内部統制という言葉を最近良く耳にする。「インターナルコントロール」を直訳したものだ。コントロールといえば管理である。統制を効かすには、管理を徹底しなくてはならない。しかし「管理されること」に対する現場の拒否反応は強く、しかも管理は性悪説に則ったものにならざるを得ないため、性善説をとる多くの日本企業において、内部統制がどこまで浸透するか、疑問である。
 筆者は、いくつかのプロジェクトにおいて管理を徹底する上で、チームメンバーの抵抗や反対に、嫌というほど遭遇した。管理されるほうにとっても、マネジャにとっても、管理は心理的な負担になる。
 しかも管理を徹底しようとすると、作業時間をとられる。多くの読者が経験していると思うが、管理を徹底しようとすればするほど、上長に提出すべき情報量が多くなり、データ入力やレポート作成に時間がかかるので、現場にとっては「管理のための管理」業務が増大する。またマネジメントも様々な情報を必要とするため、管理部門はいつも情報の収集と整理に明け暮れている。実作業で忙しい中、こうした管理のための作業は無駄に感じられ、またしても心理的な負担になる。
 したがって、マネジャは管理工数をできる限り少なくし、それでも所定の効果を出す手立てを講じなくてはならない。ピーター・ドラッカーは著書「マネジメント 基本と原則」の中で、「必要とする労力が少ないほど優れた管理である」と述べている。しかし、そうできないから、皆困っているわけである。優れた管理はどうやったらよいのだろうか。
 それにまず、管理とは何かを考える必要がある。ドラッカーは同書の中で、組織における管理手段の特性として三点あげている。

1.管理手段は純客観的でも純中立的でもありえない。
 組織における管理は、科学的な測定のように純客観的に測定することができず、どこまでも主観が付きまとう。それをまるで客観的な事実であるかのごとく判断してしまうケースは良く見かける。
 プロジェクトにおいて進捗状況の定量的な把握を例にとろう。あるタスクの進捗率を80%と表現したとする。毎週行われる進捗会議で、そのタスクの進捗率はいつも80%のまま。全く進んでいないわけだが、80%は“あともう少し”というように解釈され、いつも会議では見過ごされる。 つまり、数値は一生懸命かけて作っているが、実際は管理されておらず、したがって効率が悪いわけだ。

2.管理手段は成果に焦点を合わせなければならない。
 筆者がプロジェクトマネジャになり、管理の徹底を促した際、現場から「管理のための管理」は避けて欲しいとしばしば言われた。ドラッカーのいう通り、管理することで何を成果とするのか、毎回試行錯誤しながら、そのプロジェクトに合った管理手段を選ぶようにしている。いつも硬直的な管理手段を選ぶのではなく、組織、タイミング、目的に合わせた管理手段を選び、また一度選んだ手段を必要に応じて変更するなど、柔軟な対応が求められる。
 先の例にあったように、進捗率だけで管理すると間違いやすい。それを回避するために、成果物量として進捗を表現する場合がある。システム開発プロジェクトなら、プログラム本数や設計成果物のページ数などである。一見すると、成果に焦点を合わせていることになる。
 ただし、「1.管理手段は純客観的でも純中立的でもありえない」を忘れてはならない。成果物の量を把握し、進捗を報告するメンバーの主観は排除することはできない。したがって、量に頼った管理にはあくまで限界がある。その限界を理解した上で、さらなる手をうつことが求められる。ここまでやってこそ、単なる管理者ではなく、プロジェクトマネジャと呼べるのだろう。

3.管理手段は、測定可能な事象のみならず、測定不能な事象に対しても適用しなければならない。
 これは誤解されやすい指摘のように思える。何でも管理しろ、と言っているようにもとれるからだ。しかもドラッカーは、1でみたように、管理手段は純客観的でも純中立的でもない、と言っている。客観的な指標がないのに、測定不能な事象にまで適用しろとは、矛盾していないか。

 ドラッカーの本意はこういうことだと筆者は考えている。管理指標を作りにくい仕事についても、なんらかの指標を作って管理しなければならない。でなければ野放しになってしまう。ただし、管理の限界をマネジャは肝に銘じておくことだ。ドラッカーはこう言っているのだと思う。
 ましてや、管理することで将来起こることを予測できる、などと考えるのは思い上がりである。未来を予測することはできない。管理は、あいまいな現状を把握し、マネジャが次の手を考えるようにするために限定的な情報を吸い上げる手段であるととらえるべきである。未来を予測するつもりになると、肥大化した間接部門が「管理のための管理」作業に追われる事態を招くだろう。
 ドラッカーはこうも述べている。

いかにコンピューター、オペレーションズ・リサーチ、シミュレーションなどの道具立てを用意しようとも、定性的な管理手段としての賞罰、価値とタブーに比較すれば、第二の地位に甘んじなければならない。

 人間の作り上げる組織は人の心の集合体である、そのことを決して忘れてはならない、という指摘だろう。ITによって定量的な情報の収集が容易となったとしても、企業経営における管理対象のすべてを測定することはできない。繰り返しになるが、管理には限界があることを知り、いかに効果的なマネジメントを行うか、について深めるべきであろう。今回の引用はすべて、30年以上前に書かれた著書からであるが、さすがに含蓄に富んだ内容であると思う。

(高橋 信也=マネジメントソリューションズ代表取締役、
ドラッカーのIT経営論研究グループ)


ドラッカーのIT経営論研究グループ:社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏の情報およびITに関する論考を読み解くことを目的とした有志の集まり。主要メンバーは、ドラッカー学会に所属するIT産業関係者である。