岩井 孝夫
佐藤 三智子

 企業には現場を事実上,取り仕切っている有能な担当者がいるものである。実際の業務を円滑に遂行する能力を見ると,こうした担当者のほうが上司である管理者より優れていることも多い。この「真のキーマン」の意見を聞かずに情報システムを設計してしまうと,現実からかけ離れた業務のやり方をシステムに載せてしまい,かえって非効率になりがちである。「だれの意見を聞くのが最も効果的なのか」についての判断を誤ってはならない。

 業務に精通した担当者,すなわち「真のキーマン」は,情報化を進めるにあたって,「諸刃の剣」となる。真のキーマンが情報化の趣旨を理解し,業務の改善に積極的に協力してくれる場合はこれほど強い味方はいない。しかし,キーマンが自分の担当領域を固持しようとするあまり,情報化に対しアレルギ的反応をする場合は,これほど厄介な存在もいない。

 真のキーマンを情報化プロジェクトに巻き込むためには,その担当者が会社にとって大事なキーマンで,担当者が培ってきたノウハウを最も良い形でシステムに反映するために中心メンバーとして協力してほしい,といった誘導の仕方が必要だ。逆にキーマンに疎外感を抱かせたり,情報システムの導入によってその人の仕事が不必要となるような印象を与えてはならない。

真のキーマンの壁 (1)
現場の意見を聞かずに設計

 「そのやり方は違います」。「いちいちプルダウンのメニューなんか使って入力していたら,時間がかかってしょうがないじゃない。毎日打ち込んでいる品名くらい空で暗記しているわよ」。「でも,そちらの課長から伺った話では」。「課長は現場で実際にお客さんから電話を受けるわけじゃないんだから分からないって」。「確かに今度のやり方は面倒ですね」。「システムを作る前にひと言わたしたちに相談してくれればねえ。仕事のやり方を全部書いたメモをあげたのに」。

 複数の下請け企業を使っている塗料製造業のA社では,1年がかりで構築した新しい受発注システムの説明会が開かれている。しかし,説明を受けている女子社員の間で,こうしたやり取りが繰り返されている。本番直前の説明会になって初めて,新システムにおける業務のやり方が実態に即していないことが判明したからだ。

 近来まれにみる大型の情報化投資となったため,受発注オンライン・システムの再構築プロジェクトは,A社の中で注目されていた。新しい受発注システムでは,顧客から注文の電話があったら,まず在庫状況を確認。在庫が足りない場合はその場で製造依頼を出し,出荷指図データまで入力する。既存のシステムはこのように,すべての処理が連携していなかった。

 複数の部門に処理がまたがるため,A社は再構築にあたり,プロジェクト・チームを発足させた。現場部門の課長全員をメンバーとして入れ,リーダーには営業担当取締役を充てた。A社は情報システムの専任部門を持たないので,既存システムを開発したコンピュータ・メーカーに引き続き委託することにした。

 このメーカーのSEとA社のプロジェクト・メンバーが一緒になって新システムを設計していった。現場のユーザーが直接使用する画面については,だれが担当しても簡単に操作できるように,マウスを使って選択形式で処理を進めていけるようにした。

 ところがシステムがほぼ完成し,テストを終えて現場へ説明する段階になったとき,受発注業務のベテラン女子社員たちから相次いでクレームが寄せられた。「1日何十件もの注文をさばく時に,マウスを使っていては時間ばかりかかってしまい,かえって非効率的である」,「定時(9:00~16:00)以外に来る注文が全体の15%近くを占めるときがある。新システムの例外処理のやり方ではこうした注文をさばけない」など,実際の業務を担当している彼女たちならではの指摘がなされた。つまり,実質的なシステム要件が開発後に判明した格好だった。

 彼女たちは前のシステムで不便なところは部内で調整をとって対処していたし,手書きであるものの業務マニュアルを独自に作成して効率よく仕事が進むよう工夫していた。こうした真のキーパースンの意見をほとんど聞かずにシステムを構築してしまったA社が新システムの運用を軌道に乗せるまでには,かなりの時間がかかりそうだ。