「バランス・スコアカード」は,欧米大手企業がこぞって導入を進めているマネジメント手法である。バランス・スコアカードの提唱者の一人,ハーバード・ビジネス・スクールのロバート・キャプラン教授が来日,講演した。提唱者自身が語った,バランス・スコアカードの本質と適用事例を紹介する。導入企業は,3~5年間で劇的に業績を伸ばしているという。

本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なりますが、この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。


写真●バランス・スコアカードの提唱者,ハーバード・ビジネス・スクールのロバート・キャプラン教授
写真●バランス・スコアカードの提唱者,ハーバード・ビジネス・スクールのロバート・キャプラン教授

 バランス・スコアカードは,「財務」,「顧客」,「社内のビジネス・プロセス」,「学習と成長」という四つの視点から,バランスよく企業の業績を評価する手法である。1992年に,ハーバード・ビジネス・スクールのロバート・キャプラン教授(写真)と経営コンサルタントのデビッド・ノートン氏が考案した。過去の結果しか分析できない財務中心の評価手法と異なり,バランス・スコアカードは企業の将来を左右する要素や長期的成長のための活動も加味して,「バランスよく」業績を評価できるという。

 業績の評価のために適切な評価指標を設定し,経営トップは情報システムを使って業績データを収集・加工・分析する。「計測できるものはマネージできる」(キャプラン教授)という考え方に基づいている。

 キャプラン教授によれば,1994年前後にバランス・スコアカードを導入した企業の業績の向上は目覚しかった。米モービル(北米マーケティング&精製部門)は1993年の利益が約5億ドルの赤字。収益性は競合他社の中で最悪だった。しかしバランス・スコアカードの導入により,1995年から1998までは業界首位の収益性を維持。1998年の利益は9億ドルの黒字にまで高まった。

 米ケミカル銀行も利益を大幅に改善した。バランス・スコアカードを導入した後の利益を導入前の1993年と比べると,1994年には8倍,1996年には19倍にまで達した。ヘルスケア関連企業のシグナ(Cigna)も,4年間で株価を3.5倍にすることに成功した。

業績評価から組織変革の手法に進化

 さらに,キャプラン教授らは,実際にバランス・スコアカードを導入するためのコンサルティングを手掛けるうちに,「バランス・スコアカードには業績評価手法を超えたパワーがある」ことに気付いた。そのパワーとは,「戦略の実行に照準を合わせた組織作り(Building Strategy Focused Organizations)」である。これは,キャプラン教授の来日講演のテーマでもあった。

 キャプラン教授が「組織作り」に注目する理由は,付加価値の源泉が工場や設備といった「見える資産」から,人材/組織,業務プロセス,ソフトウエアなどの「見えざる資産」に急速にシフトしているためだ。見えざる資産が生んだ付加価値の比率は,1982年には38%に過ぎなかったが,バランス・スコアカードが考案された1992年には62%,1999年には85%に達したという。見えざる資産を活性化することができれば,企業が生み出す付加価値は大幅に増大する。

 「戦略の実行に照準を合わせた組織作り」に重点を移したバランス・スコアカードの概要はこうだ。まず,財務,顧客,社内のビジネス・プロセス,学習と成長,という四つの視点から「戦略マップ」という業績向上のためのシナリオを描く(図1)。

図1●バランス・スコアカードを構成する四つの視点とそれに基づいて業績向上へのシナリオを描いた「戦略マップ」の例(キャプラン教授が紹介した米モービルの戦略マップを簡略化したもの)
図1●バランス・スコアカードを構成する四つの視点とそれに基づいて業績向上へのシナリオを描いた「戦略マップ」の例(キャプラン教授が紹介した米モービルの戦略マップを簡略化したもの)

 戦略マップは四つの視点から打ち出した施策の因果関係を明確にし,何がどのような結果を生むのかを分かりやすく表現する。次に戦略マップをコミュニケーションの手段として,経営トップと従業員が話し合い,戦略の意図や戦略の中で果たす各自の役割を十分に理解しあう。さらに,戦略マップと各従業員の業績目標を適切にリンクさせて,全従業員の力を一つの方向に集める。

 バランス・スコアカードを使うことで,末端の従業員まで巻き込める。戦略の実現に向けて想像力を発揮できるような動機付けや環境作りに役立つ。「企業の力を一点(戦略目標)にフォーカスさせることで,レーザー光線のように強い力を発揮できるようになる。それがバランス・スコアカードの真価だ」(キャプラン教授)。

“ポータル”を目指したモービル

 バランス・スコアカードを導入した事例として,キャプラン教授はモービルを挙げた。赤字を抱えていたモービルの北米マーケティング&精製部門は1994年,次のような戦略を立てた。「ガソリン・スタンドをガソリン以外の商品/サービスも幅広く購入できる“ポータル”と位置付ける」というものだ。具体的には,ガソリン・スタンドにコンビニエンス・ストアなどを併設し,レギュラ・ガソリンより高付加価値な商品/サービスを販売する。

 モービルは戦略を立てる際,ガソリン・スタンドに来る顧客を五つのタイプに分類して分析した。「レギュラ・ガソリンの価格を重視してガソリン・スタンドを選ぶ顧客層(全体の20%)」,「主婦のように子供の送り迎えや買い物のために車を利用する顧客層(同21%)」などである。

 実はこれら二つの顧客層は,モービルにとって収益性が低い。そこでモービルには残り59%を占める三つの顧客層にターゲットを絞った。三つの顧客層の詳細な説明は省略するが,三つの顧客層の全般的な特徴は,プレミアム・ガソリンの購入や洗車サービスの利用頻度が高く,スナック類をよく買い,ブランドに対する忠誠心が高いこと。さらに重要なのは,これらの顧客層が,単にガソリンを買うこと以外の「購入体験」を求めていることである。

 ここでもう一度,図1を見てほしい。モービルが顧客分析を基に,収益力を向上させるための戦略をブレークダウンした戦略マップの一部である。バランス・スコアカードの財務の視点から見た施策は,「ガソリン以外の収入の確保」や「プレミアム商品/サービスの売り上げ増による利益率アップ」とした。顧客の視点からは,「迅速な商品/サービスの購入」,「親切な従業員」などの施策を挙げた。

 こういった具合に,モービルは因果関係を明確にしながら,四つの視点それぞれに関する施策を定義した。この戦略マップを基に,経営トップと従業員が十分なコミュニケーションを図れば,従業員は各自の役割や自分の仕事が戦略達成にどう結びつくかをしっかり自覚することができる。さらに,どう工夫すれば顧客満足度が高くなるのか,といった創造性を発揮できるようになるという。