引き続き,ピーター・ドラッカー氏が1999年に書いた「IT革命の先に何があるか?」という論文を読んでいきたい。この論文でドラッカーは「今後20,30年の間に,コンピュータの出現から今日までに見られたよりも大きな技術の変化,そしてそれ以上に大きな産業構造,経済構造,さらには社会構造の変化が見られる」と述べ,それは「大流通チャネルとしてのインターネットが与えるインパクト」であるとしていた。
 それでは,インターネットはどのように,流通チャネルを革新するのか。それに対するドラッカーの答えはこうである。

「何がeコマースに乗り,何が乗らないかはわかならい。流通チャネルとはそういうものである」。

 ドラッカーは「わからない」例をいくつか挙げている。かなり以前から新聞に代わってオンラインの情報提供サービスが普及すると言われていたが,「いまのところ金脈を掘り当てた者はない」。新聞の発行部数はさほど減っていない。新聞社はインターネットによる情報提供を実施しているが,商売としてみると赤字である。
 証券取引はオンラインに移行するといわれてきたが,投資信託が主流になった結果,オンライントレーディングの比率はかえって低下している。また,自動車ビジネスを見ると,高級車以外の新車の半数がインターネットで購入される一方,中古車は依然として店で購入されている,とドラッカーは指摘する。
 ちなみにドラッカーがこの原稿を発表した1999年当時,米国でもっとも急速に伸びていたeコマースは,マネジャーや専門職の求人就職であった。

IT革命からいかなる新産業が生まれ,いかなる社会制度,社会機関が生まれるかはわからない。(中略)しかし絶対とまではいかなくともかなりの確率をもって予測できることがある。それは今後20年間に,相当数の新産業が生まれることであろうことである。しかもそれらのほとんどは,IT,コンピュータ,データ処理,インターネット関連ではないであろうことである。

 IT,コンピュータ,データ処理,インターネット関連の産業は,いずれも「情報」を扱う産業だが,主役というよりは黒子の存在である。これらの産業は,情報を処理するインフラストラクチャを提供するが,実際の価値創造は,情報を扱う最終顧客が受け持つ。新産業も最終顧客が担う。
 それでは今後20年間に生まれる「相当数の新産業」とは何か。これは我々が考え,挑戦していくべきテーマである。ドラッカー氏は医療・教育の分野を挙げる。

「ITがらみの関心は企業活動にあつまっている。だが,医療と教育への影響のほうが大きい」

 企業におけるITの利用は今後もどんどん進むだろう。ただし,驚くような革新があるかというとそうでもないのかもしれない。企業経営における新しいコンセプトはだいたい出尽くしており,それをいかにITで支援するか,といった段階に今はある。
 フロンティアは医療と教育であるとドラッカーはいう。確かに,この二つの領域を革新することができれば,社会に与えるインパクトは大きい。ビジネスのチャンスもあるはずだ。もっとも,コンピュータを使って医療や教育を革新するビジョンはこれまでも何度となく描かれてきた。そしていずれも実現していない。 教育を例にとると,かつてCAI(コンピュータ支援による教育)という言葉があった。今日CAIは死語となり,その代わりに,eラーニングという言葉が登場している。コンピュータ関連の各種資格については,eラーニングの教材があり,資格試験もコンピュータを通じて受験できるようになっている。
 しかし,教育を革新するといえる段階ではないように思える。ドラッカー氏は,「教育(改革)の最大の障害は,職を奪われることを恐れる教師である」と辛辣なことを述べている。
 医療についてはどうか。米国からは,ネットワークを使った遠隔医療の実験のニュースがよく入ってくる。しかし日本においては,たいした進展がない。電子カルテという名の,情報共有ができない固有システムが無理矢理,大量導入された程度である。医療改革の最大の障害は何なのだろう。

(ドラッカーのIT経営論研究グループ)


ドラッカーのIT経営論研究グループ:社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏の情報およびITに関する論考を読み解くことを目的とした有志の集まり。主要メンバーは、ドラッカー学会に所属するIT産業関係者である。