もう5年ほど前になるか、あるIT企業の幹部と雑談していた時、「データ」「情報」「ナレッジ」の違いは何かという話になった。その幹部は三つの表現を厳密に使い分けており、筆者が何か言うと「それは情報の話。問題はナレッジでしょう」などといちいち指摘してきた。しまいには「記者の皆さんは、これら三つをごっちゃにして記事を書いている。もっと注意して書くべきだ」とまで言った。メディアにいつも苦言を呈する人なのである。
 「データと情報の違いはなんとなく分かりますが、情報とナレッジはどう違うのですか」と聞くと、その人は待ってましたとばかりに答えた。「マニュアルですよ、マニュアル。マニュアルに載っているのは情報、でもナレッジは書かれていない」と答えた。
 続けてその人は「これはドラッカーが言っているのです。ナレッジワーカーか否かの境目はマニュアルだと喝破していますよ。これを読んだ時、『そうか、マニュアルの有無だ!』と思わず声を出しました」と語ってくれた。

 データというのは単なる数値に過ぎないが、それになんらかの意味を加えると情報になる。ただしその情報を使って意思決定をするにはナレッジが必要。ナレッジワーカーとは自分で考える人を指す、というのである。
 その幹部はこうも言った。「ナレッジワーカーと聞くと、頭脳労働を思い浮かべるが違うのですね。工場や作業現場で肉体労働をしている人がナレッジワーカーである場合がある。マニュアルに書いていないことを自分で考えて実施すればナレッジワーカーなのです。逆に、小奇麗な事務所で仕事をしていても、いつも決まりきったことをして、自分で何も考えないなら、その人はナレッジワーカーとは言えない」。

 実は当時、筆者はドラッカーの本を一冊も読んだことがなかった。そのため「なるほど分かりやすいですね」といった返事をするだけで精一杯であった。
 数年後、ドラッカーの本を訳されている上田惇生ものつくり大学名誉教授にお目にかかる機会を得た。その時はドラッカーの本を読んでいたが、読んだといってもまだ数冊であった。その数冊には、マニュアルの話は出ていなかったので、上田教授にIT企業幹部から聞いた話を説明し、「どの本でしょうか」と尋ねてみた。
 上田教授の回答は意外なものであった。「その人にとって、そうとれる表現があったのでしょうけれど、おそらくそう明確に書いてあるくだりはないと思います」。なにしろドラッカー本人によれば、「上田教授は私より私の著作に精通している」。その人が「書いていない」というのであるから、おそらくマニュアル云々の記述はないのであろう。
 筆者が首をひねっていると、上田教授はこう言った。「よくあることです。色々な方が『ドラッカーの本のここが素晴らしかった』と言ってこられますが、その表現が実際にはないことがあります。その人の問題意識とドラッカーの問題意識が化学反応を起こすのでしょうね。自分のためにドラッカーが言ってくれた、と思うようになるのです」。
 知識の伝達とはこういうことなのだろう。

(谷島 宣之=日経BP社編集委員、ドラッカーのIT経営論研究グループ)


ドラッカーのIT経営論研究グループ:社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏の情報およびITに関する論考を読み解くことを目的とした有志の集まり。主要メンバーは、ドラッカー学会に所属するIT産業関係者である。