本欄の論考を執筆しているのは、「ドラッカーのIT経営論研究グループ」の有志である。このグループは、主としてIT(情報技術)産業に関連しているコンサルタントや経営者、ジャーナリストで構成されている。現在のメンバーは全員、先頃設立されたドラッカー学会の会員であり、研究グループは学会と協調しつつ、ドラッカー氏の情報論やIT論を読み解く活動をしていこうと考えている。
 グループで議論した結果をまとめて本欄に発表するとともに、グループのメンバーが個別に「ドラッカーとIT」というテーマでコラムを執筆することにも取り組んでいきたい。コラムの一回目として、「ドラッカーの情報収集」について書いてみることにする。ここまで掲載してきた「情報論」の番外編としてお読み頂きたい。

 社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏の長い経歴の始まりは、投資銀行の証券アナリストであった。ただし、1年もたたないうちに投資銀行が消滅し、ドラッカー氏は夕刊紙の記者になる。昨年2月、日本経済新聞に連載された『私の履歴書』の中で、ドラッカー氏は、アドルフ・ヒトラーに何度もインタビューしたことがあると書いていた。
 その後、経営コンサルタントをしたり、大学で教鞭を執ったが、新聞や雑誌への寄稿は生涯続けていた。著作のあちらこちらで「私は傍観者である」とも書いており、終生、ジャーナリストの気持ちを持って仕事をされていたのではないかと思う。実際、日経ビジネス誌が2003年春に実施したインタビューの中で、ドラッカー氏は「私はオールド・ジャーナリスト」と語っていた。
 ドラッカー氏の本を読んでいつも驚くのは、その博識である。歴史には詳しいし、筆者が名前を聞いたことも著書を読んだこともない思想家や著述家の名前が次々に出てくる。企業経営者の興味深い発言や、企業事例をたくさん登場させる。一体どのように情報を収集していたのか。
 筆者は、ドラッカー本のほぼすべてを邦訳されている上田惇生氏(ものつくり大学名誉教授)に尋ねたことがある。「なぜ、あれほどなんでも知っているのでしょうか」。上田氏は大きく三点の理由を挙げてくれた。