「IT革命」について、ドラッカー氏は次のように書いている。

「IT革命とは、実際には知識革命である。諸々のプロセスのルーティン化を可能にしたのも機械ではなかった。コンピュータは道具であり、口火にすぎなかった。ソフトとは仕事の再編である。知識の適用、特に体系的分析による仕事の再編である。鍵はエレクトロニスではない。認識科学である」

 引用した下りが出てくる論文は、1999年に発表されたものだ。エレクトロニスで大革命が起きるような報道を続けた日米のメディアは、この論文の発表時に熟読すべきであった。いや、今から読んでも遅くはない。IT革命に代わって最近は、ユビキタスなんとかという言葉が飛び交っているからだ。
 引用した文章の直後に、ドラッカー氏は次のように述べている。

まさに出現しようとしている新しい経済と技術において、リーダーシップをとり続けていくうえで鍵となるものは、知識のプロとしての知識労働者の社会的地位であり、社会的認知である。もし万が一、彼らを昔ながらの社員の地位に置きその待遇を変えなければ、製造テクノロジストを職工として扱ったかつてのイギリスの轍を踏むことになる。その帰趨も同じところになる。

 ドラッカー氏の指摘の中で、もっとも印象に残る一節である。システムズ・エンジニアの社会的地位と社会的認知。残念ながら、いまだに日本の課題と言える。このままでは来るべき社会において、日本はリーダーシップをとれないことになる。
 テクノロジストとは、体系的な知識に基づいて仕事をする専門職業人のこと。いわゆるエンジニアよりも広範囲な職種を含む。ドラッカー氏が挙げている例は、コンピューター技術者、ソフトウエア設計者、臨床検査技師、製造技能技術者、理学療法士、精神科ケースワーカー、歯科技工士などである。
 ドラッカー氏によると、産業革命当時、「イギリスは製造テクノロジスト(技能技術者)を社会的に評価しなかった。彼らを紳士と認めなかった。インドには工業学校をいくつかつくったが、本国ではつくらなかった。科学者には敬意を払い、そのため19世紀を通じて物理学で世界をリードした。マックスウェル、ファラデー、ラザフォードが現れた。しかしテクノロジストは職工の座にとめおかれた」。
 それがイギリスが産業国家として優位を失った原因という。同様の趣旨をドラッカーは繰り返し述べている。『テクノロジストの条件』(上田惇生編訳、ダイヤモンド社)の巻頭文でドラッカー氏は、次のように述べる。

テクノロジストは、マネジメントすることを好まない。むしろ、それぞれの世界で技術や科学の仕事をするほうを好む。(中略)その結果、企業、政府機関あるいは研究所においてさえ、テクノロジストでない人たちがテクノロジストをマネジメントすることが多くなっている。(中略)私自身テクノロジストでない者の一人として70年近くも前から、テクノロジストでない人たちにテクノロジストの仕事を理解させることの重要性を意識してきた。しかもテクノロジストとマネジメントの人たちの不調和を目にしてきた」

 同書は、テクノロジーのマネジメントに関する論考を集めたもので、「理系のためのドラッカーであり、かつ文系のための技術論」(編訳者後書きより)となっている。この巻頭文は普遍的な問題提起と言える。
 コンピューターの世界に限ってみても、コンピューター技術者やソフトウエア設計者と、経営者や事業部門責任者との「不調和」は至るところで目につく。情報システムを開発するプロジェクトの失敗理由は100%、関係者のコミュニケーション問題と言い切れるほどだ。
 その理由はドラッカー氏が書いている通り、コンピューター技術者はコンピューターの仕事をすることを好む一方、マネジメントを担う人はコンピューター技術者の仕事をあまり理解しているとは言えないからである。このため、両者の間でしばしば齟齬が発生する。技術者が「これは面白い」と思って開発した技術やシステムが、経営あるいはビジネス上、困ったものになってしまう。経営者が技術者のために善かれと思ってうった施策が技術者のやる気をかえってそぐ、といった具合である。

(ドラッカーのIT経営論研究グループ)


ドラッカーのIT経営論研究グループ:社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏の情報およびITに関する論考を読み解くことを目的とした有志の集まり。主要メンバーは、ドラッカー学会に所属するIT産業関係者である。