本サイト「経営とIT新潮流」を5月18日、全面的に刷新した。これを機に、「主旨説明」と銘打った本サイトの説明文を執筆し、公開した。かなり気負って説明文を書いてしまったので、以下では「経営とIT」について筆者がどう考えているかについて、もう少しくだけた文章でお伝えする。

 今回再掲するのは、ほぼ1年前の2006年4月28日、日経ビジネスオンラインに「50歳になったコンピューター、社会貢献はこれからだ」と題して公開した一文である。読み直してみると、冒頭に「このところマスメディアをにぎわすのは、コンピューターウイルスだの、誤発注だの、暗い話ばかりで、明るい題材が少ない」とある。コンピューターウイルス、誤発注を、システムダウン、IP電話障害、と書き直せば、そのまま新しい記事として使えそうだ。

 1年たった今も、言いたいことは変わらない。コンピューターとネットワーク、すなわちIT(情報技術)が世の中に大きな影響を与えるのはこれからだ、ということだ。「西暦2007年問題」を提唱したことからお分かりのように、今日明日のITに関して筆者は悲観主義をとっている。だが、もっと先の未来については楽観主義者なのである。


 本格的な商用コンピュータがいつ生まれたかについては諸説あるが、1946年に米ペンシルバニア大学で作られたENIACの名前が挙がることが多い。今からちょうど60年前のことである。国産コンピューターはどうかというと、富士写真フイルムが1956年に作ったFUJICとされている。情報処理学会は先頃、「日本のコンピュータ生誕50周年記念シンポジウム」を開催した。実は、50周年を記念した催しは昨年2005年にも開かれた。東京証券取引所がUNIVAC-120と呼ぶマシンを導入したのが1955年、これがわが国における初の商用機利用であったからだ。

 多少遅れたが、今回は日本におけるコンピューター利用が50周年を迎えたことを記念し、コンピューターの可能性について書こうと考えた。考えたのだが、このところマスメディアをにぎわすのは、コンピューターウイルスだの、誤発注だの、暗い話ばかりで、明るい題材が少ない。職業柄かどうか、昨日今日明日といったあたりまでしか筆者の目が届かないからかもしれない。

 こういう時は、歴史観を持って物事を眺められる先達に学ぶに限る。こう思って、ピーター・ドラッカー氏の近著の1つ『テクノロジストの条件』(上田惇生編訳、ダイヤモンド社)を読んでみた。この本は、テクノロジーのマネジメントに関する論考を集めたもので、「理系のためのドラッカーであり、かつ文系のための技術論」(「編訳者後書き」より)となっている。

 同書の巻頭文でドラッカー氏は、次のように述べる。

「テクノロジストは、マネジメントすることを好まない。むしろ、それぞれの世界で技術や科学の仕事をするほうを好む。(中略)その結果、企業、政府機関あるいは研究所においてさえ、テクノロジストでない人たちがテクノロジストをマネジメントすることが多くなっている。(中略)私自身テクノロジストでない者の一人として70年近くも前から、テクノロジストでない人たちにテクノロジストの仕事を理解させることの重要性を意識してきた。しかもテクノロジストとマネジメントの人たちの不調和を目にしてきた」

いかにテクノロジストをマネジメントするか

 テクノロジストとは、体系的な知識に基づいて仕事をする専門職業人のこと。いわゆるエンジニアよりも広範囲な職種を含む。ドラッカー氏が挙げている例は、コンピューター技術者、ソフトウエア設計者、臨床検査技師、製造技能技術者、理学療法士、精神科ケースワーカー、歯科技工士などである。

 ドラッカー氏の巻頭文は本質的な問題提起と言える。コンピューターの世界に限ってみても、コンピューター技術者やソフトウエア設計者と、経営者や事業部門責任者との「不調和」は至る所で目につく。情報システムを開発するプロジェクトの失敗理由は100%、関係者のコミュニケーション問題と言い切れるほどだ。

 その理由はドラッカー氏が書いている通り、コンピューター技術者はコンピューターの仕事をすることを好む一方、マネジメントを担う人はコンピューター技術者の仕事をあまり理解しているとは言えないからである。このため、両者の間でしばしば齟齬が発生する。技術者が「これは面白い」と思って開発した技術やシステムが、経営あるいはビジネス上、困ったものになってしまう。経営者が技術者のためによかれと思って打った施策が技術者のやる気をかえってそぐ、といった具合である。こうした行き違いについて筆者は膨大な実例を収集しているのだが、そんなものを披露しても暗くなるばかりなので止め、ドラッカー氏の本に戻ることにする。

 『テクノロジストの条件』はIT(情報技術)経営の本ではない。テクノロジー全般を見渡して書かれており、コンピューターやITは同書の対象のごく一部に過ぎない。しかも、テクノロジーマネジメントの各論に入る前に、「文明の変革者としての技術」という4つの章が置かれており、「技術とは何か」という本質論が展開される。その後に、テクノロジーマネジメントの各論やイノベーションの方法論が並ぶ構成である。

 各論の前に、壮大な「そもそも論」を展開する点が、ドラッカー氏の著作の魅力と言える。マネジメントに関する数々の著作においても、マネジメント手法の各論に入る前に、ドラッカー氏はマネジメントの意義や正統性について論じていた。