プロジェクト・マネジメントは重要な技術領域である。プロジェクトを成功させるための人材ビジョン,スキル,標準の管理プロセス,技術,支援システムが存在する。この新たな技術領域を拡充するにあたって,有能なプロジェクト・リーダーのナレッジを抽出し,他人に教育し,組織全体のプロジェクト・マネジメント力を底上げすることが有効である。

野間 彰

本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なりますが、この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

 今,プロジェクト・マネジメントの強化が求められている。例えば,金融機関のように,今後開発プロジェクトが多数計画されている企業では,若手社員をプロジェクト・リーダーへ早期に育成することが重要課題である。大規模かつミッション・クリティカルなシステムを構築する企業は,予算と納期の厳格な管理が求められる。

 ところが,情報システムを開発するプロジェクトのマネジメントには,いくつかの課題が存在しており,リーダーの育成,予算と納期の厳守が進まないのが現状である。課題は大きく三つある。

 第1の課題は,プロジェクト・マネジメントという新たな技術領域の拡充に向けた組織的な取り組みである。プロジェクト・マネジメントは,プロジェクト・イグゼキューション(遂行)とは異なる,重要な技術領域である。プロジェクト・マネジメントの領域に適した人材,スキル,管理プロセス,技術,支援システムがある。

 ところが,企業の多くは,システム開発標準はあっても,それと同等の深みを持ったプロジェクト・マネジメント標準を持っていない。システム開発や情報技術(IT)にかかわる標準スキルや人材育成の体制はあっても,プロジェクト・マネジメントにかかわるスキルは明確になっておらず,したがって育成体制もない。

 この状態のままでは,過去のシステム開発において頻繁に見られた,予算の大きな超過や,予算・納期厳守のためにシステムの機能縮小を余儀なくされる,といったことがまた繰り返される。

 第2の課題は,有能なプロジェクト・マネジャやリーダーのナレッジを活用することである。過去のプロジェクト・マネジメントの成否を分析すると,限られた数人の有能マネジャが手がけたプロジェクトが,高い確率で成功している例に出くわす。

 彼らはなぜプロジェクトを成功させられるのか。どのようなナレッジを用いているのか。そのようなナレッジは,抽出し,表現し,他人に教育し,組織全体のプロジェクト・マネジメント力を底上げすることができるのか。どのような方法で,それを果たすのか。ナレッジの活用という課題をクリアすれば,第1の懸案の解決にもつながる。

 第3の課題は,国際的なプロジェクト・マネジメント標準化の動きにどのように対応し,これをどのように自社のシステム開発に適用させるかである。プロジェクト・マネジメントには,国際的な標準化の動きがある。米PMI(プロジェクト・マネジメント・インスティテュート)がまとめた基本書である『PMBOK(プロジェクト・マネジメント・ボディ・オブ・ナレッジ』や,ISO10006の動きである。すでに建設業界は,官公庁関連のプロジェクト・マネジメントに,このような国際標準を適用しようと動いている。

 情報システムの開発に関しては,大手企業によって,こうした標準をシステム開発プロジェクトへ適用する試みがなされている。しかし,プラントの建設などハード中心のプロジェクトを対象に発展してきた現行の標準は,そのまま情報システムの開発には適用できない。いくつか充実させるべき領域がある。

ゴールは全プロジェクトの成功

 三つの課題を認識したいくつかの企業に対して,弊社はプロジェクト・マネジメントに関するコンサルティングを実施した。ゴールは,プロジェクト・マネジメント技術とノウハウを確立し普及させることで,すべてのプロジェクトで目標納期,予算,品質を厳守することである。

 下手をすると,目標の倍の予算や半分の機能だけを実現して終了するプロジェクトがある中で,全プロジェクトの目標を厳守することは非常に高いハードルである。今回はこのハードルに挑んだ,ある金融業(A社とする)における,コンサルティングの事例を紹介する。

 A社は,金融ビッグバンに対応し,優秀なプロジェクト・リーダーを早急に育てる必要に迫られていた。依頼を受けた当社は,六つのプロセスにそってA社の問題に取り組んだ(表1)。これらのプロセスは,有能なプロジェクト・マネジャやリーダーのナレッジを抽出し,それらを共有することで,プロジェクト・マネジメント技術とノウハウの確立・普及を目指すものである。

表1●プロジェクト・リーダーのナレッジ抽出によるプロジェクト・マネジメントの革新プロセス(金融業A社における実施例)
表1●プロジェクト・リーダーのナレッジ抽出によるプロジェクト・マネジメントの革新プロセス(金融業A社における実施例)

 さらに,これ以外にも,表2に示すさまざまな点についての検討が必要であるが,今回は,技術とノウハウの確立・普及に焦点を当てて解説する。

表2●プロジェクト・マネジメントの革新に必要な基本要件
表2●プロジェクト・マネジメントの革新に必要な基本要件

プロセス1:社内有能プロジェクト・リーダーのナレッジ抽出

 まず最初に,過去の大規模システム開発でプロジェクト・リーダーを務めた人材に個別にインタビューし,彼らのナレッジを抽出した。インタビューの結果,明らかになったのは,有能者が重要だと認識しているプロジェクトに関するナレッジのほとんどが,プロジェクト・マネジメントの技術ではなく,もっと基本的な判断方法やコミュニケーション方法だったということだった。

有能者のナレッジ例:「勇気と決断,そして予測」

 ある有能なリーダーは,プロジェクト成功のための重要なナレッジとして,「勇気と決断」を挙げた。彼のプロジェクト・マネジメントの基本的な考え方は,「悪いものは良くならない」である。本番の開発生産性が計画の時より悪い場合,もちろん改善努力はする。だが,プロジェクト・リーダーはどこかの段階で大きな判断をしなければならない。現在の開発要員を総入れ替えする判断だったり,計画の見積もりが甘かったと認識し,システム化する対象範囲を縮小する判断である。

 リーダーのこのような判断が遅れたり,なされなかったりすると,プロジェクトの遅れは雪だるま式に拡大する。もちろん,だれでも計画通りにプロジェクトが進まないことを認め,当初予定にないネガティブな判断を下すのはいやなものだ。そこでこのリーダーがいう,勇気がいる。勇気がなく,決断が遅れると,事態はもっと悪化する。

 彼はまた,「決断」を安直にしないように,「予測」に力を入れていた。開発生産性の悪化は,この先も続くのか,問題は今後のプロジェクト遂行にどのような影響を及ぼすのか。このように彼は常に将来を予測する努力をし,不必要な「勇気と決断」をしなくてすむように,また適切な「勇気と決断」ができるように心がけていた。

有能者のナレッジ例:「理屈の通らないものは認めない」

 別の有能なリーダーのナレッジは,「理屈の通らないものは認めない」というものであった。このリーダーは,プロジェクトの進ちょくをレビューする会議で,プロジェクトに参加している各チームから今後の計画を提出させる。計画が前回の会議に出た計画と異なる場合に,このリーダーは理由を徹底的に追求する。理屈や論理が通じない変更であったなら,変更を絶対に認めない。

 変更理由が開発を外注した委託先の責任であれば,委託先に工数を割かせて対応させる。利用部門に原因がある場合,利用部門に開発が遅れることを認めさせる。このような姿勢は最初はメンバーや委託先,利用部門から煙たがられる。だが,次第にプロジェクト・メンバーの間に,計画厳守のための緊張感が醸成されていく。

有能者のナレッジ例:「企業としての判断」

 「企業としての判断」を常に考えていると語るリーダーもいた。彼もプロジェクト・リーダーにとっての「決断」の重要性を指摘した後に,どのような決断をするかが重要だと言った。プロジェクト・リーダーがコントロールできるレバーはいくつかある。メンバーに頑張らせるか,予算を超過させるか,納期を遅らせるか,応援を頼むか,利用部門に無理を言うか,などである。

 問題が発生した時,どのレバーをひくべきか。例えば,対外的に発売日程を公表している商品の開発や製造などに必要なシステムの開発において,納期を遅らせることはあり得ない。それでも大きな問題が発生した場合,顧客に迷惑をかけない範囲の機能にとどめ,その機能を優先して開発する。あるいは,コストを予算以上にかけて,納期を死守する。

 このような企業としての視点に立った判断を,ともすると渦中のプロジェクト・リーダーはできないことがある。「予算超過はシステム化の範囲縮小や納期遅れよりも悪い」と,暗黙の内に判断したり,顧客や利用部門よりも開発現場の都合を基準に判断してしまう。

 プロジェクト・リーダーが「企業としての判断」を下すには,常に利用部門の上位の管理者との接点を持ち,何が重要かを常に肌で感じておくことだ。企業として今何が重要かが押さえられると,プロジェクト・リーダーの判断が妥当になる。同時に,リーダーシップが向上する。

 利用部門に対して,「今そのようなことは問題ではない。大事なのはこれだ」と言える。プロジェクト・メンバーに,「それは開発現場の論理だ。会社は今このような状況にある」と言える。説得力のある方向性を,自信を持って出せる。これがリーダーシップの源泉となる。

 A社内の有能者インタビューにより,以上のようなナレッジを抽出できた。この結果,PMBOKなどの標準プロジェクト・マネジメント技術とは異なる,より上位のナレッジ領域があることを確認できた。そこで,このようなナレッジを「行動規範」と呼び,体系化することにした(図1)。

図1●有能プロジェクト・リーダーが持つプロジェクト・マネジメントに関するナレッジ
図1●有能プロジェクト・リーダーが持つプロジェクト・マネジメントに関するナレッジ

 A社の有能者たちには課題もあった。確かに彼らは非凡なプロジェクト・マネジメントを実践していたものの,プロジェクト・マネジメントの技術面に関しては,体系も技法もほとんど知らなかった。

 彼らにインタビューした結果,技術面のナレッジが出てこなかった理由として,そもそもプロジェクト・マネジメントの技術に関する知識がなかったとも考えられる。そこでA社は今後,プロジェクト・マネジメント技術を有能者たちに伝えていくことにした。