映画の画像データを数分間でダウンロードできる」というものがある。確かにすごいスピードである。しかし,ビデオ・オン・デマンドの失敗を繰り返さないような,ビジネスの仕組みをうまく作れるのであろうか。

 そもそも大容量ネットワークの使い道として,映画の配信というアイデアが筆頭に出てくること自体がマルチメディア騒ぎの二の舞になる危険をはらんでいるように思える。こう書くと,「いや,遠隔医療や遠隔教育など有意義なアプリケーションがある」,「以前と違ってインターネットが出現し,家庭にまでパソコンが普及している」などと反論されそうだ。

 しかし,5年前のマルチメディア,15年前のニューメディア・ブームのときに,そうしたアイデアはたくさん出たし,実験も頻繁に行われた。IT革命のかけ声にのって,同様の実験を繰り返す前に,過去の取り組みが技術的に無理だったのか,そもそも利用者からそんなサービスは要求されていなかったのか,検証するほうが革命への近道といえる。「まず,ネットワーク基盤を確立することが先決。基盤があればアプリケーションはどんどん出てくる」という楽観論は,情報機器を売りたいメーカーの発想である。

過去の失敗(2):新決済サービス

 過去に実施され,失敗に終わった構想をそのまま再現し,再び失敗に終わった実例として,「ICカードによる決済システム」が上げられる。通常のクレジット・カードやキャッシュ・カードの中に半導体メモリーを埋め込み,多目的カードを作ろうというアイデアは多くの人を刺激するらしく,15年前にも大きな話題となった。

 1985年は,ICカードを使った決済の実験が世界各国で繰り広げられた。銀行にある端末を使ってICカードの中にあらかじめ金額データを入れておく。次に店頭で買い物をして,その店頭にあるICカード端末にカードを入れ,買い物をした分だけ,金額データを減額してもらう。こうして現金なしで買い物ができる。

 ICカードの仕様がばらばらでは普及しないとして,共通仕様を議論する活動もなされた。しかし,結局大きな動きにならず,下火になってしまった。

 1998年に再びICカードは脚光を浴びた。ビザ・インターナショナルが渋谷で大がかりな実験を始めたからだ。驚くことに,この実験内容は13年前のものとまったく同じだった。利用がそれほど増えず,事実上失敗に終わった点まで同じだった。

 この方式のICカードは,店舗に新しい端末を設置しなければならない。端末の費用をだれが出すのかがはっきりしない。消費者にとってごく一部の店でしか使えないICカードは不便である。あちこちにATM(現金自働預け払い機)がある日本において,少額のキャッシュレス決済の要請がどのくらいあるのかという根本的な問題もある。

 ICカードが話題になった1985年前後に,もう一つの新しい決済手段として取りざたされたものに「銀行POS」があった。通常の銀行のキャッシュ・カードでそのまま店頭で決済できるというものである。買い物をした分だけ,即座に銀行口座から引き落とされる仕組み。

 銀行POSも10数年を経て,デビットカードとして再デビューを飾った。デビットカードは,銀行POSと違って申し込みを不要にしたほか,小売店同士の決済情報を相殺するセンター機構を設けるなど,銀行POSより工夫がこらされている。

 しかし,利用者にとっては,現金を持ち合わせていなくても買い物ができるという利点しかない。平日夜に手数料なしで引き落とせるというメリットもあるが,クレジットカードなら支払いが一定期間先になるし,利用金額に応じて得点もつく。

 デビットカードのプロジェクトが始まった時に,ある国産コンピュータ・メーカーの社長に,「デビットカードについて本音を聞かせてほしい」と頼んだことがある。その社長は顔をしかめて,「まったく銀行は横並びで懲りませんね。銀行POSの時にああいうサービスにさほど需要がないことは証明済みなのに」とこき下ろしていた。

 もちろん,その社長は大口顧客である銀行にはそんなことは言わない。デビットカードにより,トランザクションが増えれば,銀行の勘定系システムを支えるメインフレームの需要増にもつながるからだ。その社長によれば,デビットカードが成功する策は一つだけあるという。「利用者がデビットカードを使うと得になるようにすること。買い物の額に応じてポイントを付けるといったことをしない限り,利用件数は絶対に増えない」。