翌週にプレゼンを控えたある日、平成スタッフの広石課長から、明日までに見積もりの概算を出せと要求された坊津君と桜井君。中田課長に言われ、その足で親しい河合主任に会いに行きました。居酒屋に現れた河合主任は2人に、大手琵琶通の当て馬にされかかっているという重大な事実を明かします。その頃、順調だったはずの桜井君の商談に、深刻なトラブルの兆しが・・・。


「で、課長は何で居留守使ったんだ?」
「なんかね、僕たちを追い詰める作戦だったようです」
 第三営業部は朝から昨夜の話でもちきり。桜井君が身を乗り出して猫柳君と話しています。2人はまたもや会社に泊まったようです。
「そりゃ、結果は課長の狙い通りだよ、でも、ひでえ話だよなあ」とあきれ顔の坊津君。
 そこに中田課長が入ってきました。

「おはよう」「おはようございます」口々に挨拶する部員に笑顔で応えつつFAXの横を通りかかる中田課長。
「おい、FAXがたまってるじゃないか。いつも言ってるだろ、自分のじゃなくてもちゃんと…」と言いかけた彼の目つきが急に鋭くなりました。
「おい、このFAXはだれのだ?」
「あ、それは自分のですが…」桜井君が手を上げました。
「桜井、ちょっと来い」
2人でヒソヒソ話をした後、中田課長は携帯を取り出しました。
「…では今からお邪魔します」パタンと携帯をたたむと、今度は全員に指示を出しました。
「今から外出する。後藤、大至急タクシーを呼んでくれ。私と桜井の午前の予定はキャンセルだ! みんな、後の調整をたのむ。昼前には帰る」ということで、中田課長と桜井君は出て行ってしまいました。

 何が起きたか分からない桜井君は、タクシーに乗り込むとすぐ中田課長に質問しました。
「何か、自分はまずいことしたんでしょうか?」
「お前、ロムラン電子にサーバーの見積もりを依頼してるな」
「はい。それが?」
 ロムラン電子は近年急成長してきた外資系ハードメーカーです。パソコンから始まった会社ですが、最近は大型サーバーも作っています。

「このFAXには、菅原機械に提案するサーバーの見積もりをソリューション事業部第一営業部に依頼したが回答が来ない、とある」
「そうなんですよ。あとはハードの金額さえ分かれば最終見積書完成で、すぐ受注できるんです。競合状況もバッチリつかんでますし…」
「それが1週間以上来ないと書いてあるが、このFAXも不達になっている」
「え? 不達? 気付きませんでした。メールでも催促してるんですが」
「返事は来てるのか?」
「…」
「もう1つ、どうしてここを選んだ? ここの営業とは会ったことがあるのか?」
「いえ、お会いしたことないです。でも琵琶通もIBWも競合ですし菅原機械の専務さんはなぜかジャパン電気が嫌いなんです。で、それ以外でコストパフォーマンスがいいのはロムラン電子だったんですよ。内藤主任がSEの時にここから端末を買ったことがあるって言うから、担当さんを教えてもらったんです」
「そうか、分かった…俺の杞憂であればいいんだが」
 タクシーはロムラン電子の本社に向けてスピードを上げました。

「朝っぱらからすみません」
 ロムラン電子の本社ビルは巨大で1階はモデルルームになっていました。受付をすませて高層階行きのエレベータを降りると、ホールで制服の女性が待ち受け、立派な応接室に案内してくれました。大きなソファでは、柔和そうな色黒のがっしりした紳士が2人を待っていました。年のころは50代でしょうか。左手の甲の白さがゴルフ焼けであることを物語っています。

「ひさしぶりだね中田君。元気でやってるかい?」
「佐々木部長こそお元気そうで」
「あ、いや、もう部長じゃないんだ。そうだね、改めて名刺交換をしておこう」
「いただきます」と中田課長が名刺を受け取りました。
「私は中田の部下で桜井と申します」桜井君が名刺を出しました。
「彼の下は苦労するが身になるのも早い、頑張りなさい」
名刺を交換しながら佐々木氏は桜井君にニッコリ笑いかけました。
「ありがとうございます」桜井君がもらった名刺の肩書きは「部長付」となっていました。

「で、朝からどうしたの?」
「実は…」中田課長は説明を始めました。
「うんんん…」佐々木氏は腕組みをして深くソファに沈みました。
「…実はいま、ソリューション事業部第一営業部の責任者は遠藤なんだ。」
「え? 遠藤君ですか?」
「そうだ。部長代理として実権を握っている。部長は事業部長と兼任だからほったらかしというか一任だ」
 しばらく沈黙がありました。それが何を意味するのか桜井君には分かりません。きょとんとしていると佐々木氏が話題を振ってくれました。
「あ、そうか。中田君は君には言ってないのか。中田君は以前ここで一緒に仕事をしてたんだよ」
「え?」
「佐々木さん、その件は後回しです。先に遠藤、いや遠藤さんを呼んでもらえませんか?」
「分かった。君の懸念が当たっていなければいいが」

(イラスト:尾形まどか)

 数分の沈黙の後、ノックもなしに入ってきたのは作り笑顔が顔に刻み込まれたような30過ぎの男でした。
「あれ? 珍しい。中田さんじゃないですか」
 どかっと座った途端、遠藤という男はタバコに火をつけました。断りもしないで佐々木氏の前から名刺をつまみあげ、しげしげと眺めてからいいました。

「あ、ここ最近うちの1次下請けに入った会社じゃないの? ねえ佐々木さん」
「そう言えば…そうだね」
『うちの第一営業部の仕事です。先週基本契約を取ったと聞きました』と桜井君が中田課長に耳打ちしました。
「で、今日は朝早くからなんですか? お仕事頂戴って頼みに来たんですか?」
「…」
 しばらくの沈黙の後、中田課長は相手をまっすぐ見つめていいました。
「菅原機械って聞いたことないか?」
 遠藤は一瞬、目をそらしましたが
「…覚えてないっすね。それが何か?」
「僕がハードの見積もりを依頼してたんですけど」とおそるおそる桜井君。
「だれだ、おまえ?」
「中田課長の部下でサク…」
桜井君が名刺を出そうとしましたが、遠藤はそれを手のひらでさえぎって
「あ、そうそう。思い出した! うちの見込み客で挙がってたっけね」
「何ですって!…御社は競合に入ってませんでした。先週までは入ってなかったですよ」
「どういう意味だよ、何が言いたいんだ?」
「…僕が見積もりを依頼した情報を元に売り込みに行ったんだ? そうだろ? 汚いぞ!」

 桜井君は頭に血が登ってしまい中腰になって叫んでいました。それを冷ややかに見た遠藤は両足をテーブルの上に放り出して言いました。
「なんだと? 口の利き方に気をつけろ。下請けのくせにアヤつけてんじゃないよ、証拠でもあんのかよ? あ?」
「だって…」
「中田さんね、だいたいあんな大企業はおタクみたいな中小ソフトハウスがやる規模じゃないでしょ? うちの下に入りなさいよ、悪いこと言わないからさ」
中田課長は黙って空をにらんでいます。
「あ、そうだ! 証拠ならあります!」桜井君が言い出しました。
「担当の加藤さんを呼んでください」
「だれだそれ?」
「しらばっくれないでください、僕、何度も電話で話しましたよ」
「あ、そう。それで加藤ダレだよ?」
「え…」
「加藤っての5人いるんだよ。だれだか分かんないと呼びようがないね。第一そんなに大事な客の情報を顔も知らないヤツに教えちゃうなんて、中田さんの教育とも思えないね、へへっ」「とにかくウチはそんな見積もり依頼もらってないからさ。これ以上ガタガタいうなら、うちの下請けになれて嬉しがってたオタクの社長でも連れて来て同じこと言ってみろよ」
 どうしようもない怒りで震える握りこぶしに、悔し涙がぽたぽたと落ちる桜井君でした。(次回に続く

今号のポイント:“協業リスク”は人のつながりでヘッジする

 昨今、協業なしではビジネスできません。しかし資本関係も取引もない企業同士の協業は複雑です。顧客情報を早く開示して失敗することもありますし、「ちょっと今の時点では言えませんね」なんて慎重にやってたら競合と組まれてしまった、ということもあります。基本は3つ。(1)上司や役員などを引っ張り出して会社同士の約束とする。(2)それが無理なら協業する第三者を立ち会わせて仕切り方を決める。(3)だれも頼れないなら最後は自分。裏切ると恐ろしい人だと認識させる。でも最後はやっぱり人と人とのつながりです。目先の利益にこだわらず誠実を心がけ、裏切られることはあっても裏切らない人になりたいものです。

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。