【かもさんから一言】
 「いいの!」。最近、我が家の姫は、服の着替えを手伝おうとすると、強烈に拒否するようになりました。ほんの少し前までは、何も抵抗せず、喜んでズボンを履かせてもらっていた姫も、自己主張するようになってきました。父親としてはうれしくもあり、寂しさも感じます。さて本題。最終回ということで、人として大事なことに気づかされた、大変思い出深いエピソードを紹介させていただきます。

(イラスト:尾形まどか)

 「このベンダーで本当にいいのかなあ」。ソルビ電機の熊野鴨之助は、あるシステム構築案件のベンダー選定で頭を抱えていた。1999年のことだ。

 その案件とは、ソルビ電機の海外拠点向けの基幹系システム全面再構築プロジェクト。その海外拠点では、会計や人事・給与、生産管理、販売、物流、営業支援などすべての業務システムをメインフレーム3台で動かしていた。システムの老朽化が進み、ソルビ電機はオープン系に全面移行することに決めていたのだ。

 ソルビ電機では既に、システム開発の委託先として、中堅システムインテグレータA社の名前が挙がっていた。A社とはこれまで付き合いがなかったが、ソルビ電機の社長経由で食い込んでいたのだった。

 A社の社長はトップ営業で、次々と大手ユーザー企業からシステム開発の受注を獲得。そのころ、株式公開したばかりで元気な企業としてメディアでの露出も多かった。A社のことは鴨之助も聞いたことがあり、「ついにうちにも来たのかあ」と感じた。

理想論ばかりで不安が募る

 社長が推薦するだけに、IT部門としてはA社の提案を聞かないわけにはいかない。そこで、ソルビ電機のIT部門で、このプロジェクトを任されていた原田主任とサブリーダーを務めることになった鴨之助は、A社の営業担当者を呼び、提案内容を聞いた。

A社の営業担当者「これからはJavaが主流です。システムの機能追加・変更がしやすいよう、アプリケーション部品を細分化して、再利用しやすいようにしておくべきでしょう」

原田主任「将来性を考えればJavaに挑戦したほうが良いと思っていたんです。その方向で詰めましょう」

鴨之助「確かに。Javaには注目しないといけませんよねえ。でもうちは初めてなんで、不安もあるのですが。当社のプロジェクトに似たケースで、御社は実践経験があるのでしょうか」

A社の営業担当者「今回のケースのように複数の業務システムをJavaで刷新するケースはまだありません。でもJavaで業務システムを作った経験は豊富なので、大丈夫ですよ」

鴨之助「とはいえ部品化って実装が難しいですよねえ。このプロジェクトを手掛けた場合、どれくらいのレベルのJavaエンジニアを、何人投入していただけるのですか」

A社の営業担当者「現時点では何人とは言えませんが、当社のパートナー企業と連携して、なるべくスキルの高いエンジニアを確保させていただきます。心配はいりません」

 そのほか鴨之助は、新システム稼働後の運用・保守の体制についてもA社の営業担当者に質問した。しかしながら具体性がなく、納得できる回答は得られなかった。A社の営業担当者の提案を聞いた鴨之助は、原田主任に対し、提案内容に対する率直な感想を伝える。

鴨之助「理想論ばかりで、実現できるかどうか不安ですねえ。Javaで部品化はいいのですが、かなりスキルの高いJavaエンジニアを確保しないと、失敗するのは目に見えていると思うんですよ」

原田主任「でも社長が推薦したところだからなあ。まあ規模はどうあれ、Javaシステムの実績もあるようだし、きっちりやってくれるだろう」

鴨之助「でも嫌な予感がするんですよ。ほかのベンダーも数社入れて、コンペにしましょうよ」

原田主任「社長がなんていうかなあ」

鴨之助「……(相変わらず駄目だなコイツは!)」

 鴨之助は原田主任では埒らちが明かないと判断して、高山IT部長に相談する。高山部長は「社長はA社にしろと命令してきたわけではないぞ。大規模なプロジェクトだし、コンペにして当然だろう」と鴨之助に告げた。

「すべてJavaというのは事実上不可能です」

 鴨之助は早速、これまでの人脈やさまざまな評判を聞いて、準大手システムインテグレータB社とメーカー系ITベンダーC社に提案を依頼した。原田主任は高山部長の許可を得ているとのことで、ベンダー選定は鴨之助に一任していた。

 各社の提案内容を見て、鴨之助が引かれたのは、B社営業担当者、神田氏の提案だった。その内容は、!)会計や人事・給与は市販のパッケージを使う。稼働マシンにはUNIXまたはWindows機を採用する、!)営業支援システムは作り込みが多くなりそうなので自社開発する。将来性を考慮してJava言語で開発し、Windowsサーバーで動かす、!)メインフレームの撤廃にこだわらないのであれば、生産管理/物流は既存システムをそのまま生かす、というものだった。

鴨之助「生産管理や物流をJavaで再構築するのは不可能ですか」

神田「不可能ではありませんが、当社が手掛けた案件や他社の事例を見ても、『処理性能が出ない』という問題に陥る危険性が大きいでしょう」

鴨之助「挑戦してみたい気もするんですけどねえ」

神田「そのお気持ちも分かりますよ。ですから営業支援システムでトライすれば良いのではないですか。最初から、生産管理、物流という中核から手を出すのはまだ時期尚早かと」

鴨之助「(A社と違うなあ。そうだ。わざとA社の提案内容そのまま言ってみよう)どうせ苦労するなら、生産管理も物流も再構築しちゃおうかな、と思っているんですけど」

神田「そうしますと、業務とJavaに精通したエンジニアを何人か投入しないとなりません。ただし今現在、私が想定しているレベルのエンジニアを当社で確保することは難しい状況なのですが…」

 鴨之助は、「当社のプロジェクトの成功を第一に考え、現実的な提案をしてくれている」と好印象を持った。それだけではなかった。鴨之助は神田の営業担当者としての“技”に惚れた。「神田さんは、最新の技術動向や成功・失敗事例、自社の開発スキルをきっちりと把握し、それを自分の言葉で語っている。『ユーザー企業のため』と口先だけの営業とは違う」。

セールスマンではなく営業担当者と付き合おう

 C社の提案は、A社の提案内容と似たものだった。さらに、業務アプリケーションをどうすべきかよりも、「ハイエンド・サーバーをどれだけたくさん売るか」との思惑が透けて見えたため、C社を落選させた。

 鴨之助はB社にプロジェクトを任せようと内心、決めていた。ただ、A社とどう縁を切るかは重要である。鴨之助もサラリーマン。社長経由で入ってきたベンダーをむげに追い返すことはできない。A社の提案内容が、ブラッシュアップされていれば良かったものの、「Javaで全面再構築し、メインフレーム撤廃」という内容は相変わらずだった。

 鴨之助は高山部長に、B社を選定しようとしていることを相談。高山部長は「分かった。そういう理由ならB社でいこう」。鴨之助は「最近の高山部長は頼もしい」と心の中で喜んだ。

 B社と契約を取り交わした後、鴨之助は「できないなんて言うと、商売にならないんじゃないですか」とB社の神田に聞いてみた。すると神田はこう笑顔で答えた。「まあ馬鹿正直ではモノは売れません。でも顧客に対して正直であること。これが営業として一番大事なことだと思うんですよ。古くさいですかねえ」。その後プロジェクトは、Javaによる営業支援システムの開発で苦労するものの、当初予定より約1カ月遅れで終結した。

 鴨之助は神田との出会いを機に、「セールスマンではなく営業担当者と付き合う」ことを信条としている。鴨之助は「営業担当者とは、相手(ユーザー企業)を想い、尊重し、無心に動けるような“愛ある人材”」と考えている。その一方で鴨之助はいつも、こう自分に問いかけている。「愛ある営業担当者かどうかを見抜き、きっちりと受け入れ、行動を見守り、共感できるハートとスキルを自分は持っているかどうか」と。

【かもさんから もう一言】
 「愛あればこそ」。少々くさかったでしょうか?この連載では、これまでの仕事を通じて大事にすべきと思うことを、多くの方々に伝えようと執筆してきました。回を重ねるごとに「やっぱり愛って大事だなあ」とつくづく思います。仕事やプライベートなど、人と人の間で生まれる縁をどれだけ大事にできるかで、人生が変わってくるものです。それはソリューション営業の現場も同じでしょう。「愛ある人」が1人でも増え、姫が大人になるころは、もっと良い社会になっていると信じています。

筆者「かもさん」とは
某大手ユーザー企業の敏腕プロジェクトマネジャー。若手ながら、システムのアーキテクチャ設計~運用設計、ヘルプデスク体制の構築、アプリケーションの企画~運用、オフィス移転プロジェクトなど経験値は高い。現在は情報セキュリティ管理者を務めつつ、システム部門の組織戦略もひねり出す多忙な日々を送る。数々のプロジェクトを通じ、「ユーザー企業とITサービス企業の理想の関係」を追い求める寅年生まれ。モットーは「明るく楽しく激しく」