まさに出現しようとしている新しい経済と技術において,リーダーシップをとり続けていくうえで鍵となるものは,知識のプロとしての知識労働者の社会的地位であり,社会的認知である。もし万が一,彼らを昔ながらの社員の地位に置きその待遇を変えなければ,製造テクノロジストを職工として扱ったかつてのイギリスの轍を踏むことになる。その帰趨も同じところになる。

 前回,「『テクノロジスト』の社会的認知が必要」と題し,ドラッカー氏の上記文章を紹介した。テクノロジストとは,専門教育を受けて得た体系的な知識と技能に基づいて仕事をする専門職業人を指す。ドラッカー氏が挙げている例は,コンピューター技術者,ソフトウエア設計者,臨床検査技師,製造技能技術者,理学療法士,精神科ケースワーカー,歯科技工士などである。
 ドラッカー氏は,ネクスト・ソサエティ(異質な次の社会)において重要なことは,テクノロジストをマネジメントすることだと述べている。続けて,テクノロジストをマネジメントするときに,もっとも効果がないのは,「金で釣ること」と指摘する。「意欲の源泉は,金以外のところにある」からだ。もちろん,「報酬は大事である。報酬の不満は意欲をそぐ」という前提にたった上での主張である。
 テクノロジストにとって重要なことは何か。ドラッカー氏は4点挙げている。

  • 組織が何をしようとしており,どこへ行こうとしているかを知ること
  • 責任を与えられ,かつ自己実現すること。もっとも適したところに配置されること
  • 継続学習の機会を持つこと
  • 敬意を払われること。彼ら自身よりも,むしろ彼らの専門分野に敬意を払われること
  •  以上の4点について順を追って,情報システム関連のテクノロジストの現状と対比してみたい。まず,「組織が何をしようとしており,どこへ行こうとしているかを知ること」についてはどうか。
     大手コンピュータ・メーカーの現状を見るとこの点は明確である。組織は,「利益を追求しようとしており,人員を削減し,コストを切り詰めようとしている」。この方針にテクノロジストが賛同し,会社に残って頑張ろうとするかどうかは不明である。
     一方,情報システムの開発を請け負うシステム・インテグレータやコンサルティング会社となると,経営の方向性が今ひとつ分からない。大体が,「当社は,コンピュータ・メーカーではありませんから,中立です。中立の立場から,顧客にソリューション(問題解決策)を提供できます」と言う。
     しかし,ここで言う「中立」は,どこのコンピュータ・メーカーのハードでも売ります,といった程度の意味しかない。どのインテグレータもどこかのソフト・メーカーが作ったソフト製品を販売している。ソフト製品については中立でないことが多い。
     そもそも現状のシステム開発においては,ハードよりもソフト製品よりも,開発作業そのものに金がかかる。その開発作業を生業としている会社が中立性を言ってもあまり意味がない。デルやマイクロソフトのように,「当社は開発作業は請け負いません。製品をお売りするだけです」という姿勢のほうが,はるかに中立といえる。
     すべてはイメージ戦術ということである。しかしイメージ戦術の中立性とは別のところに企業の存在価値がなけれなならない。特定メーカーの製品しか売らない,「中立的ではない」企業であっても,立派な存在意義を持ち得る。逆に,クリーンで健全な感じがする中立性の高い企業とみせかけておきながら,その実態は顧客から金をむしりとる詐欺師集団に過ぎない場合もある。

    (ドラッカーのIT経営論研究グループ)


    ドラッカーのIT経営論研究グループ:社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏の情報およびITに関する論考を読み解くことを目的とした有志の集まり。主要メンバーは、ドラッカー学会に所属するIT産業関係者である。