「今、何て言ったか聞こえましたか」

「え」

「凄いことを仰ったんですよ」

「はあ」

「なるほど、そう訳せばいいんだ」。

 3月7日、ピーター・ドラッカーのほぼすべての著者を訳している上田惇生氏と話している時、上田氏は突然、会話を中断してこう言った。場所は、東京駅前の丸の内オアゾにある日経セミナールームである。上田氏と筆者は「ドラッカーと事例に学ぶ『ミドルマネージャー能力強化講座』」というセミナーに参加していた。講座の前半は上田氏が講演し、後半は経営・情報システムアドバイザーの森岡謙仁氏が担当した。後半に入り、上田氏と筆者は控え室でお茶を飲んでいた。

 その時、筆者は上田氏に「日本人のサラリーマンなら誰でもアルコール依存症の会に入っておかしくない、とドラッカーは発言していましたが、真意は何でしょう」とか、「ドラッカー本人は酒は飲んだのですか。日本酒党でしょうか」などと質問していた。ぶしつけな質問に対し、上田氏は笑顔で答えてくれていたが、控え室のモニターから流れてきた森岡氏の声を聞いて、顔つきが一変した。そして冒頭の発言である。筆者は森岡氏がなんと言ったかまったく聞こえなかった。雑談をしていたにもかかわらず、上田氏は森岡氏の一言に激しく反応したのである。

 その一言は「自己目標管理」というものである。一人ひとりが組織や自分の目標を自分で考え、その目標を達成するために自分自身をマネジメントすることを意味する。ドラッカーは1954年に出版した『現代の経営』において、この考えを提唱した。上田氏によると、原文は「マネジメント・バイ・オブジェクティブズ・アンド・セルフコントロール」であり、ドラッカーは亡くなるまでずっとこう書いていた。

 直訳すると「自己管理による目標管理」となる。コントロールもマネジメントも管理になってしまうので、いささか分かりにくいし、そもそも長い。そこで「目標管理」と短くしたが、上司が目標を決めて部下に与え、部下の目標達成度合いについて目を光らせる、という正反対の意味に使われる危険が生じた。実際、ドラッカーの意図と逆の目標管理を実施している例は少なくない。1973年に出版した『マネジメント』の中でドラッカーは「哲学という言葉を安易に使いたくない。しかし自己管理による目標管理こそ、マネジメントの哲学たるべきものである」といった主旨のことを述べている。その最重要語が、目標管理と訳したために誤解されてしまった。

 7日のセミナーにおいても、上田氏の講演の後、来場者から目標管理を巡る誤解について質問が出た。上田氏は「正反対にとらえている人がいるのは、マネジメント・バイ・オブジェクティブズ・アンド・セルフコントロールのセルフコントロールを忘れてしまうから。目標管理と訳すとそう誤解されかねない。といって自己管理による目標管理では日本語として、こなれていない。いい訳語がないかずっと考えているが思いつかない」と答えていた。

 この問題を考えて続けてきただけに、控え室のモニターから流れてきた「自己目標管理」という森岡氏の一言を、上田氏は聞き逃さなかった。「自己目標管理」と訳せば、上司が目標を押しつけるという誤解は生じない。「自己目標」なのだから、自分で決めるのである。同時に「自己管理」でもあるわけで、達成するための創意工夫は自分でやることになる。マネジメント・バイ・オブジェクティブズ・アンド・セルフコントロールの訳語として相応しい。

 上田氏はセミナー終了後、ドラッカー学会の会合に向かったが、セミナー会場に打ち合わせのため訪れたドラッカー学会関係者に対し、「マネジメント・バイ・オブジェクティブズ・アンド・セルフコントロールのいい訳語を今日聞いた。自己目標管理。出版社に言って、これから版を重ねる本については、自己目標管理に直してもらなわくては」と話していた。

 本欄の題名は「経営の情識」であり、通常は経営に関連した情報やIT(情報技術)のことを取り上げている。ただし今回は番外編として、ITとは無関係な「経営の常識」について書いた。

(谷島 宣之=経営とITサイト編集長)

※本稿は、日経ビジネスオンラインに公開した「ドラッカーの最重要語に“新訳”が誕生した瞬間」を再録したものです。